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ス政府は常に7機の輸送機を待機させている。シーエンプレス号の原油流出から17時間後に処理剤の散布が開始された。

油処理剤は原油の上に更に毒性のある物質をまき散らすだけであるという指摘は30年前に遡る。1967年、イギリスでトリーキャニオン号が座礁した14万トンの原油流出事故で、当初上空からの爆撃で原油を燃やしきる方法が取られたが失敗し、南西部の海岸に油が押し寄せた。そこで処理剤を散布したが、原油以上に海洋汚染を引き起こしたのである。

しかし、現在の油処理剤はトリーキャニオン号の時とは全く違うものである。ただし、現在の処理剤でも油まみれの海を元の汚染されていない状態に戻すことはできない。処理剤で分散された油、元の原油とも悪影響を及ぼす。従って、どちらが環境にとって負担が小さいかということになる。

意外なことに原油は条件が揃えば海水で混ざり合う。1993年1月、スコットランド沖でブレアー号が座礁、8万5000トンの原油が流出、冬の荒波が海水中に原油を分散させた。油処理剤は波の動きで分散するのを人工的に再現する物質である。「油処理剤は油をなくすものではない。海面の油を海中に分散させるだけであるが、そのあとバクテリアが分解するため、海中に残る原油の量は、流出原油の5%まで減らすことができる(T.ルーネル、AEAテクノロジー)」という指摘がある。

油処理剤については賛否両論があるが、イギリス政府は海岸に漂着するより、海水中に分散させる方法をとった。これだけ大量の油処理剤が使用されるのは初めてである。しかし、大量の油処理剤をもってしても、全ての油(7.5万トン)を処理できたわけではない。海上にはドロドロになった原油が漂った。

幸い、北風によって海鳥の生息するスコーマー島、スコックホーム島から原油を遠ざけていた。

しかし、風向きが北から西に変わり原油はペンブロークシャー島沿岸をまわり、カーマーゼン湾の美しい海岸に流れついた。原油流出の影響が西ウエールズの行楽地に波及、風向きが変わりデンビー以東の海岸にも原油が押し寄せた。

 

3. 海岸での物理的回収

 

1996年2月23日、1万トンの原油がペンブロークシャーに漂着し物理的回収が始まった。過去の教訓に基づき、機械で溝を掘り、散水車で水をまき、砂と小石を溝に洗い流す。溝にたまった油は、タンクローリーで回収、タンクローリーが満杯になるとバケットに移し替えるという方法が取られた。きれいな砂、小石は元に戻すのである。

過去の教訓とは1978年3月、アモコ・カディス号がフランス、ブルターニュ沖で座礁、22万トンの原油が流出、強引な対策がとられた時のことを示す。すなわち、原油を回収するために海岸の一番上の層をはぎ取ったのである。行楽地の海岸では原油が押し寄せる前に砂を除去し後から戻すという手段が取られた。これによって砂は守られたが原油以上に生態系に大きな打撃を与えたのである。

 

 

 

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