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(b)試験の概要

プロットは3m×3mで、コントロールからは4.6mは離すようにした。コントロール2つと、4つのCustomblenの量の違うプロットを用意した(50g/?、100g/?、500g/?、1,000g/?)。ちなみに、KN-135で使用された栄養塩のうち、Customblen量は100g/?で、これと同量の窒素を含むInipol EAP 22が混合して使われた。

(c)結果

残存油量の減少と油成分変化は、コントロールと栄養塩のプロットであまり差が出なかった。これは、栄養塩が地中のpore waterに十分行き渡らなかったためであると考えられる。また、使用したプロットが小さすぎたため、コントロールと栄養塩のプロットの差が明確に保てなかったという批判もあった。

 

(8)1991年以降

1991年には、さらに油は減っており、バイオレメディエーションは、1990年の7分の1の規模で行われた。

1992年にも、小規模なバイオレメディエーションは続けられた。

1992年5月と6月に、連邦と州政府がジョイントで行った調査で,海岸線から油がすべて除去されたことを確認した。1992年6月12日、米国沿岸警備隊とアラスカ州が、浄化の終了を公的に宣言した。

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(9)まとめ

a. バイオレメディエーションの適用回数、栄養塩の使用量

Prince William Soundにおいて、1989年には750カ所、1990年には1,280カ所にバイオレメディエーションを適用した(同一箇所に複数回適用した場合は、重複して数えている)。1990年には1989年よりも油が分散しており、適用箇所数は多かったものの一カ所ごとの適用量が少なかった。また、1989年には時間不足のため栄養塩を複数回適用することができなかったが、1990年には多くの地域で2回以上適用された。1990年の方が適用回数は多いが、栄養塩中の総窒素量は、1989年と1990年であまり変わりはなかった。

また、1989年にはInipol EAP 22対Customblenでは、使用量が約2:1であ

 

 

 

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