a)野生動物およびその生癌、環境への関心
b)人間の生活様式が環境に与える影響の削減
c)価値規範の転換を伴った全体論的アプローチにしたがうこと
4-6-2 イギリスの学校における環境教育:現状に代わる枠組み
はじめに
最近のイギリスの学校カリキュラムにおける環境教育は、他の多くの国々と同じような歴史をたどってきた。環境教育は長い間、イギリスの中学高校(11才-18才)の正規のカリキュラムであった(Gayford,1986,Goodson,1993)が、明らかに、大半の環境教育者が望んだようには定着していない(Gayford,1991)。
イギリスで環境教育がカリキュラムの分野として認識されるようになったのは、25年余り前である。中学高校では、環境教育は、環境研究または環境科学という名称で独立の教科として扱われていた(Goodson,1993)。そこでは伝統的に定着した教科と競争することになった。その結果、一般に環境教育は隅に追いやられ、少数の、しばしば能力の低い生徒が選択する科目になった。新しい教科が学校のカリキュラムに定着するのは非常に難しいという有力な根拠もあるから、これは驚くにはあたらない。環境関係の科目など学際的な科目の場合は、他の科目、特にもっと厳密で理論的土台が強力だと考えられている科目と比べて位置付けが低く、特に定着が難しい(Layton,1972)。
1988年のイギリス教育改革法の後、学校カリキュラムの大幅な見直しが行われ、環境教育の最も適切なアプローチは一般的に、カリキュラム横断的な方法で行うことだとされた。推奨された方法は、伝統的な多くの科目の教科内容に組み込まれるようにするというものだった(National Curriculum Council,1990a,1990b)。しかし環境教育がすべての生徒にとって必修だという法律的根拠もないし、評価プロセスや新しい査定制度(教育基準局Office for Standards in Education,1993)の枠組みによるサポートもなかった。その結果、環境教育の中で地理や科学などと関連の深い部分が、主として知識中心の視点から教えられ、重要な情緒的要素が無視される傾向があった。一般的に環境教育へのアプローチでは、考慮すべき他の重要な要素があるという研究結果が着々と出ているにもかかわらず、環境問題の知識、理解および意識と、これが態度の変化をもたらし結果として行動も変化するという道筋との間に、直接の一直線の関係があると仮定されてきた(Marcinkovski,1993,Matthews and Riley,1995)。
また、イギリスの広い範囲の学校を対象とした最近の調査(Saunders他,1995)では、管理職を含む学校教師は、環境教育は実際、知識的内容以外にも範囲が広く、情緒的な要素はすべての子供の教育の不可欠な非常に重要な部分だと感じている。事実この調査では、他のカリキュラム横断的な科目との比較で、環境教育は、保健に次いで重要視されている。他方、現在の教育傾向の変化の中では、正式のカリキュラムの中で今以上環境教育を行う時間も余裕もないとも感じており、そのような計画もない。これは間違いなく、学校カリキュラムの中でのこまめな生徒評価の重視によって、助長されている。