「ディープエコロジスト」とか「ダークグリーン」と呼んだ人々は、これまで様々に表現されてきた。このグループは、人間行動の多くとそれが環境に与える影響の相関関係を関心の中心に据えている。環境に対するこのような様々な態度が、環境教育に携わるいろいろな人々に反映されている。環境教育に関った動機もいろいろで、それぞれが目指す目的についても意見も違う。このことは、環境教育が複雑な変遷をたどったもう一つの原因である。
学校教育における環境教育
イングランド、ウェールズおよび北アイルランドの学校教育における環境教育は、特に、教育システム全体に関るいくつかの最も重大な変化があった最近になって、一気に発展した。Bowe他(1992)は、もっとも影響のあったものとして、地方による学校管理の導入、および全国カリキュラム、達成記録、標準評価課題(Standard Assessment Tasks,SAT's)の導入を挙げている。地方教育局(Local Education Authorities)が消滅して中央行政の権限が及ばなくなったこと、さらに現職教育計画の変化(DFE,1992)、および新しい検査規則(Ofsted,1993)もやはり重要である。教育におけるこれらの意味と、これらが環境教育にどう影響したかを見ていくと、一つ一つがそれぞれ一章を費やす程の内容があるが、ここでは、学校での環境教育の姿勢の変化を理解するためにはこのより大きな教育的背景を評価する必要があるということを理解するべきである。
環境教育の伝統は、主として中学高校のフィールドワークの伝統と、小学校のトピックワークに根差している。中学高校のカリキュラムでは、環境教育をカリキュラムのどこに位置付けるかということが長年にわたって論議を呼んでいる(Gayford、1986および1991、Ebbutt、1992、Goodson、1993)。これは実質的な重要性のない単なる学問的論議ではなく、指導計画の中で環境教育をどう取り扱うのかということに重要な意味を持っている。この議論の一部は、環境教育をカリキュラムの中で、時間割りに独自の時間を持ち単独で試験も行う独立の教科として扱うべきか、それともカリキュラムを通して統合的に扱うべきか、ということが基本になっている。前者の立場は、他の教科とは別に教えるべき知識内容があり、正式な試験でこの知識を評価するのが適当だという前提に立っている。この考え方は、教科内容の重要性を強調し、これによってカリキュラムの中での環境教育の地位が高まることを期待している。他方、後者は環境教育はカリキュラム全体に溶け込ませるべきで、それによって効果内容を伝統的に確立した教科の中で教えることができ、学校の気風全般に浸透しやすくなると主張する考え方である。小学校では、環境教育を学校のカリキュラム全体の一部として捉えるのは、しばしばトピックワークの形をとる小学校の伝統的な方法と近いため、困難が少ない(Dorion, 1993, Neal and Palmer, 1994)。
イングランド、ウェールズおよび北アイルランドでの環境教育をカリキュラムに正式に位置付けるかどうかの議論は、1988年の教育改革法(Education Reform Act)による全国カリキュラム(National