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国民の60パーセント以上が、日常的な製品やサービスの広い範囲にわたって、その製造、使用、廃棄が環境に与える影響を考慮して購入を決めているともいわれている。個人個人が自分達が使う製品やサービスについて、その製造、通常の使用および廃棄の方法が環境に与える影響を学ぶというライフサイクル分析の概念は、製造と消費の環境的コストを測る上での大きな前進といえる(Redclift,1993)。この種のアプローチは、地域での行動や影響と地球規模での効果との貴重な関連を明らかにする役割を果たす。

 

環境問題に関する基本的な原則の知識や理解が、教育者が人々にさせたいと願うような行動に簡単には結び付かないことは、今では環境教育に携わる多くの人々の間で広く認められている(Costanzo 他、1986)。

 

過去には、問題の知識や理解と、それについての個人の態度や行為の間には、はっきりした関係があるという一般的な前提があった。「事実」をより深く、詳しく、または広く認識することによって、個人の行為としてどんな行動がふさわしいのかが明らかになり、行われるようになるだろうと考えられていたわけである。その結果、環境についての知識の発達と行為の結果とが重視されてきた(Department for the Environment,1994など参照)。人間行動の幅広い例についての調査では、知識や理解の変化と行動の変化との関係は複雑で、知識は行動の背後にある意思決定プロセスや理由の一つの要素に過ぎない、という結果が出ている(Fishbein and Ajzen,1975、Ajzen,1988)。社会規範、同年代集団、自分がどれだけ状況をコントロールできるかという自覚、そして自分の行動の結果についての理解などの影響を考慮した精巧なモデルが作成されている。もし行動の変革が期待される重要な成果だとすれば、環境教育への新しいアプローチの開発に際しては、行動に影響すると考えられるあらゆる要素を考慮する必要がある。

 

しかし、最近数年、Hines他(1986)や全国カリキュラム委員会(1990a)などが提唱した、環境教育は主として責任ある環境的行動の育成であるというこの考え方に対して、大きな反動(Robottomand Hart,1993、Fien,1993)が起こった。このような教育は個人主義に過ぎ、経済発展の受益者としての「グリーンコンシューマリズム」に通じる、さらに、指導方法が行動主義すぎる、というのがその主張である。行動変革主義を批判するこうした人々は、積極的で知識のある市民意識を伴った政治的運用能力を高めるアプローチを求めている。

 

環境教育において何が一番重要かということについての環境運動家の見方は、過去20年余りの間に大きく変化した。1970年代に環境教育が認識され出した頃は、「成長の限界」(Meadows他、1972)をめぐる論議が一般的であった。そこでは、再生不可能な資源、特に化石燃料や他の鉱物の採掘を通じて人間が環境に与える影響が、特に心配された。そこには同時に、技術革新によってこれらの問題は解決されるだろうという楽観的な姿勢があった(Redclift,1994)。もっと最近になって、

 

 

 

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