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に学校教育に関するものは、その性格と目的に起因している(Fien、1993、Smyth、1995)。これはずっと論議のある問題で、その時々の特定の結論によって将来にわたる環境教育の道筋が決められてしまう。環境教育の概念について真のコンセンサスができていないことが、カリキュラムの確立や他の面でも問題だと考えられてきた。現場の指導者の中には、環境教育とは何かという確固とした概念を持ち、その上で自分達のエネルギーを実践の方に注ぎたいと考える人々もいる。他方、環境教育を形作る概念が健全に進歩していくためには、常に議論を新たにする必要があると考える人々もいる。さらに、もう一つの困難は、環境教育が、ことに最近は根本的に変化しているため、視点や優先順位が経験の長い指導者の間でさえ変わってしまっているということである。

 

環境教育は、それが認識されるようになったこの比較的短い間に、数々の変化を遂げているので、まずは環境教育に起こった変化を考察し、その発達に最も影響力のある要素を、特に最近の変化に絞って見てみるのがいいと思われる。環境教育の歴史については優れた著作がある(Sterling,1992、Goodson,1998、Gayford and Dorion,1993など参照)ので、ここで詳しく述べることはしない。しかし、環境教育という言葉ができたのは最近のことだということは、知っておくべきである。1970年代前半に、「70年代の農村」会議(Countryside in the 70's Conference)に関連して使われたのが最初だとする説もある(Royal Society of Arts,1970)。当時、環境教育の概念はまだ、自然環境とその保護保全という考え方と強く結び付いていた。これは、当時の教育者にとって明らかに馴染みのある伝統的な生態学およびフィールドワークに則ったものだった。これを重要視する考え方は、今でも世界中の多くの指導者の心に深く根を下ろしている。ベオグラード宣言(ユネスコおよびユネップ(国連環境計画)Unesco-UNEP、1976)が環境のもっと全体論的な概念と環境教育を認め、環境教育には技術や理解と並んで価値観や姿勢も重要だと述べたのは、それから数年たってからだった。1977年に旧ソ連のトビリシでユネスコ/ユネップ環境教育会議(Unesco-UNEP Conference on Environmental Education)が開かれた頃には、実践面では分裂が見られたものの、確立した総合的な哲学として環境教育は国際的な容認を得る兆しが見られた(Unesco-UNEP、1978)。最近では1992年にスターリングSterlingが、環境教育の原則に関するコンセンサスにもかかわらず実際には多くの違ったアプローチや強調点が見られる、と書いている。こうした違いは、自然環境、整備された環境、社会的文化的環境など、環境のどの側面に重点が置かれるかによって生まれてくる。

 

明確な活動としての環境教育は、生物学や地理学などの学校教科に元を発し、特にフィールドスタディー(現地調査)に重点が置かれていた(Goodson、1993)。環境教育とこれらの教科との関係は、多くの人々にとって、基本となる原理の知識と理解、および自然環境と環境教育の概念の間に今も健在である。しかし、環境教育の目的に関するより最近の声明では、この捉え方をもっと広げて、問題解決および意思決定などの方法論(Unesco-UNEP,1978)や、技術や態度の育成(全国カリキュラム委員会National Curriculum Council、1990)や、道徳や倫理の面(Caduto、1985)など

 

 

 

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