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存の制限速度の強調、もしくは対応する制限を運転手としてのあなたに加えることを意味するにも関わらず、それを更に下げるために、政治的行動を通じて働きかけることである。

良い生活と考えることのために定める標準及び基準は、絶対的なものもあれば相対的で柔軟性に富むものもある、一連の価値に密接に連結していることが特徴的である。状況によっては、他人もしくは自分自身が制限速度を超過していることを大目に見るかもしれない。しかしながら、この問題に関して価値及び観点を設定した、もしくはしたと思われる人があなたの周りに多いほど、あなたがその規則を破る可能性は少なくなる。高速道路の規約の完全遵守以外のものが社会的に認められないならば、実際にはそれは非常に多くの運転手によって遵守されることであろう。交通におけるこの態度のある、なしは明白であるため、個人が規則を守るならばこれは簡単なことになる。

上で概略された交通についての例は、我々自身に対してだけでなく、環境及び仲間の人類に対しての責任についても関係がある。これは環境教育で浮上する倫理問題の典型的特色である。与えられた問題について個人が考えることは、特定の場合の結果に連結する価値及び利益に対する判断によって制限される。より詳細な観察のもとで、環境的考慮は、未来世代の利益を考慮に入れた結果であることが多い。

 

審美的の意味は十人十色:

 

多くの人にとって審美的とはとりわけ、物事がどのように映るかということである一つまり、それが魅力的か、美しいか、調和的か、ということである。これと反対の、例えば目障りに捨てられたゴミ、もしくは自動車の墓といった我々の地方で見られるその他のものは通常、醜いと表現される。しかしながら、審美的とは現実化の一種である。クラスが町、景観、もしくは橋などの目標となる模型を作るために創造的に作業する場合、これらの物的な説明の他に、一種の理解を明らかとなる。

あなたはまた、生活手段、場所及びその発展、もしくは新たな人間関係の視点を発生させることで、創造的な要因を選択して、厳密で知的である以外の性質に訴えることもできる。

我々の創造性の審美的表現を通じて、生徒が環境教育の過程から得る利益のためには非常に重要な、我々の感情及び熱心さを捕え、発生させ、表現することができる。その表現手段としては、製図、絵画、コラージュ、写真、詩及びその他の形態の言語表現、電子メディア、音楽、演劇、その他色々がある。我々は“分極化方法論”の使用を通じて物事の焦点をより明確にする、つまりそれらをより明らかに、その結果より興味深いものにする。これの標準的な例は、一方では先進国の消費超過、そして他方では第三世界の消費不足の様式を説明する、対比の表もしくはグラフを利用することである。過剰消費物の広告及び金持ちの生活様式が、未開発世界の逃れることのできない現実と並置されても良い。

生徒が見て判断するものであるから、与えられた分野で、醜いものと美しいもの、良いものと悪いものを並べて見せるのも良い。これまでも主に芸術家によって行われてきたが、審美的側面をもつ活動により生じた、社会の実り多い刺激の可能性が探究されねばならない。

 

 

 

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