過去には、ある特定の環境的問題がメディアによって発表されることに鑑みて、クラスの想像をとらえ、さもなくば地域社会のセンセーショナルな問題となり、いくつかの環境的プロジェクトはほとんど同時に開始された。しかしながら、そのような“理想的な”状況が起こるのを待つだけというわけにはいかないことは明白である。その代わりに題目の選択に際して、生徒がある程度の影響力を実行したほとんどのプロジェクトは、ブレーンストーミング期間から開始し、例えば以下のように、その発言は行動が非常に一般的に形に表われたものであった:
“…というのは全く不十分である!”
“将来これが不安である…!”
“100年後には残念ながら・…のようになるかもしれない!”
“もし世界が住みやすい場所になるならば、我々は…すべきである!”
環境的問題に直接力点を置くことも可能である:
“最初に述べられるべき環境問題はどれであろうか?”
“我々が住む地域の最大の環境問題は何であろうか?”
“どの環境問題を扱ってほしいか?”
この特定の段階は、家及び街の大人対象の投票を行うことで、前もって拡大しておくことが可能である。これは生徒が自身のブレーンストーミング期間を開始し、自身の優先順位を整理する、外部の提案の基盤を与えるかもしれない。地域への遠足は、問題の選択にもつながる。クラスにとっての問題はしばしばどの特定の環境問題に集中するかについてである。しかしながら一般的に、クラスが初めから作業を異なるグループに分割し、各々が異なる問題に取り組むことは勧められない。話題となっている問題について教師が生徒の理解度を知ることが重要なように、クラス全体にとって参照するための共通点を確立することは、中心的な重要性をもつ。教師は首尾一貫した方法で生徒に質問をすることで、生徒が関係する概念を理解することを助ける。であるから、主題の選択に関しては適当な程度の合意に達しようとすることが重要である。最終的には生徒の作業の性質に対する考えは、問題選択の際、少なくとも問題の性質自体と同様に明白であることが証明されるであろう。この理由から、何が行われ、どのように行われるかについての教師の考えは、生徒が何を興味深いと考えるかに対して明白な影響をもつ。
概して、グループ作業のより自由で簡単な行動が魅力的であるように、学校の外に出て調査作業を行うことは非常に魅力的である。一度共通主題が選択されて、クラスも首尾良く活動しだしたら、異なるグループが同じ全体的な環境問題について、異なる側面を徹底的に学習するという、ある種の努力の相違が生じるかもしれない。
ある特定の問題を選択する初期段階がまだ実行中であるならば、作業するだけの価値のある特定の問題を考慮するための理由を、生徒に思い出させようとするべきである。後々、プロジェクトが完成した際にこの要素を探すことは、行うだけの価値があるかもしれない。