?V.環境保護と学校
さて、このようなことは学校での環境教育にとって、どのような意味を持っているのでしょうか。学校で環境教育を行うということは、片付けなければならない瑣末な事が、またもやひとつ増えた、という種類のものであってはなりません。それはもっと明確に、中心に置かれるべきものなのです。
「何らかの成果を上げる為の前提条件は、そもそも自分には影響力があるのだという確信である」、と心理学者のローベルト・ローナーは言っております。そういう、ポジティブな結果を生み出せるのだという確信、そういう気持ちが欠けている場合がしばしばあります。環境保護の分野でもそのことは言えます。
学校も、このような問題の前に立たされています。つまり、個人も地球全体の繋がりの中で、何かを良い方向に変えることができるのだということ、そういうことをいかにして生徒達に教えていこうか、という問題です。
問題の大きさを前にして、個人はしばしば無力感に襲われます。しかし、このような無力感が言い訳になってはなりません。この場合、内なる確信なくしては、前進はあり得ないのです。
確かに、個人が環境に配慮した行動をとったとしても、又、学校でどんなに良い環境教育を行ったとしても、それだけでは世界的な規模の環境問題を解決することはできません。
しかしそうしたことによって、多数の人々を動かすことができるのです。私はそう確信しております。地球全体の繋がりの後ろに身を隠すことなどできません。諦めてはならないのです。むしろ、各個人が、又各学校が環境に配慮した行動を取ることによって、実際の環境保護に向けての多くの貢献がなされ得ることを、私達は認識すべきです。モットーはここでもやはり、地球レベルで考え、地方レベルで行動する、ということになるでしょう。
このような認識、私達の生命基盤を維持する為に自分でも何かができるという認識を促すことこそ、私達の学校における環境教育の中心的な関心事なのです。この場合、各人が自ら義務を負っているのだということ、つまり、天然資源を大切に、節約しながら使うという方向に、自分の個人的な態度を改めていく義務を負っているのだということを、環境教育によって明らかにしなければならないのです。求められているのは、人間と自然の関係への理解、エコロジーに関する情報と知識の獲得です。求められているのは又、自然への愛と、自己責任です。それが、環境への態度を改めていく上での精神的な基盤であり、又行動の基盤でもあるのです。
幸いなことに、若い世帯の人々が、環境保護の、又それに関連して、いわゆる第三世界の問題に大変な関心を、しばしば大人よりもずっと大きな関心を持っています。若者達はこの点で敏感になっており、はっきりとした動機づけがあり、頭も冴えています。この分野で彼らは、具体的に一つのことの為に尽くそうという心構えを持っております。このことは多くの場合、他の生活領域におけるよりもはっきりしているのです。学校における環境教育とエコロジーの問題提起は、授業で扱うテーマの中でも、生徒達が最も真剣に参加するもののひとつとなっていることが多いのです。これは良いことです。