の草花を植えたり、植林活動ということで自然植生を無視し、安易に入手できるスギやヒノキを植林する「緑化活動」などが挙げられる。いずれの活動も、自然生態系を無視した、自然保護活動という名の自然破壊活動の代表例なのである。
また、生きものがいれば良いということで、遺伝子の多様性を無視し、他地域産のアユやホタル、飼育動物であるニシキゴイなどを持ち込む「放流・放虫活動」なども前記の例と同様に、自然破壊活動である。
こうした活動を通した環境教育では、子どもたちに、誤った自然観を植えつけることにつながる。そうならないためには、まず教師や指導者が誤った自然観を改めていく必要がある。
2-2-3 市民行動の重要性についての認識の不足
環境問題とは、自然生態系と産業、経済、政治、社会などのつながりを無視し、目先の経済利潤のみを追求した現代の社会経済システムが成立した結果、顕在化した問題である。すなわち、環境問題とは社会問題と捉えられる。私たちに大いに求められることは、自然生態系の質の維持向上を念頭において、現代の社会を変革していくことである。
このことはすでに、1977年開催の「環境教育政府間会議(トビリシ会議)」のトビリシ宣言においても、「環境をその全体において総括的に考えること(自然と人工テクノロジー的な見方と社会的な見方、経済・政治・文化と歴史・道徳・美的な見方)」と、12ある指針のなかのひとつに明記されている。
小学校高学年、あるいは中学生以上における環境教育では、本来社会的な視野をもち、市民あるいは国民として環境問題を解決していくべきであり、その義務や責任を果たすための技能や評価能力を備える必要がある、と考える。また、地域へ視点をおいたプログラムが必要であると考えられる。
平成8年度の埼玉県内の小中学校の教員6,168名を対象に実施したアンケート調査から、小中学校で実施されている環境教育の大部分は、環境に配慮した個人生活レベルの改善、あるいはリサイクルに偏重したものなどが多く、社会に向けた市民行動の技能や評価能力を促すようなプログラムは少ないといった傾向が見られた。地域に向けた取り組みにしても、清掃作業など生活環境美化の一環として行われているものが多い。このほか単に作業を経験したということに終始している、という傾向も見られる。
本来、「市民行動の技能の育成」の観点から考えれば、ゴミ問題ひとつをとっても、子どもたち自身がゴミを捨てることに関連するさまざまな問題について認識し、その根本的な原因を模索し、さらに地域住民や環境NGO、自治体と関わりをもつなかで効果的かつ効率的な解決策を検討するなど、問題を発展させて考えさせる力を育成することが、大いに求められる。
また、埼玉県内の教員を対象としたアンケート結果では、「環境教育を進めていくうえで環境NGOと連携を図ったことがある」という教員は、わずか4.1%にとどまった。地域の環境NGOとの連携による教育はほとんど行われていないというのが現状である。ただし、環境NGO側からの情