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砂浜の漂着油は砂と一緒にごみ袋に詰め込まれた(図2-11)。それらがどこでどう処理されたかは明らかでない。防波堤のコンクリートや礫に付着した油は化学処理剤をかけ30分ほどしてから水で洗い落とす方法で取り除いた。ハントゥ島の清掃チーム監督のイェオ(K.C.Yeo)氏によると11月1日にはまだ島の潟湖一帯が黒く分厚い油で一杯だったが、1週間後には防波堤に付着した一部の油と浜辺の末端部に黒い線状の跡と点在するパッチ状の汚れを残すのみになった。11月上旬には終息宣言が出された。

 

(3)油防除対策と関係者の行動

今回の事故ではシンガポール海事港湾庁(MPA)が中心となって緊急対応体制を敷き流出油の状況把握と油防除作業を実施した。また、日本、オーストラリア、米国、韓国など外国から援助の意思表明があり、そのうち日本は実際に援助活動を実施した。

流出油の事故では通常は航空機が状況把握に活用されるが、今回の事故では周辺海域が航空管制上非常に特別な地域であったこととスマトラ島の森林火災の煙害による視界不良の二つの理由からその使用が制限されたために、正確な流出油の把握や回収作業との連携に支障をきたした。

MPAの対策はオイルフェンスの展張、油処理剤の散布、浮遊油の回収、汚染海岸の清掃が主であった。オイルフェンスの展張にあたってはセントサ島や東海岸などダメージの大きい海岸への漂着を阻止することを主眼とした。このため1992年に開発したコンピュータシミュレーションモデルも活躍した。事故地点と風や潮流のデータをインプットすると汚染の広がりが時間を追って予測できるモデルである。これにより、流出油がシンガポール海峡とシンガポール港を結ぶジョンフェアウェイ航路を横切って来る前に余裕をもってフェンスを張ることができた。また日本が提供したオイルフェンスも活躍した。日本からは石油連盟がシンガポール基地とマレーシア基地に保管していた2,000m分のオイルフェンスが搬入投下された。また日本財団等の支援で実施されたプロジェクトでシンガポールに供与されたフェンス等も投入された。油処理剤は日本ではまだ承認されていない自己撹拌型(いわゆるタイプ?V)が当初からかなりの量で散布されたようである。浮遊油の回収でも日本側の緊急援助隊が活躍した。

こうして領海内の流出油対策は順調に進み、残った浮遊油は海流に乗ってマラッカ海峡方面に流れ去ってしまった。11月7日に終息宣言が出された。

 

(4)石油流出事故とその対策に対する国民の行動

この事故はナホトカ号による重油漂着を経験した我が国でも関心をもたれた。しかし、流出油の量の割りには汚染の状況がはっきり伝わって来ず、現地の新聞を取り寄せても住民の反応などがよくわからず、一部には当局が汚染の状況を隠しているのではないかといった情報コントロールの疑いまで囁かれた。

そこで事故や汚染の実状や生物学的修復方法への取り組み状況と住民の考え方を知ることは今後のためにも重要であるとして、本調査研究の一環として、1998年1月に現地調査を実施することにした。

 

 

 

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