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(2)流出油による汚染状況

この事故で流出した重油はナホトカ号の時(6,800トン)の4倍以上、エクソンバルディーズ号の時の4万トンの7割に近い、2万8千トンに及んだことから、沿岸の汚染が心配された。シンガポールの海岸が大量の重油で汚染され、何ヶ月もの海岸清掃が必要になるといったシナリオも十分考えられた。しかしシンガポール国内の反応は比較的落ち着いていた。これは、?@当初、海事港湾庁(MPA)が発表した流出油の量が3,000〜4,000トンと少な目であったこと。?A政府が情報公開について消極的であったこと。?B実際に事故後の油の流出状況の把握が後に述べる理由で困難であったことなどによると思われる。シンガポール政府が特に心配したのは、重油の東海岸と南部のセントーサ島への漂着であった。10 kmに及ぶ東海岸は市民の憩いの場として知られているし、またセントーサ島は海外からの観光客で賑わう名所だからであった。しかし、実際には衝突地点の北西部に点在する南方諸島(Southern Islands)や本島の南西海岸の一部を襲ったものの、大部分はマラッカ海峡の方へ流れ去った。これには、この時期の海流の動きが幸いしたようで、マラッカ、シンガポール海峡に沿った北西向きの海流が最も強くなる時期であったために、日々変化する潮の流れによる東西方向の漂流や拡散の速度を上回って大部分が領海の外へ出ていった模様である。海上で回収された量や南方諸島海岸の清掃で処理された量については発表がないので不明である。また、石油精製・貯蔵基地や軍用施設が多く、一般に開放されている島が少ないので汚染の状況も明かではないが、一部の報道写真や事故対策や調査に当たった人々の証言から察すれば相当量がブコム島(Pulau Bukom)から南のパワイ(Pulau Pawai)、セナン(P. Senang)、スドン(P.Sudong、セマカウ(P.Semakau)、サル(P.Salu)、アナクブコム(P.Anak Bukom)やハントゥ(P.Hantu)等の島々に漂着したようである。満ち潮の到達する汀線は厚い油の層で覆われ、草地や岩場の浜辺を汚し、マングローブの根元を傷めた。事故の3日後に地元新聞のストレイトタイムズ(The Strait Times)紙は海洋生物学者のチョウ(Chou Loke Ming)氏の珊瑚虫など珊瑚礁に着生する生物の死滅警告を掲載している。事故後これらの島々の清掃が行われた。潟湖に浮かぶ油はポンプで吸い取られ、

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