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1)設立の経緯

エクソンバルディーズ号の事故は州民も素早く反応した。これまでにも、バルディーズの南東にある漁民の町コルドバの住民達はアリエスカ社(Alyeska Pipeline Service Company)に、地域住民の参画を求めていたが、会社側は一貫して拒否してきていた。1989年の4月にスコットランドのシェトランドからコルドバを訪れていたジャーナリストのジョナサン・ウィルが北海のサロンボー(Sullom Voe)基地では住民会議があって基地やタンカーの操作を監視し、石油会社にアドバイスしているという話をした。これを聞いた友人のオット(Riki Ott)やスタイナ(Rick Steiner)は、コルドバのオレイ(Michelle O'Leary)やガード(Jeff Guard)らと一緒に市民会議制度を法的に設置できるよう運動していくことにした。5月には彼らは連邦議会の委員会で証言したり、アラスカ州選出のムルコウスキ(Frank Murkowski)上院議員に要請したりした。
1、2ヶ月のうちに、この案がアリエスカ社に提案されたが、今度は同社も前向きであった。7月には組織だった会合(アリエスカ住民助言会議、後に地域住民助言会議)が開かれ、汚染地域の自治体や関係団体が集まった。最初の主な仕事はアラスカ州の新しい石油汚染緊急計画の見直し、住民会議の定款の作成、アリエスカ社との交渉であった。この年の秋までこの組織を永続的な公益法人とするための検討が続けられた。そして、アリエスカ社からの独立性、アリエスカ社の施設への立ち入り権、安定的活動に必要な資金と永続できる保障などが重要な検討事項であった。こうして公益法人RCACが1989年12月26日に設立され、翌年2月8日にアリエスカ社とRCACの契約が締結された。この契約はパイプラインを石油が流れる限り有効とされ、RCACはモニタリングと調査を行ってアリエスカ社と地域住民に情報提供や助言を行うことになった。

 

2)法的な支援

RCACの動きは1990年の石油汚染法(Oil Pollution Act以下OPA 90と略称)にも反映された。OPA90では基地やタンカー操作を監視する市民助言団体として5002節で規定され、アラスカのプリンス・ウィリアム・サウンドとクック入り江の二つが対象とされた。この規定は知事が団体を指定し、基地の運営者や所有者、州および国の規制官庁の代表者から構成される連合組織に助言をするというもので、スコットランドのサロンボー(Sullom Voe)基地の例を参考にしている。連邦議会としてはこの二つをモデルにして、ゆくゆくは米国のすべての原油基地にこのような団体を作っていこうとする狙いがあった。OPA 90ではすでにこのような団体が存在していれば、代替できることを定めていて、プリンス・ウィリアム・サウンドRCACとクック入り江RCACが指定団体として認定された。

 

3)活動の内容

RCACはアリエスカ社の運営するバルディーズ海洋石油基地と原油輸送に関して同社と地域住民に対しアドバイスをするのが基本的な任務である。もう少し具体的に述べれば、

?@アリエスカ社の石油汚染対応計画や汚染防止計画を見直し、同計画の実効性、同社の環境保護対策や環境への影響の可能性などをチェック、モニタリングし、意見を述べる。同計画の改善に参加する。

 

 

 

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