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実験計画を発表した。実験材料としては、遺伝子工学的処理をした微生物の適用にはEPAの毒性物質局の許可を得るのに3月ほどかかることから使用せず、また微生物の導入は室内実験を含むごく小規模の実験にとどめ、主として栄養剤を添加するものであった。計画発表後、EPAの研究開発局(ORD)はエクソンに連邦技術移転法(1986)に基づいて実験の協力を求めた。エクソンも自社の技術を磨く好機と考え早速合同チームが作られた。研究結果の独立性を保つためにEPAは技術専門家を出して監督と管理を行なった。1989年の経費はEPAが160万ドル、エクソンが300万ドルを負担した。

この実験は汚染の処理ではないため、連邦事故現場調整者(FOSC)の権限外に置かれ、海岸汚染除去委員会(ISCC)や海洋気象局(NOAA)の研究開発委員会などとも一線を画された。最初の実験はナイト島南東部のスナグ(Snug)港で6月8日に始められた(図2-9)。実験開始後数週間で海岸の表面から油が消え、実験区画が矩形にきれいに切り取られたようになった。この「白い窓」はそれが溶剤の効果にすぎないという意見もあったが、その後の大規模適用に間違いなく大きな弾みになった。もう少し規模の大きいテストもパサージ(Passage)小湾で8月1日に始まった。

 

(2)大規模な適用

スナグ港での結果から、6月28日、エクソンはこれを処理作業に適用して8ヶ所で大規模に展開することを提案し、EPAのORDもそれを支持した。アラスカ地域を管轄するEPA第10地区長のラッセル(Robie Russel)も同意した。地域対応チーム(RRT)も、多少遅れたがISCCも同意した。ISCCは8月1日、バイオレメディエーションを大規模に適用することを認めるよう、週ベースの報告を求めるなどのガイドライン付きでFOSCに勧告した。このガイドラインは適用する油状と場所と肥料の種類の目安となるよう手直しされ、その後の処理の際の指針となった。また、適用の2日前には、さけなどの遡上する河を避けるため、アラスカ州の漁業・狩猟局に通知すること、考古学的に重要な地域についても同様に資源評価チームに通知し、処理の間、モニターをつけることになった。適用サイトが検討され、73区画、30マイルがまず認められた。

 

(3)地域とのコンセンサス

当初からあった、効果の有無や環境への影響の懸念などについては、実験でとにかく効果が見られたこと、特に有害な影響がなかったこと、冬までに時間がなかったことなどから、最初の年はあまり大きな論争にはならなかった。スナグ港地域の土地管理者もテストに同意した。実験地域内に文化資産があるとして関心を示した先住民グループもあったが公然とした反対運動にまでにはならなかった。ただ、健康や安全の問題、栄養剤の適用方法にミスがあることへの非難、野生動物への影響の懸念などはときどき議論の俎上に上った。例えば、8月23日にEPAはバイオレメディエーションを不適当な場所で適用したり、方法が間違っている場合があるとしてFOSCに懸念を表明している。8月末と9月にアラスカ環境保護局(ADEC)は2度にわたリエクソンに栄養剤を散布してはならない場所に行っているという違反通知

 

 

 

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