ある地方公営企業の貸借対照表では、図表8-11のように、借方に資産100、貸方に負債70と資本30が計上されている。地方公共団体が港湾管理者であり、この貸借対照表が港湾管理者の資産、負債、資本をあらわしているとする。この公営企業は、一般会計からの借入れを固定負債に計上し、それをもとに港湾や施設の整備を行ない港湾利用者に施設の貸付を行なったり、土地を造成して売却を行なうとしよう。
ここで、この企業が地方公共団体の他会計からの長期借入れを行ない、その資金をもとにして土地造成を大規模に行なったとしよう。他会計からの長期借入れは固定負債に計上され、それと同じ金額が資産として借方に計上される。科目として、借方に土地造成勘定を立てて別に会計処理することも可能である。
この企業の貸借対照表に、他会計からの長期借入れを計上すると、図表8-11の貸方において負債の割合が急に大きくなり、資本の割合が圧縮されるとともに借方の資産残高も急に伸びていく。負債が急速に大きくなっていくとき、負債と資本のバランスを一定に保つには、資本を増やすために一般会計からの繰入れが必要となる。
このようにして調達した資金で造成した土地が順調に売却できる間は、一定期間後に土地売却代金を計上して、この企業の経常収支に大きく貢献する。しかし、いったん土地需要が低迷し、周辺の地価が著しく下落した場合には事態は一転する。まず、造成した土地が大量に売れ残るが、土地については減価償却をしないのでただちに経常収支を悪化させるわけではない。
より深刻な問題は、仮にこれら資産を時価(処分価格)で評価したとすると、不良在庫(売れ残った造成土地)の急増によって含み損が表面化するので、この企業の資本は図表8-13(179ページ)のように圧縮されるということである。つまり、車のエアバッグの役割を果たしていた資本が大幅に圧縮されることによって、この企業がきわめて投機的な経営を行なうおそれが生じる。
なぜなら、公営企業は自己資本よりも企業債によって借り入れた資本の割合が大きく、これら企業債の引受先は国(財政投融資、簡易保険)や公営企業金融公庫である。たとえ、欠損が増大して資本が大幅に圧縮されても、企業債の起債による資金調達や一般会計からの繰入れ、他会計からの借入れにより自己資本金を増やすことができるので倒産という事態が想定されていない。その意味で、この企業はモラルハザードを起こしやすい環境に常におかれている。しかも、「いずれ地価は値上がりする」という土地市場の過去の事実にもとづいた予測のもとに、不動産の価値を過大評価したまま経営が行なわれたとしても、外部の第三者がこれを未然に抑止することができない。
(3) 会計情報にもとづく港湾経営
実際のところ、企業会計方式をとる普通法人でも簿価(取得原価)による評価が一般的であり、時価(処分価格)による評価は条件付きでしか行なっていない。例えば、売買のために所有する土地は流動資産に分類されるが、商法によって流動資産の評価は原価法が原則とされている。だが、債権者保護の立場からすると、もともと原価法は価額の低下による損失を認識するのが遅いという欠点がある。商法では時価が著しく原価より低いときには、その価格が原価まで回復すると認められる場合をのぞき、時価を付さなければならないと規定している。ただし、ここでいう時価とは決算期による時価であり、これが著しく原価より低いかどうかの判断は、企業経営者の良識に委ねられている。しかも、経営者が単に「いずれ地価は回復するだろう」と考えただけでは不十分であり、資産価格低下の原因や需給の見通しまで考えたうえで判断しなければならないとされている。
ここで、もし時価が著しく原価より低くなったにもかかわらず経営者が資産の評価替えをしなければ、その企業の貸倍対照表は実態として図表8-13であるのに、図表8-11のようにみえるであろう。
いかに合理的な意思決定を行なう組織であっても、誤った会計情報にもとづいて意思決定を行なえば誤った判断を下してしまう。また、その企業が行政担当者や地方議会の監視のもとにおかれていたとしても、現行のような簿価による評価のもとでは、どの資産についてどれだけの規模で不良債権化しているのか誰も正確に把握できない。加えて、地方公営企業の場合は、一般会計からの繰入れや他会計からの長期借入れによって、会計上の問題を表面化することなく事業を続けていくことができる。その意味では、一般会計からの繰入れや他会計からの長期借入れは、たとえ採算性に限界のある公営企業を存続させるために必要であるとしても、常にその企業をモラルハザードを起こしやすい環境においているといえる。
さらに、会計上の費用とは別の概念として、機会費用としての税金の使い方も問題化する。すなわち、これら一般会計からの資金は、もともと納税者の税金であり、公営企業に投入されなかった場合には他の行政サービスに有効に使うことができたかもしれない。その意味では、地方公共団体の行政サービス全体について、税金の費用対効果を計測し、政策の実施に優先順位を付けるための評価システムの開発が必要とされる。
以上をまとめると、地方公共団体が経営している地方公営企業、準地方公営企業、あるいは地方公共団体が出資している法人の経営について、事業の採算性と運営の責任を明確にするために、時価評価にもとづく最新の会計情報が必要である。すでに都市銀行は、信用格付制度の導入に動き出した。これはバブル崩壊とともに巨額の不良債権を抱え込んだ反省から、融資先の経営悪化などによって貸出金の回収に支障が出る危険(信用リスク)を把握するための情報管理である。金融機関に限らず、今日あらゆる運営形態の企業が常に信用リスクにさらされている。地方公営企業についても、不確実性のもとで下された最善の判断が事後的にも最善のものであるために、資産の健全性を示す正確な会計情報の分析と分析結果の説明が必要であろう。