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8. 英国の港湾民営化政策

 

(1) 1980年代までの港湾政策

 

英国においては1979年に保守党によるサッチャー政権が誕生し、民営化と規制緩和を政策目標とした。そのなかで公有企業の関与が大きかった港湾が民営化プログラムのなかに位置付けられ、国際貿易を支えるインフラとして、港湾効率化政策の必要が高まった。

80年代初めの第1期民営化以前、英国の港湾には大きく4種類の所有形態があった。

?@国有企業体:62年の英国運輸委員会(BTC)廃上によって、国有港湾の所有は、a.英国運輸港湾委員会(BTDB)、b.英国水路委員会(BWB)、c.英国鉄道委員会(BRB)に移管された。bは小規模な河川港、cは海峡フェリー連絡港を所有し、大規模港湾はaに属した。

?Aトラスト(信託、自治)港湾;トラスト(準政府機関である法定受託団体)によって所有管理されるもので、義務、責任、権限を規定した国の法律のもとに設立されたものである。交通大臣任命の主要利用者、財界人、官僚からなる評議委員会が意思決定を行なう。60年代の湾口ごとのグループ化による再編の結果、当該形態のシェアが最大であった。

?B地方自治体直営港湾;地方の条例に従って運営されるもの、

?C少数の民間(専用)港湾と特殊会社港湾、

であった。

これらの管理主体とは別に、港湾区域内において保全、水先、浚渫、倉庫、荷役などの施設・サービスを提供する公・民両セクターの会社が存在した。荷役会社数は急激に減少していたが、46%は港湾管理者自身であり、それらが登録済労働者の70%以上を雇用していた(1980年)。

62年以前、英国の港湾は取扱量の最大化を指向し、サービスの質には配慮していたものの、財務目標が不明確であった。このため、財務成果が不十分にもかかわらず、初期に低資本で形成した耐用年数の長い資産によって生き残りを果たしていた。財務成果は70年代終わりには少し改善に向かうが、旧式で過剰な施設からの投資撤退は難しかった。

1981年交通法のもとで全国港湾審議会(NPC)を廃止し、84年には国の港湾投資に対する承認・不承認の統制をなくした。89年には、日雇労働者の保護・常用化を目的とした1946年港湾労働者(雇用規制)法と、これに基づく全国港湾労働計画(NDLS)を廃止した。

港湾労働者を柔軟に雇用できるNDLS適用港とそうでない非適用港とでは効率性に大きな差があった。NDLSは、大規模港湾を適用対象としていたため、結果として中小港湾が大規模港湾よりも有利となり、当初は大きな差があった適用港と非適用港との間の取扱貨物量の格差は縮小に向かった。このなかで非適用港、とりわけフェリクストウ港との競争に敗れた港湾とそこにおける労働者を救済するため、港運事業者協会自身がNDLSの廃止を求めるに至った。

英国の港湾における第1期民営化として、1981年法は英国運輸港湾委員会(BTDB)を英国港湾連合(ABP)に再編した。同連合は83年に民営化され、株の49%が売却された。旧来の法的義務を残すため、ABP持株会社を会社法会社とする仕組みがとられたが、この仕組みはあまり機能しなかった。英国鉄道委員会(BRB)も同様に民営化された。

 

 

 

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