(4) 生産・技術開発の海外移転段階における物流ニーズ
1) 生産・技術開発の海外移転
アジア諸国では、自国産業を保護するため輸入割当てや高い関税率が設定されていた。このため、日本企業は、輸入障壁の高いアジアでは、欧米諸国以前に現地生産を行なっていた。繊維産業では1950年代から、電機産業では60年代から、東南アジアヘの進出が始まった。その目的はおもに現地市場を確保するためであり、労働集約的な最終生産工程を中心とする小規模な生産投資が主体であった。
一方、欧米諸国との間では、60年代後半以降、日本製品の大量輸出が貿易摩擦として問題とされるようになった。68年には米国でカラーテレビのダンピング問題が取り上げられ、この問題は長期化し、77年には輸出自主規制をみずから課さなければならなくなった。繊維、自動車、半導体、工作機械などの輸出でも同様な経緯をたどった。日本の製造業者は、輸出から欧米諸国での現地生産に切り替えることを余儀なくされた。
70年代に入ると、貿易摩擦が激化する欧米向け輸出生産基地としてアジアヘ生産拠点を移転する製造業者が増えてきた。この動きは、アジア諸国が国際競争力のある産業を育成するため、輸出加工区を設置し外国企業を誘致する政策によって加速された。この時期になると、それまでと比べより大規模な海外生産投資が台湾、韓国、シンガポール、マレーシアなどで行なわれるようになった。
しかしながら、日本企業の海外生産は「仕方なしの現地生産」1であり、71年から85年までの国際戦略の中心は輸出であり現地生産はサブであった。輸出から現地生産へ戦略が転換したのは、85年のプラザ合意以降、急速に進んだ円高局面であった。日本企業では、生産拠点の海外移転が加速し始め、さらには海外市場の特性に対応するため技術開発やデザインなどの機能を移転するケースも増大した。日本企業の海外生産比率は、86年の3.2%から上昇を続け、95年には10.0%に達したと推定されている。海外進出企業に限れば、95年度の海外生産比率は25%を超える見込みである。
注1 日本企業に特徴的な受け身の海外進出をさしている。吉原英樹「国際経営」、52ページ参照。
2) 物流ニーズの拡大
海外生産が本格化すると、原材料、部品の調達物流を管理する必要が生じ、次のような範囲まで物流ニーズが広がってきた。
・海外生産拠点での原材料、部品の調達物流
・海外生産拠点から販売拠点への販売物流
・日本への製品逆輸入
海外生産拠点での調達物流は、原材料、部品の調達先によって、日本からの輸入、海外現地での内陸輸送、第三国からの輸入など、様々である。一般的には、生産拠点の海外移転が初期の場合には、日本からの輸入が大部分を占め、徐々に現地調達の割合が高まる。
このような現地調達の拡大は、当初の組立型の生産拠点の移転がスクリュードライバー型として批判されたことから加速した。主要部品を輸出して組立のみを現地で行なう方式では、現地経済への波及効果は限られる。海外諸国では、調達の現地化を進めるため、徐々にローカルコンテンツを強化するようになった。日本企業は、組立工程だけではなく、より広い工程を海外に移転することが求められるようになった。