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3) コンテナリゼーション

このような物流ニーズに呼応して、物流システム面ではコンテナリゼーションが始まった。堅牢で規格化されたコンテナを一貫した輸送用具として利用することにより、荷役が迅速化され、積み替えによる損傷を減少させることが可能になった。アメリカで始まったコンテナリゼーションは、日本関連航路では68年北米航路で開始された。70年には輸出のコンテナ化率(外貿定期船取扱貨物量に占めるコンテナ貨物の比率)は12.8%となり、80年には50%を上回り、以後も増加を続けている。

荷主企業は、顧客の需要地に近い欧米諸国の内陸地域に自社のストックポイントや販売拠点を設置するようになった。内陸までのドア・ツー・ドア輸送が重視されるようになり、海上輸送とトラック、鉄道などの複数の輸送機関を結び付けた複合一貫輸送が導入されるようになった。コンテナリゼーションは、その後の国際物流の主役となる複合一貫輸送を発展させる技術的な裏付けともなった。

 

4) 航空貨物輸送

日本企業は、音響機器や光学機器などで市場革新的な製品を生み出し、世界に輸出するようになった。これらの製品は重量当たり価格が非常に高価であり、海上輸送中の金利負担や保険代の高さが認識されるようになった。またマーケティング面でも、店頭での品切れ損失が大きかった。このため、運賃は高くても迅速な航空貨物輸送が利用されるようになった。

航空輸送技術面においても、60年代後半にボーイング747(ジャンボジェット)やDC-10などのワイドボディ機が相次いで導入されたことが航空輸送発展の契機となった。従来の主力機種であったDC8F、ボーイング707Fの積載能力が約30トンであったのに対し、ジャンボジェットの貨物専用機では約100トンになった。これにより、輸送キャパシティーが大幅に増大するとともに、航空輸送費用は低減した。航空貨物運賃は、60年代から第一次石油危機の発生まで名目値で低下を続け、実質価格では大幅に下がった。

 

5) 海外物流センターの設置

海外市場が拡大するにつれ、海外での顧客ニーズに対応するため、顧客の発注から商品の配達までのリードタイムを短縮する必要が高まってきた。このような物流ニーズに対応し、海外拠点での物流を効率化するために、市場立地型の物流センターを設置する企業が増えるようになった。また需要量の増大とともに、営業倉庫の利用からより自由度の高い自家用倉庫へ切り替えたり、在庫削減のために集中倉庫方式を採用する企業もでてきた。

物流管理面では、海外特有の規制や慣習などに適合し、効率的に物流管理を行なう必要が生じてきた。このため、当初は現地事情に詳しい現地フォワーダーや現地に進出した日系フォワーダーに委託する場合が多かった。しかし、自社の物流管理を強化するため、現地法人に物流担当部署を設置し、みずから物流効率化に取り組む企業も増えてきた。このような企業では、物流管理の権限もオペレーショナルなものから海外拠点に委譲されるようになった。

 

 

 

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