(2) アメリカの論争と経緯
?@ 米国の暗号政策の経緯の概要
米国では、まず、1993年にクリッパー1と呼ばれる暗号政策が発表された。これは、インターネットを対象とするものではなく、携帯電話などの通信機器にクリッパーチップと呼ばれる暗号装置の組み込みを義務づけ、さらに、その暗号鍵の供託(キーエスクロー)を求めるものであった。
クリッパー1は国民のプライバシー侵害である、との大きな反発を招いたため、米国政府は1995年にクリッパー2を発表した。クリッパー2はクリッパー1の修正案であり、鍵供託機関として、民間の機関を認め、鍵供託を条件に暗号製品の国外輸出を許可するものである。しかし、これも問題点を指摘され、米国政府は、1996年にKMI構想を柱とするクリッパー3を発表した。
?A クリッパー1
通称クリッパー1とは、1993年4月に発表された政府構想であり、次の2つの点を要素とするものである。
・ 端末へのクリッパーチップの組込み(将来的には条件付きの暗号利用)非公開の共通鍵暗号アルゴリズム(名称:スキップジャック)を組み込んだ半導体チップ(名称:クリッパーチップ)を通信端末へ設置することを、政府機関のみならず民間における暗号利用の前提とする。
・ キーエスクローシステム(Key Escrow System)の構築
暗号鍵を二つに分けて政府の異なる機関(財務省と米国国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology:NIST)が持ち、裁判所の令状に基づき、政府が2つの暗号鍵を合わせて解読を行えることとする。
この構想に対しては、キーエスクロー機関が政府機関であることに加え、暗号アルゴリズムが非公開であるため、政府機関が秘密裡に暗号解読を行うのではないかとの懸念が生じ、米国内でも多くの批判が浴びせられた。
?B クリッパー2
通称クリッパー2とは、クリッパー1への批判を踏まえて1995年8月に発表された