旅客数は年間数十万人と、航路依存人口1,529人に対し、圧倒的に多い。昭和62〜63年の1年間の輸送人数は約44万人であったが、それ以降は毎年増加を続けて、最近の1年間(平成8年10月〜9年9月)ではついに70万人を突破した。
これは、平成元年にオープンした伊王島のリゾート施設への観光客の激増によるものである。
当航路は、昭和46年に国庫補助航路に指定され、昭和55年度まで補助を受けていたが、昭和56年度から62年度までは不受給であった。その後、昭和63年度から再び欠損が生じたが、平成6年度以降国庫補助は受けていない(県の補助のみ)。
?経営改善対策の導入状況
伊王島、高島とも、かつては炭鉱の島として盛え、最盛期には両島合わせて3万人近くの人口があった。当時は、野母商船(株)が長崎〜高島航路を、長崎汽船(株)が長崎〜伊王島航路をそれぞれ運航し、合計7隻の船舶を所有していた。その後、昭和47年に伊王島鉱が、昭和49年に端島鉱が閉山したこともあいまって、苦しい経営を強いられることとなったため、航路を一本に集約し、船舶も3隻(現在は2隻)に減船した。このことが効を奏し、昭和56年度から62年度までの7年間、黒字に転化し、補助金不受給となった。しかし