2.2.4 Nakhodka号油流出事故
(1)発生状況
1997年1月2日、午前2時50分頃、島根県隠岐島北北東約106kmを航行中のタンカー「Nakho dka号」の船首部が折損、後部側が沈没し、船首部が漂流した。この時の天候は、北西の風20m/s、波高6m、うねり4m以上で、破損したタンクから推定約5,600t(約6,240kL)のC重油が流出した。事故発生から6日後の1月8日にはその一部が沿岸に漂着した。船首部は、船倉に推定約2800kLのC重油を残したまま漂流し、1月7日に福井県三国町沿岸に着底した。
(2)対応
海上保安庁は、事故発生の通報を受けて、人命救助を行うと共に、関係自治体への情報提供を開始した。1月4日、第8管N号海難・流出油対策本部を設置、1月6日、関係省庁連絡会議(18省庁)を開催し、流出油の防除に取り組んだ。
対応にあたっては、流出油の沿岸地域への影響を最小限にすることを基本とし、浮遊油については海上保安庁が中心となり海上災害防止センター、港湾建設局、自衛隊等の関係機関と協力して回収を行った。
沿岸漂着油については、関係自治体が中心となり、自衛隊、海上災害防止センター、港湾建設局、民間ボランティア等の協力を得て回収作業を実施した。
福井県三国町沿岸に着底した船首部については、海上災害防止センターが海上保安庁長官の指示を受けて油の抜き取り作業を実施した。抜き取り作業は、海上から実施すると共に仮設道路を建設し、これを介して抜き取る等の方法も行われた。また、油抜き取り後の船首部については、4月20日に撤去、これを広島に輸送後、船体折損の原因調査が行われた。仮設道路については、6月7日、撤去作業を開始した。
船尾郡については、3月26日に「船尾郡残存油対策委員会」の報告書がとりまとめられた。
それによると、船尾部からの湧出油量は1日あたり3〜14kLで、広く拡散しているため、直接的な影響はないとされているが、海上保安庁は、巡視艇、航空機等により引き続き湧出油の監視。警戒を実施している。
事故発生後、一週間以上を経過した流出油はムース化し、粘度が上昇していたため、ガット船やグラブ船によるつかみ取り回収が実施された。これらの船舶は、瀬戸内海から5隻が回航された。回収に際しては、ガイドフェンスを1隻が曳航、集められた流出油をガット船が回収するという2隻単位のスウィーピング方式を計画したが、荒天で連携が困難なため、ガット船による単独回収作業となった。これにより約1000kLの油水(うち油分約850kL)が回収された。
油回収船は、国内では、運輸省第5港湾建設局附属の「清龍丸」をはじめ、福井石油備蓄(株)「あすわ」、むつ小川原石油備蓄(株)「第3たかほこ丸」、白島石油備蓄(株)「はくりゅう」、民間会社「航洋丸」、「寿号」、他多くが提供された。
また、この他、シンガポールの流出油対策チームEARLからRO-SKIMシステム、ロシアからオイルフェンス、オイルトロールDESMI250、フォックステイル等の回収システムを搭載した油回収船の提供協力があった。
地元小型漁船による回収作業は、2隻を1セルとして回収ネットを曳航して実施され、その他ヒシャク等による回収も実施された。
これらによる海上作業での流出油の回収量は5665kLにのぼった。