利侵害行為について裁判所に訴える権利は、近年のロシア市民には保障されているとはいえ、この権利は、多くの場合に政治家や行政官僚によって行使されているにすぎず、わが国の住民訴訟などが現実問題として日程にのぼるのはまだ先のことといわなければならない。住民の自治、その民主的権利の保障といった問題が、ロシアの市民にとって現実の日常的課題として意識される日はまだ先のことかも知れない。そしてまた、地方自治問題にとって自治体財政はもちろん最重要課題である。圧倒的に多くの自治体が、自主財源において枯渇し、政府の助成なしにはなりたっていかない。産業構造の再建の正否が、地方自治の運命をも握っているのである。集権的国家の歴史を引き摺り、広域行政や中央指導の開発行政を基本としてきたロシアが地方自治にふさわしい地方財政制度をいかに構築するかは、なお今後の課題であろう。広域行政との関連では、経済的にはロシアは10の経済ブロックに区分されており、地方制度や地方自治の問題にっいてもこのブロック編成と連動させるような議論も必要だと思われる(35)。
本稿でも繰り返してふれてきたように、ロシアの現実における地方自治のあり方は、地方政治におけるさまざまの緊急かつ重要な事項である住民の生活の保障とその水準の向上のために、民主主義的な手続なのか、あるいは合理性と効率性が優先されてしかるべきか、という基本的な論点を持っている。『ロシア連邦』誌のフレノフ編集長は、現在ロシアには地方自治についてふたつの見方があるとし、ひとつは国家の土台を固めるセンメントであるとするものであり、いまひとつは、ロシアにとって地方自治はぜいたく品であって時期尚早だとするものだと私に語った。しかし、モラトリアムの設定は、地方における立法の発展の可能性ばかりか、住民の自治意識、民主主義観の成育そのものの可能性さえ先送りしてしまうであろう(フレノフの見解でもある)。残念ながら現実は、地方の行政長官による「自治ではなく個人行政」だといわれるように、行政的押し付けを強めているというのが事実である(36)。ウドムルト問題はまさにその典型的な一例であり、ロシアの不幸はそれにすら一定の社会的背景が存在するということにあるのである。私は、いまのところ、時間がかかっても、効率ではなく民主主義の契機を重視すべきであり、それが結局は%道であり、自治を確かなものにすると考えている。
ピスコーチンは、かつて、地方自治の実現と発展にとって絶対的に必要な条件ついて、<1>国の行政システムの分権化、<2>住民が選挙し、コントロールする代表機関の創設とそれへの地方的問題にたいする自立的決定権の付与、<3>地方権力の固有の権限における上級機関からの独立、<4>予算と財源の自主性の存在、<5>最低限の自治体財産の保障、<6>レファレンダムなどの直接民主主義の実現と住民の積極的参加の6点をあげていた(37)。現在のロシアの実状を振り返りながら、その地方自治の実現の重さを確認して本稿を結ぶことにしたい。
(竹森正孝/東京都立短期大学教授)