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ずであつた。

新地方自治法の制定が、結果として95年夏まで延びたことはおくとしても、そこで予定された公布後6ケ月以内の選挙実施という線さえ実行に移されず、96年4月にはこれを16ケ月後というように再延期する始末であった。その結果として、96年秋から年末にかけて一斉に各地で地方選挙が行われたのである。大統領からは、選挙法改正にっいて違憲の疑義が提起され(憲法裁判所は合憲判断)(33)、各地の行政長官の選挙を選択的に大統領令によって実施に移すという手法がとられた。96年11月、下院の国家会議は、地方自治体における住民の選挙権の保障にかんする法律と臨時の地方選挙規程をようやく採択した(34)。

選挙制の地方自治機関の成立は、このように大きく遅れた。ロシアの市民は、結局93年秋以来、まる3年間にわたって、自ら地方自治体を形成する権利を奪われてきた。地方自治は民主主義の学校だとは、しばしばいわれることであるが、この学校は事実上再開になったばかりで、今後どう運営されていくのか、今後の課題だといわなければならない。

その地方選挙についても、なおその結果についてのデータは揃っていない。連邦中央レベルでもそれらを集約する準備がない。ここでも個別事例の検討をまつほかない。

 

4 むすび 一 ロシアにおける地方自治実現への課題 一

本稿で問題とした地方制度は、実は連邦構造にかかわる問題でもある。新憲法制定以前は、連邦条約締結に端的に表現されていたように、連邦国家として、その内部に「主権」をもつ共和国とそれをもたない地方や州をもつことによって、連邦構成の原理に二重性が孕まれていた。新憲法がその「主権」規定をはずすことによって、地方や州は、共和国と同等の地位を憲法上も確保することになるが、それではいかなる連邦原理にもとづくのかが相対化され、地方自治体でもなく、国家でもない地方と州は、やはりその位置はあいまいのままであり、「分権」化はなされるものの、その行政府の長は連邦中央とのパイプを維持することに必死という事態を生み出している(この政治力学が、矛盾の多い連邦構造にもかかわらず、それなりにロシアの政治を機能させている要因でもあるのだが)。

一方、地方自治の法認は、ロシアにとって新たな前進であることは間違いない。しかしここでも現状にはそれほど楽観的な展望を見いだせない。住民は、その選挙によらない首長の存続と議会「解散」・選挙の繰り返しての延期によって、その中核部分を長く喪失したままであった。ようやくにして96年秋以降にこの選挙が実施されつつあるにすぎない。種々の法令や地方憲章のなかには、住民の行政にたいする民主的統制やその手続にっいての記述はほとんどない。行政訴訟法によって、行政機関や公務員の違法行為、権

 

 

 

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