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向島(むくしま)

(ア)位置・航路

 肥前町の北西2.3kmにある周囲4.0km、面積0.30km2、長崎県境にあって、玄海諸島で面積最小の島(外海・本土近接型離島)である。
 航路は本土・肥前町星賀港から4.0km、時間にして10分。客船は向島丸9.1t(個人経営)で、1日2便就航している。
 

(イ)沿革・歴史

 向島の名前は神功皇后が新羅遠征のおり、加唐島から海を眺めて「あの島は向こうを向いている」といわれたことからきているともいわれる。島に人が住み着いた時代は定かではない。「東松浦肥前町向嶋小史」(1996年)によると、文歴2年(1234年)の有浦文書「尼いわひろ譲状案」では宇野御厨の所領となっているが、当時住民がいたかどうかは不明である。歴史的に定かになってくるのは文禄・慶長の役(1592〜98年)の頃からで、波多三河守が滅ぼされた時、残党がこの島に逃れて住み着いたともいわれている。
 以後、向島は軽罪の流刑地、重罪は馬渡島送りであったという記録もある。悲恋の流刑にからむ「おたよ伝説」はこの一端である。
 向島八坂神社の祇園祭りは島民の半焼酎こよる接待が盛んで、「賑わい見るなら博多の祇園、酔人みるなら向島祇園」といわれ、神殿で酒宴にあずかれぱ疫病避けになるといわれた。
 この島が注目されるようになったのは、唐津藩と平戸藩の境界地帯となったことによるが、中世では上下松浦地域の接点地域でもあった。元禄7年の文書に「平戸境目之儀にて大事に思召され」とあり、境目の番を申しつけた記録がある。以後、役人の駐在機会が増えるにつれて開発が進んだとみられる。
 

(ウ)自然・土地

 対馬海流の洗う島として比較的温暖で、甘藷などの適地であるが、冬の北西の季節風は強く海も荒れ、他の島同様に台風の影響も受けることが少なくない。しかし、海流の恵みもあって水産資源が豊宮である。最高66mの山塊を有し、玄界灘の沈降で本土から切断されてできた島である。島の基盤は第三紀層の砂岩からなっており、この上に玄武岩が噴出して乗っている。南西約1kmの海蜘こは元宏で名高い鷹島(長崎県)があり、長崎県離島群との連携軸形成の可能性を有する。

 

 

 

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