も、明瞭な正の相関が証明されている、無数の要因の一つに過ぎないが、仕事レベルでのストレスの軽減はボランティア精神の自然発生的な発露を生むといいうる、とすれば、週休2目制を徹底し、休日を増やし、残業を減らすことで、確実にボランタリズムの土壌を耕すことにつながってくる。それで組織能率・行政能率が低下するのであれば、組織外の人間からボランティアを募ってカバーしてもらえばよい。
離婚大国のオーストラリアで興味深いのは、家族の面倒は見ないが、ボランティアとして他人の世話なら喜んでやるという逆説である。組織レベルでも、自分の属する組織に生涯縛り付けられるのは苦痛でも、直接関係のない組織や活動のために奉仕するのは、それこそ動機の項目に挙がっているように“ファン”(楽しみ)になりうる、社会の全仕事量の総計は同じでも、個々の人間の専任の仕事とボランティア活動との組合せの工夫により、その満足度が全く違ってくるということは大いに考えられる。日本の政治行政学者にとってはまだ未開拓地であるこの国について、政治社会・組織文化・労働慣行などの側面からもっと研究を積み重ねる必要があろう。
次に、日常と非日常の関係についても一言つけ加えておきたい。本章では十分に論及できなかったが、ボランティア活動はそれ自体、日常のルーティーン・レベルのものであっても、インフォーマルで非制度的な、裏返せば政策的な対応を求められる。すなわち、福祉であれ、市民相談であれ、恒常的に入れ替わりの激しい流動的なスタッフ環境の中で、常に新しい同僚と臨機応変に事に対処する柔軟性が求められている。ボランティア・マネジメントの側からいうと、不断に変わる顔ぶれの組織を把握し、各自のさまざまな動機と技能の理解の上に立って、適材適所を試み続けなければならない。他方、ボランティアの側からいうと、専任として務める職場の固定した役割とは異なる、流動的な状況の中で自分の役割を的確に把握し、その中でできること・できないと・やってはならぬことを考えながら活動することが求められている。
実は、こうした流動状況での柔軟なマネジメントとダイナミックな役割認識は、非日常における危機管理にとって不可欠の条件であり、かつ有効なリーダーシップが発揮される前提である。おそらくオーストラリアでは、社会的インフラともいうべき福祉・行政相談防災・救助といった諸活動の多くが日常的にボランティアによって支えられているために、組織のマニュアル化の度合いが比較的低く、個人レベルでも「制度型思考」よりも「政策型思考」の方が発達しているということであろう。事例で紹介したように、たった1人の専任職員がなぜ非常時において数百人から千人を超えるボランティアを的確に指揮
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