2つは高い成長。1997年ASEAN諸国は8%前後の成長を達成しよう。5%のフィリピンを除き、非常に高い成長率をもっている。うまくいっている国は、現状を変えたくない。それが、EUに比べ、統合への政治的意思が弱い理由として挙げられるのではないか。
東アジアの高成長について、「奇跡か幻か」が議論されている。世銀、アジア開銀は奇跡は続くと考えている。しかしクルーグマン教授は幻に終わるとみている。1990年代のリー・クアンユーのシンガポールは1950年代のスターリンのロシアと同じであると、クルーグマンの『フオーリン・アフェアーズ』誌の論文には書いてある。つまり、アジアの国々は1回の投入、資本とか労働の1回の投入によって成長率を高めたのだから、長続きしない。幻だと言うわけである。
しかし、東アジアの高水準の貯蓄と投資は、今後も続くと思われるので、この地域の経済見通しは依然として明るい。また一部の国を除き、短期の外貨建償務に依存していない。
したがってメキシコ・タイブの危機が生じ、日本の大蔵省が、アメリカ財務省のように支援のために大きな負担をすることはないとみられる。
このASEANは、政治的なつながりとしてスタートし、NAFTAに対して、AFTAというようなスキームを創りあげつつある。域内の関税引き下げと原産地規則を整備することにより、竜機産業や自動軍産業の部品の生産、調達を促進する働きをしてきている。
そこにオープン・リージョナリズムといわれるAPECが、アンブレラのように、かぶさっている。
自由で開かれた貿易と投資を実現するために、ボゴール宣言で設定したビジョンと具体的目標が、95年秋の大阪サミットで確認された。
大阪サミットを契機に、このビジョンと目標を現実のものとする行動段階に入ったといえる。
APECは、アジア太平洋地域の高い成長を持続可能なものにする上で重要な役割を担っている。また、アメリカのアジアに対するコミットメントを鮮明にした意義も大きいと思われる。
マハティールの提唱したEAECについては、CすなわちCaucusをCooperationに置きかえるなどの形で政治的色彩を軽減し、オープン・リージョナリズムとしての性格を堅持するものであれば問題はない。アメリカ抜きで進めていってもいいと思われる。