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II:リージョナリズムの可能性と限界

1.ヨーロツパ:ECからEUへ

(1)政治的統合

EUは1つのヨーロッパを目指す動き、政治的な統合をめざして始まったといえる。政治的統合を力ではなく、合意により国の枠組みを越えた仕組みを作ることによって確保していこうという考えである。このような考え方は、古くは14世紀に詩人ダンテによって画かれていたといえる。第1次世界大戦後、オーストリアのカレルギー伯爵が「汎ヨーロッパ」の考えを提唱し、ヨーロツパ統合運動に火をつけた。この運動が1926年、ウィーンで開かれた「汎ヨーロッパ会議」につながり、24カ国から2,000人が参加した。1929年フランスのブリアン外相は、欧州合衆国(United States Of Europe)の構想を提唱した。翌1930年のブリアンのメモランダムには、集団安全保障機構の創設、欧州共通市場の形成、物、人、資本の段階的自由化が盛り込まれている。第2次世界大戦後、1948年ハーグで開催された「ヨーロッパ会議」(Congress Of Europe、議長チャーチル)で国家主権の一部統合、ヨーロッパ議会の設立、ヨーロツパ人権裁判所の創設が提唱された。その後、東西対立の激化、「ドイツ問題」の浮上により、「ヨーロッパ統合」論議はやや低調となった。この「ヨーロッパ統合」を議論の世界から、現実の世界に移行させるべくエ夫をこらしたのがジャン・モネである。モネは一挙に政治的統合を目指すのではなく、ヨーロッパに連帯感をもたせる経済的な成果が先であるとの認識をもった。この考えを基礎に仏、独、伊、ペネルツクス3国の6カ国からなるECSCが1952年に発足した。ECSCと並行して進められ、「ヨーロッパ統合」の両輪の1つと考えられていたEDC(欧州防衛共同体)の設立は、フランスによる条約批准の拒否により陽の目をみなかった。

 

 

 

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