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バラスト水問題の現状と課題
国土交通省総合政策局環境・海洋課 海洋室長
小滝 晃(こたき あきら)
はじめに
 本年2月、国際海事機関(IMO)において、いわゆる「バラスト水条約」(船舶のバラスト水及び沈殿物の規制及び管理に関する国際条約:International Convention for the Control and Management of Ships' Ballast Water and Sediments2004)が採択(条約の条文を確定させること)されるとともに、今後は、MEPC(IMO海洋環境保護委員会:Marine Environment Protection Committee)において条約実施のためのガイドライン作成作業を進めることが決議されました。世界有数の海運大国であるわが国としては、こうした国際的動向に対して、海洋環境の保全と海運との調和を基本に、適切な対応を行っていく必要があると考えられます。
 そこで、バラスト水条約が採択されたこの機会をとらえて、関係方面の関心が高いこの問題の現状と課題をとりまとめてみたいと思います。
 
バラスト水問題とは何か
 「バラスト水」とは、船舶が空荷になった時の安全確保のため、「おもし」として搭載する海水のことをいいます。船舶が貨物を運送する際には、貨物自体が「おもし」になって船体を安定させていますが、空荷になった際には、船体が浮き上がり安定性が低下するため、空荷になった貨物船の出発地の港において、船種にもよりますが、原油タンカーで積載貨重量の30〜40%に相当する海水(バラスト水)をバラストタンクに搭載するのが通例となっています【図1参照】。
 2003年9月にGloBallast注)の広報誌に掲載されたノルウェーの船級協会による推計によれば、世界で年間30〜40億トンのバラスト水が移動していると考えられ、また、(社)日本海難防止協会の調査によれば、1997年において、わが国には年間約1,700万トンのバラスト水が持ち込まれ、約3億トンが持ち出されていると推計されています。
注)GloBallast とは、IMO/UNDP/GEF が2000年から途上国によるバラスト水問題の把握、状況の観測、バラスト条約の準備対応等の取組の支援のために開始した国際的プログラムです。世界の6カ所(中国、イラン、インド、ウクライナ、南アフリカ、ブラジル)にデモンストレーションサイトを設置するとともにバラスト水問題に関する調査研究に対する指導等を行っています。
 
図1 タンカーの満載状態と空荷状態との比較
 
満載状態
 
空荷状態(バラスト水搭載中)
 
 1980年代末から、北米五大湖などの淡水域や海洋・沿岸域における外来種の生物の増殖による環境被害(生態系の破壊)、経済的被害(産業・漁業活動への被害等)、人の健康被害(病原菌等)等が問題化し、その原因はこれらの外来種がバラスト水に混入して移動してきたことに起因するのではないかとの指摘がなされ、対策のあり方が国際的に問題とされるようになりました。これが、いわゆる「バラスト水問題」です。
 IMOが、各国からIMOに報告された外来種の侵入事例として、1998年に発表した資料によれば、1979年から1993年までに外来種の侵入事例として発見された生物種が66種類あるとされています(このうち、わが国を起源とする種の侵入事例は14種類とされています。)。一例を挙げますと、わが国に外来種として侵入してきた種としてワタリガニの一種があると報告されているほか、逆に、わが国を含む北アジアから他の地域に侵入した種としては、モクズガニやワカメがあると報告されています【図2参照】。
 バラスト水問題とは、このような環境、人間の健康、財産及び資源に対する外来種伝播による被害の問題のことをいいます。バラスト水等による外来種の伝播による問題の発生過程は、図3のような構造を有すると考えられます【図3参照】。
 
図2 IMOが最も顕著な環境影響をもたらした10種の水生生物として挙げている事例(IMOホームページによる)
 
図3 外来種の伝播による問題の発生過程
 
IMOにおける論議の経緯
(1)ガイドライン化段階(1988〜1997)
 1988年9月、第26回MEPC(MEPC については、以下、回数を付して「MEPC26」等と表記します。)において、カナダが、五大湖に紛れ込んだ外来種の生物が重大な被害をもたらしているとの研究報告書を提出し、各国の情報提供を要請しました。その後MEPC 29(1990.3)において、豪が、有害プランクトンの伝播の主要因はバラスト水中の沈殿物と考えられるので、豪に入港する船舶にバラスト交換を行わせる法規制を実施すると表明するとともに、MEPCの作業計画として検討を行うよう提案がありました。これを踏まえ、バラスト水問題がMEPC 30(1991.1)の正式議題として取り上げられ、IMOにおける本格的な議論が開始されました。
 IMOにおける議論は、1997年頃までは、一言で言えば、後のバラスト水条約の前身となるガイドラインを策定する過程であったといえようかと思われます。
 IMOは、1993年11月の第18回総会で、それまでのMEPC の議論を踏まえ、水深2,000m以上の海域での「バラスト水交換」(外洋域に生息している生物は沿岸域の環境に適応できないとの考え方に基づき、外洋域を航行中にバラスト水を排水し、海水を取水し直すこと)を推奨すること等を内容とする「船舶のバラスト水・沈殿物排出による好ましくない生物・病原体侵入防止のためのガイドライン」を採択しました。
 しかしながら、その後のMEPC での議論を踏まえ、1997年11月の第20回総会で、このガイドラインは廃止され、新たに「有害水生生物・病原体の移動を最小化する船舶バラスト水制御・管理のためのガイドライン」が採択されました。この新たなガイドラインにおいては、バラスト水交換海域は「200海里以遠の海域」とされたほか、バラスト水交換に代えて行う排出水処理の導入、沈殿物の資料採取・分析方法の標準化、転倒・折損事故防止のためのバラスト水交換作業方法の標準化等に関する事項が盛り込まれました。
(2)条約採択段階(1998〜2004)
 こうしたガイドラインを受けて、1998年4月以降、IMOにおいて、バラスト水管理の国際法制化(条約化)についての議論が進められました。この条約については、当初は、海洋汚染防止条約(いわゆるMARPOL条約)に新たな附属書を追加することを基本に検討が行われていましたが、次第に、TBT(船体に生物の付着防止のため塗布する「トリブチル錫」)の規制と併せた新条約を作成するとの選択肢や、全く新たな条約を作成するとの選択肢が議論されるようになり、最終的にMEPC43(1999.7)において、バラスト水管理のみについての新たな条約を作成するとの考え方で収束をみました。
 その後、同条約の内容についての議論が続けられましたが、その審議経過を要約しますと、もっぱら環境保護を優先した厳しい環境規制を強力に推進しようとする米、豪、独等の議論に対し、日本、韓国、ノルウェー等が、海洋環境の保全と海運との調和を基本に、処理技術が確立していない段階で厳しいバラスト水管理を義務付けることは非現実的であり実行可能な規制内容とすべきであると主張し、最終的に両者のバランスに配慮した折衷案が形成されるという経過をたどりました。
 例えば、規制対象海域については、米等の多数国が全世界の海域への一律的な適用を主張する一方、日本、ノルウェー等はバラスト水管理区域を設定し、そこで適用するよう主張しましたが、最終的には、MEPC44(2000.3)で、全世界を対象とする基本的な規制を導入するとともに、一部の海域や船舶についての上乗せ規制を導入することで合意がなされました。
 また、米国等からバラスト水交換を一切認めないこととすべきとの主張がなされましたが、わが国は、バラスト水交換を認めるべきと提案し、最終的には、一定の時期以降の建造船にはバラスト水交換を認めずもっぱら処理装置による排出水処理を義務付け、それ以前の建造船には一定の条件の下でのバラスト水交換を認めることとされました。
 このほか、バラスト水処理装置の排出基準についても、ゼブラ貝による被害等の防止のためのフィルター方式処理を念頭におく米、独等が「一定の大きさ以上の生物を除去する基準」を主張したのに対し、植物プランクトンへの対応も考慮した紫外線、流体圧力、熱等による処理方式を念頭におく日本等が「一定の割合以上の生物を除去する基準」を主張する等数多くの案が対立しましたが、最終的に、「排出水の生物数」を基準とすることで妥協が図られました。
 以上のような議論の積み重ねの結果、2004年2月、「バラスト水条約採択のための国際会議」(International Conference on Ballast Water Management for Ships)において、バラスト水排出基準について最終合意の上、「船舶のバラスト水及び沈殿物の規制及び管理に関する国際条約」が採択されるとともに、今後MEPC で条約実施のためのガイドライン(条約において、処理装置の承認のための試験方法、バラスト水受入施設の設計方針等の技術的事項の具体化のために策定すべきものとされた指針)の作成作業を行っていくことが決議されました。
(3)条約実施のためのガイドライン作成段階(2004〜)
 バラスト水条約においては、2006年までには条約中のバラスト水排出基準の見直しに着手すると定めています。これを受けてIMOでは、MEPC 51(2004.4)で、今後、条約実施のための14のガイドラインを審議し、2005年7月に最終化するとの作業スケジュールを決定しました。【図5参照


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