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管理条約は厳しい部分と甘い部分があり問題残った
菊地 IMOがバラスト水管理条約を採択しました。海洋生物学者の眼から、この条約をどのようにとらえていますか。
福代 条約の中に書かれている理想的な目的に対し、それを今ある技術や経済力で対応できるのかという、理想と現実の差の問題です。たとえば、条約の中で排出するバラスト水に含まれる生物量に関して、部分的に厳しい条項が入っています。
 50μm(1μmは1,000分の1mm)以上の大きさの生物には厳しく、10〜50μmの大きさの生物には甘いものとなっていて、そのアンバランスが問題なのです。10μm以下の大きさの生物、たとえば先に述べたフィエステリアなどはフリーパス(対象外)なのです。しかし、ではそれを対象にしたら対策が講じられるかといったら、その対策はなく、やはり問題となります。ですから、関係者は皆さん苦労しています。ある部分は非常に甘いけれども、それでも対策を立てることが非常に難しいわけですから。
 たとえば、1時間にバラスト水500トンしか処理できない装置しか手に入らない状態でも、その装置があるということになれば、対応する装置ができたということで条約を批准する国が増え、条約発効となるでしょう。
 しかし、それはすべての船が1時間に500トンしか荷積みができないことにつながってきます。そうすれば、今の運航システムそのものが変わってくるでしょう。運航システムは変わらないと考えている多くの海運関係者も、装置があるではないかと言われたら、運航システムを見直さざるを得なくなるかもしれません。
 このシナリオで推移すれば、物流に時間と費用がかかるので、物価が上がろうともそれは環境を守る費用としてやむを得ないと考えるか、それとも会社の努力でその問題を克服するか、といった判断を迫られることがやってくるかもしれません。
 
80μmの数値設定で問題を解決できるか?
菊地 10〜50μmの生物に対して甘いというのは、生物学的にどのような根拠に基づくものなのでしょうか。
福代 IMOの海洋環境保護委員会での数年前の議論では、ある程度根拠のある論議でした。ところが最後になって、問題が2つ起きました。
 1つは、それまで論議されていた80μmという数値が急に50μmに下がってしまったのです。もう1つは、ミニマムディメンジョン(最小部の寸法)という測定すべき部分の規定が入ってきたことによって、グループ分けしたその中身が変わってしまったことです。
 どういうことかというと、夜光虫というのは1〜2mmと例外的に大きいのですが、赤潮を作る一般的な生物は30〜60μmの大きさです。つまり、50μmという微妙な数値で、2つのグループに分かれてしまうわけです。50μm程度の大きさの生物の場合は、そのどちらのグループに入るかが、固体の成長の程度によって異なるため、1個体ずつ測定しなければならないことになります。そうすると、対策が立てにくいという問題が起こっているのです。
菊地 80μmという数値にすれば、生物学的な論理が成り立つものになったということでしょうか。
福代 そうです。ある程度は説明がついたでしょう。生物の片方が1トンに10個、他方が1mlに10個と100万倍の違いがあっても、それはある状況下ではやむを得ないという程度でしょう。
 ところが、ミニマムディメンジョンと50μmという数値が入って、どんな種類の生物が入っているかを見極めずにグルーピングしてしまった結果、10〜50μmの大きさに入った生物量と50μm以上の大きさの生物量の差は100万倍ないことになりますから、50μm以上の大きさの生物には極めて厳しく、10μm以下や10〜50μmの生物には極めて甘く緩い管理条約になってしまったといえます。
 
装置の処理性能次第では運航システム変更の可能性も
菊地 今後は、どのような対応が必要だと考えますか。
福代 現実に管理条約ができ、その条項を守るにはどうしたらよいのか。処理装置にしても、基準や性能についてみんなが研究開発に努力していますから、何年かのうちにきちんとしたものができると思います。
 ただ、個別の問題とは別に、大所高所から見るべき問題、すなわちどれくらいのバラスト水を処理する性能の装置ができた時に管理条約を批准するのか、製造台数・費用・船舶運航も含めて今の海運界の状況に合わせたような対策を立てられるのか、もし、処理能力の性能が制限された場合には、どういうことが起こるのか、そしてどういう方法で対応していくか、そのあたりのシナリオをきちんと考え、努力する必要があります。
 もし、ある程度だけの能力しか持たない装置だとすれば、船の運航の見直しといった別の努力が必要になるかもしれません。
 それから、生物の移動に関して一番危惧するのは、港湾整備という問題です。船を運航する人がいくら努力をしても海底の泥と生物をバラスト水とともに取り込むチャンスが皆無とは言えません。赤潮の海水を取り込んでしまうこともあるかもしれません。それを取り込んだ後になんらかの規制違反になった場合、その船を洗浄して規制に合うようにすることは、容易なことではありません。ドック入りしてバラストタンクをきれいに洗って殺菌するなど、これまでにない努力をして新たにバラスト水を取り込むのです。ところが、同じ港に入港すると、また、同じことが起こる恐れがあるのです。
 実際に生物の拡散が止まるかとの視点で見た場合、ポートステートコントロール(PSC)を実施しても、いくらお金をかけて厳しくしても、管理条約はザル法になる可能性が強いのです。ですから、これをきちんと守るには、船に装置を取り付ければ済むというだけの問題では決してないのです。先ほどの大所高所ということも含めて環境整備には何が必要なのかということを、きちんと議論しておくべきだと思います。
 
効果なければ監視強化の方向へ
菊地 この管理条約が採択されたことによって、バラスト水による生物の移動がかなり押さえられることになりますか。
福代 もちろん、一定の効果はありますが、厳しい言い方ですが港湾整備や運航の見直しが行われない限り、バラスト水による生物の移動への制限効果は少ないかもしれないと危惧しています。
 海運関係の方と話をすると、どんなに厳しくなっても今の海運界の船の運航状況は変わらない、と考えている方が非常に多いです。もし、お金を使ってこれだけのことをやっても生物拡散がまったく止まらないということになれば、こんどは監視強化につながっていくでしょう。そうなれば、IMOや海運界の問題に対する姿勢の甘さが問われる可能性もあるのです。
 ですから、環境意識の高まりというのは、従来行われなかったような監視体制がとられるということも、頭に入れて置いた方がいいのではないかと考えています。これは危惧に終わればと願っていますが・・・。
 
 
大所高所から、条約を守り環境整備に何が必要かの論議を
菊地 最後に、読者に訴えたいことがあれば聞かせてください。
福代 すでにお話ししましたが、設定された規定はある部分で非常に難しく、また、それらを遵守することの難しさも大きいのです。それでも、船が大型化して港に入ってくる頻度が高くなれば、運ばれてくる生物の量は変わりなく、場合によっては増える可能性すらあるのです。
 そのため、今後はより厳しい基準でなければとの理由で、さらに規制をかけるような動きが起こってくることも考えられます。
 単に、装置を開発しそれを船に設置して運航すればいいといった考えだけではなく、港湾の整備、船の管理やオペレーションといったものを含めた問題への見直しについて、海運界の方々が真剣に考えていただければ、より早く解決に近づくものと思っています。
 今は、IMOの海洋環境保護委員会が単に環境問題を論議している状態です。けれども、IMOで論議されていることの意義がどこにあるのか、ということをきちんと把握しておかなければいけません。政府間海洋学委員会(IOC)やユネスコといった科学機関でなく、IMOという海運問題を協議する機関で作られた管理条約であるということは、海運界がこの問題をどう捉えるのかということを突きつけられているのです。
 できた管理条約というのは、生物学者が理想像を議論しつつ妥協した産物なのです。ですから海運界として、それをどう取り入れるのか、前文や目的に書かれている目標にどのように取り組んでいくのか、ということを問いかけられているのかもしれません。しかし、そのことに対する論議は、残念ですがまだ始まっていません。
菊地 本日はお忙しいなか、たいへん参考となるお話を聞かせていただき、ありがとうございました。


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