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2003年7月号 Voice
環境汚染大国の余命
渡辺利夫(わたなべとしお)
(拓殖大学国際開発学部長・日本総合研究所顧問)
是が非でも「翻両番」?
 第一六回共産党大会により党のトップ、党総書記が江沢民から胡錦濤に代わった。今年三月に開かれた第一〇期全人代(全国人民代表大会)において国務院総理も朱鎔基から温家宝に代替わりし、中国の新しい党と政府の最高指導部が決定した。「胡温体制」の出発である。胡、温両氏とも六十歳、中国の最高指導部もついに第四世代に入った。
 共産党大会初日、冒頭の党総書記による党活動報告においては、「翻両番」(二〇二〇年の国内総生産額を二〇〇〇年の四倍にするという目標)が高唱された。「翻両番」に要する年平均成長率は七・二%である。
 プロレタリア文化大革命(文革)の時代から三十数年、テレビでうかがう人民大会堂の「胡温」の顔からは革命はもはやイメージできない。位を極めたテクノクラート官僚の風貌である。しかし、若きこの新体制を待ち受ける課題は、革命世代に勝るとも劣らない困難なものとなろう。
 一九九二年春節の小平の「南巡講話」に始まり今日に至る十年余の中国は、量的規模の拡大期であった。この間の成長率は一〇%を前後した。統計的根拠に疑問はあるものの、過去十年間が超高成長期にあったことは確実である。胡温新体制においても高成長は追求されよう。
 しかし新体制にとっては、過去の高成長の過程で放置され、さらには高成長過程で新たに生まれた諸矛盾の解消を最優先の課題とせざるをえない。矛盾解消のために是が非でも高成長を維持しなければならないという錯綜したテーマとの格闘を余儀なくされよう。
農村の潜在失業人口は一億六〇〇〇万人
 レスター・ブラウンが『だれが中国を養うのか?』(邦訳・ダイヤモンド社)を著して、巨大人口を擁する中国の農業を悲観的に見通してセンセーションを巻き起こしたことがある。中国の農産物不足にこの地球が間もなく耐えきれなくなることを、特有のシミュレーションを用いて描き出した著作であった。幸いにも本書の予言は、現時点までのところ当たっていない。現在の中国は農産物の自給を維持している。しかし、多少なりとも長期を予測すれば中国の農産物不足は、レスター・ブラウンが予測したような状況に陥る危険性がなお少なくない。
 中国の弱点は明らかに農業にある。地図帳を開いて中国の国土を眺めてみよう。チベット高原の濃い茶色が薄い茶色に変わり、ゴビ砂漠の黄色へと変じてこれが広大に広がっている。緑色の可耕地は沿海部に細く長くへばりついているのみである。
 中国の可耕地面積比率は、一九九七年の国土調査によれば、全国土の一一・三%でしかない。国土の大半は耕作不適地なのである。工業化と都市化が急速な勢いで進んでいるため、工場用地と宅地が耕地のなかに食い込んで、わずかな耕地も潰廃されつつある。一三億人に届こうとする人口を一割程度の耕地面積で養わなければならないのである。中国の農業が抱える課題がいかばかり苦難に満ちたものであるかは容易に想像されよう。
 中国における農村貧困は古来から延々と続いてきた不可避の悲劇である。一戸当たりの可耕地面積比率において、中国は人口過剰なアジアのなかでも最低であり、最も零細な農業を営んでいる国が中国なのである。
 「南船北馬」という言葉がある。揚子江を境に北が「馬の世界」つまり畑作地域、南が「船の世界」すなわち水田地域である。中国の可耕地面積のうち、七四%が畑作地域で、水田稲作地域はわずか二六%である。水田稲作の単位面積当たり収量つまり単収は、いずれの国においても畑作物に比べて圧倒的に高い。しかも米は豊富な栄養分をバランスよく含んだ優れた食糧であり、それゆえ米の人口扶養力は畑作物よりはるかに高い。中国の農業が畑作中心であるとの悩みは深い。
 中国がWTOに加盟したのは、中国政府の猛アピールが功を奏したというイメージがあるが、必ずしも真実ではない。WTOの側にも中国を引き込もうという意図があり、その理由の一つが農産物貿易と農業保護政策の自由化であった。
 中国WTO加盟の最大の受益者は、アメリカのアグリビジネス業界である。アメリカの農産物生産者や商社にとって、中国という巨大人口国が自らのマーケットのなかに入ることは、無限大の利益になると想定されたのである。
 中国にはいま、五億人の農村労働力が存在する。このうち一億六〇〇〇万人が余剰化し潜在失業化しているというのが、中国の権威あるシンクタンク社会科学院の推計である。私が研究顧問を務める日本総合研究所調査部環太平洋センターの推計では一億七〇〇〇万人を超える。
 WTO加盟により中国は世界のアグリビジネス界とのグローバルなスケールでの大競争の波に洗われることになるが、競争力をもつ農産物は、実際、ほとんどない。中国の農産物価格はいずれも国際価格を上回る。農産物の自由化により、中国の農村の潜在失業者は、今後数年間にさらに二〇〇〇万人以上増加することが避けられない。
 五億の農村労働者のうち二億人近くの失業者を抱え込まざるをえないというのは尋常ならざる事態である。失業した農民は就業の場を求めて都市へ、とくに沿海部の都市へと向かって流動していくであろう。
 二〇〇〇年の人口調査によれば、中国の流動人口は一億二〇〇〇万人を超え、主流は内陸部農村から沿海部都市への流れである。流出人口比率の高いのは安徽省、湖南省、江西省、河南省、湖北省であり、流入人口比率の高いのは広東省、浙江省、上海市、江蘇省、福建省である。二〇〇一年のGDP(国内総生産)を各省の人口で除した一人当たり所得を見ると、最も高い上海が三万五〇〇〇元、最も低い貴州省が二七〇〇元で、約一三倍もの格差がある。しかも中国の都市・農村間の所得格差は九〇年代に入り一貫して拡大傾向を強めており、農民の都市へのプッシュ圧力はこれによって促進されている。
 都市の失業者についても言及しておこう。中国の失業統計は都市戸籍をもつ者のみに限られ、直近の統計では都市就業者二億四〇〇〇万人のうち三・九%だという。しかし、これは明らかに過小評価である。「下崗」と称される実質的な失業者である一時帰休者はもとより、国有企業内に大量に眠っている潜在失業者がカウントされておらず、これを推計した既述の日本総研の試みによれば、都市の失業者数はすでに三〇〇〇万人を超えて失業率一二・三%となっている。農村と都市を合わせた失業率はじつに二七%となっているのである。
 共産党といえば、労働者と農民の党であると考えられがちだが、いまや中国共産党は私営企業家の入党をも認めて「国民政党」となり、改革・開放の既得権益集団を守護する存在へと変容しつつある。
深刻化する環境汚染
 中国の環境汚染は、大気汚染・水質汚濁・固形廃棄物のいずれを見てもきわめて深刻化している。そうとうの政策的努力を傾注しなければ、取り返しのつかない悲劇的事態が中国の全土で発生することが避けられない。
 大気汚染を例に挙げると、貴陽、重慶など内陸部の大気汚染は甚だしい。中国は建国以来、重工業化路線を踏襲し、重工業化率は長きにわたって開発途上国のスタンダードを大きく凌駕してきた。
 重工業部門は、毛沢東の時代において国防上の配慮から沿海部ではなく内陸部に集中的に建設(国防第三線計画)され、その立地構造は現在にまで引き継がれている。重工業の一次エネルギーは豊富な産出量を反映し、圧倒的に石炭である。工場設備も毛沢東時代に設置された施設が老朽化したままで、石炭エネルギーの利用効率も旧式機械設備のゆえ際立って低く、単位生産に要する石炭消費量も大量にのぼる。
 中国のエネルギー構成は石炭が七五%(先進国の石炭依存度は一五〜三〇%)であり、加えて中国炭の硫黄含有率は平均三%でいちだんと高い。そのため、硫黄酸化物の排出量はすでに許容量を超え、酸性雨と健康被害が続出している。
 こうした大気汚染は広大な中国の全土に及び、日本のODA(政府開発援助)がそのすべてに対応できるはずもない。限られたODAを分散的に用いれば、その効果は雲散霧消するしかない。
 大気汚染のなかでも目に見える煤塵などはこれを切実で深刻な問題として受け止めて対策がなされている一方、窒素酸化物や硫黄酸化物など目に見えない汚染については、必要に迫られて対策を行なうことが少ない。日本海沿岸を中心に広がりつつある日本の森林の酸性雨被害の四割以上が中国の大気汚染に由来するという。日本のODAが大気汚染の問題に集中する理由の一つがここにある。
 要するに日本の対中ODAの供与対象分野は、産業インフラ関連プロジェクトから環境関連プロジェクトヘと大きくシフトしていかねばならない。日本のこれまでの対中ODAは、運輸・エネルギー関連の巨大な構造物(産業インフラ)の建設に対する借款供与が中心であった。
 しかし中国は、現在ではこれらの産業インフラ建設の技術的能力と国内資金を擁するにいたった。実際、あの巨大な三峡ダム建設に要する資金と技術のほとんどは中国国内で調達されており、外国からの支援は限界的なものにすぎない。ましてや道路、鉄道、港湾、発電所などは中国の技術と資金を用いて十分に建設可能であろう。日本の対中ODAは、中国自らの努力で建設可能なそうした分野からしだいに身を引き、中国の自助努力によってはいかんともしがたい、しかし開発上さらには福祉面から見て不可欠な分野での協力に重点を移していかなければなけない。中心的分野が環境保全対策である。環境ODAは日本の今後の対中ODAにおいて決定的な重要性をもつであろう。
 ODAを供与すべき地域を限定して資源を集中的に投入し、そこで実現される環境保全の仕組みを周辺諸都市に波及させるメカニズムを創出する方法を編み出さねばならない。日中環境開発モデル都市形成の構想がそれである。
 中国における大気汚染のありようを典型的に示している都市が、貴州省の省都・貴陽市や重慶直轄市などである。これらをモデル都市として建設し、日中協働して環境対策をここで重点的に展開する。クリーンエネルギーへの燃料転換、省エネルギー技術の導入、汚染源の郊外移転、その他諸政策のベスト、ミックスを探り、さらに副産物のリサイクル、環境モニタリング、人材育成といった努力がなされる必要がある。モデル都市構想の要点は、周辺諸都市への波及メカニズムをどう実現するかである。
 それにもかかわらず、モデル都市構想が容易に実現されるとも思われない。今後二十年にわたり年平均七・二%の成長率が続くとすれば、実際、いかなる対策を講じても追いつく話ではないのである。
 大気汚染ばかりではない。中国の水不足と水質汚染の防除はよりいっそうの緊急性をもった課題として浮上しており、生活・産業廃棄物についてはその処理が緒についたばかりである。
 環境問題の解決のためには厖大な財政負担が必要であり、そのためには高成長が不可欠である一方、高成長はすでに限界に来ている環境負担をいちだんと重いものにせざるをえないという解きがたいディレンマがある。
市場経済のなかに溶解する中国共産党
 一党独裁の下、党の最高指導者に政治権力が集中する中国においては、失業問題や環境問題などから社会不安や政治不安が起こってもこれを封じ込める力が十分にあると思われがちだが、中国共産党には、少なくとも八九年の天安門事件のころまで擁していたような統治力はかなり薄いものとなっている。
 八九年に天安門事件が起きる前後の中国は、マクロ経済が最悪の状態であった。インフレが激しく、人民の反政府感情が高まり、天安門事件に衝撃を受けて対中ODAや対中進出企業は潮の引くごとく撤退してしまい、中国の経済は厳しい下降局面に入った。
 これに強い危機感を募らせた人物が、小平である。九二年、小平は「南巡講話」として名高い、広東や上海など南の地域を檄を飛ばして回った。「いまこそ中国の改革・開放全面加速の好機であり、この好機を逸しては、中国は永遠に豊かになることはない。改革・開放に向けて一致団結し、これを推進せねばならない」と煽り立てた。
 その檄に応じて、各省は、のちに「乱開発」と呼ばれることになる野放図な開発に乗り出し、外資系企業を呼び込む全国レベルの運動をいっせいに展開した。その結果、中国は現在に至るまで年率一〇%に近い高成長過程を歩んできた。
 高成長を牽引したのは、就業者数と固定資産額において圧倒的な規模を誇る国有企業ではない。計画経済の埒外に置かれて、保護もなければ規制も受けない市場経済の「申し子」である郷鎮企業、個人・私営企業、外資系企業であった。傑出して大きな役割を演じたのは、長江デルタと珠江デルタに蝟集した外資系企業であった。
 中国の工業生産額のうち三割、輸出総額のうちの五割が外資系企業に由来する。中国の花形産業は情報通信機器産業であるが、この分野においては、生産額の五割以上、輸出の八割が外資系企業である。中国経済の今日を語るうえで、外資系企業がいかに大きく寄与してきたかは、明白である。一言でいえば、中国の生産主体は市場経済化の過程で著しい多様化を見せたということができる。
 かつての中国は、農村では人民公社、都市では国有企業という、いかにも単純な経済構造の国であった。しかし九二年以来の中国は顕著な速度で市場経済化を進展させ、国有企業以外にも生産主体が多重的に形成され、それに応じて利害集団が多層化し、社会階層は錯綜化した。錯雑として流動する社会は、共産党による一党独裁で統治できるほど簡単なものではなくなったのである。
 中国の共産党員は六〇〇〇万人を超える。これほどの規模の人間集団数ともなれば、中国社会で起こっていることは共産党内でも必ず起こる。共産党は党自体が中国社会の「写し絵」のごときものだと見るのが自然である。中国の社会が多重化し多層化し流動化するのであれば、共産党もまた多重化、多層化、流動化していく運命にある。
 要するに現在の中国においては、共産党の求心力が低下し、党員の中央離れ、政治離れが甚だしい。この動きは江沢民の時代に顕著なものとなり、胡錦濤の時代に入って共産党は遠心力をいっそう強めるにちがいない。共産党員の大半は末端幹部であり、彼らの目は、もはや中央には向いていない。党員は政治を語らず、自分の住む地方の発展に強い関心を向けている。
 厖大な数の末端幹部の関心は自らが住まう地域の経済力の向上にあり、これに成功すれば党内の序列も上昇するという傾向が強まっている。共産党が市場経済メカニズムのなかにずぶずぶと溶解しつつあるかに見える。
 貧しい農村から都市に向かう巨大な人口の流動化を、はたして党と政府はコントロールできるのか。都市国有企業の失業・一時帰休者、さらに省外から出稼ぎに来て滞留している大量の都市居住者、彼らが作り出す強い労働供給圧力に中風が耐えられるか。この点が、われわれの問うべき課題である。
 二〇二〇年までの労働力増加率と就業増加率を推計した日本総研の推計に再び戻るならば、二十年後の中国の総労働者数は八億七〇〇〇万人、うち失業者は都市農村の合計で二億八〇〇〇万人であり、失業率は二五%である。二〇〇〇年の失業率二七%とほとんど変わらない。失業者の絶対数はもちろん増加する。
 第一六回の党大会で「翻両番」が打ち出されてなお、この苦難なのである。二十年にわたり年率七・二%の成長は中国共産党が許容しうる政治的下限値だというのが私の結論である。
 近年の共産党中央の出す文献には、嘆き節が多い。党員の「個人主義」「拝金主義」「享楽主義」に警鐘を鳴らし、「精神文明」の確立を訴えるという説教がしばしばである。「安定こそすべてを圧倒する」というスローガン、「熱愛祖国」「中華振輿」というナショナリスティックな叫び声ばかりである。
 党員の堕落を引き締め、愛国主義の発揚をもって求心力を保つ方向を選択しているのだろうが、このことはそれだけ党の内実が遠心力を強めているということの証なのであろう。精神文明を確立せよと訴えるのは、党員の現世的欲望がいかばかり激しいかを物語る。
 共産党の指導力に対し、SARSの問題がさらに揺さぶりをかけた。党の政治的権力が強いということと、危機管理能力が高いということは同義ではない。情報を公開し、機動力をもって細心の行政力を発揮し、住民の厚い協力を得て事に当たるというシステムが決定的に欠如していることを、今回のSARS蔓延は図らずも証明してしまったのである。外側から見た高度成長国・中国と内側から見た失業・環境汚染・統治力滅衰の中国のあいだにある途方もないギャップを、われわれは冷静に見据える必要がある。
渡辺利夫(わたなべ としお)
1939年生まれ。
慶応義塾大学大学院修了。
筑波大学教授、東京工業大学教授を歴任。現在、拓殖大学学長。
 
 
 
 
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