日本財団 図書館


2004 No.15 RIM
「反日政策」の呪縛を解けない胡・温政権
顧問 渡辺利夫
 
 今夏の暑さはひどかった。高温が9月中頃になっても下がらない。残暑見舞いの葉書がいつもの年より多かったのは、いつまでも去らない酷暑のゆえだったようだ。「中国人の反日感情がこんなに強いものだとは知りませんでした」と添え書きしてある葉書が何葉かあった。首相の靖国神社参拝、中学校歴史教科書に対する反発などからして、中国政府の対日政策が相当厳しいとは知りつつも、所詮は政権中枢部の対日「政策」の現れであって、一般大衆はもう少し友好的なはずだと平均的な日本人は想像していたのにちがいない。
 試合開始前の「君が代」演奏を聞き取ることができないほどのブーイングを会場に轟かせるというのは、いかにも異常である。重慶、済南を経て北京で行われた最終試合では、日本人サポーターたちに危害が及ばぬよう、北京市公安局の治安部隊に十重二十重に守られての観戦であった。試合終了後、会場周辺で数千人が反日を叫んで日の丸を焼き、排除しようとする特殊部隊との衝突が繰り返され、ついには日本公使の公用車が群集に襲われる事態となった。8月末、中国を訪れた私は、事件に遭遇したある領事館員から、剥き出しの日本憎悪の大衆感情に慄然とさせられたという話を聞かされた。一体、どういうことだろうか。
 やはり江沢民政権時代の反日愛国主義運動の「成果」だといわざるをえない。振り返れば、1994年に出された「愛国主義教育実施綱要」がことの始まりであった。愛国主義の社会的雰囲気を醸成し、そのために幼稚園から大学にいたるまで愛国主義教育を徹底し、さらには「南京虐殺館」や「中国人民抗日戦争記念館」のような「愛国主義教育基地」を全土に建設しようというのである。
 この運動が本格化した1995年の夏に、私は1ヵ月ほど北京に滞在していた。新聞やテレビはもとより、自分を取り巻く中国人の醸し出す空気が次第に不気味に冷え冷えと変化していくのに気づかされた。これが今回のブーイング事件のように鋭い日本憎悪にまで育っていくとは思いもよらなかったが、もう少し大衆の情念というものの黒々とした闇に気づいて、これを怜悧に眺めつづけておくべきだったと、いまになって自分の直覚の鈍さを悔やんでいる。
 盧溝橋近くの「中国人民抗日戦争記念館」には、建設後、間もない頃に訪れたことがある。日本軍の中国人に対する暴虐の限りを尽くしたさまを蝋人形で再現し、実に正視に耐えない露悪的な愛国主義教育基地であった。旧悪を暴いて日本憎悪をこうまで駆り立てねばならない理由は、どこにあるのか。
 抗日戦争勝利は共産党支配の正統性を世に訴える格好の材料である。日本人による侵略が残虐なものであればあるほど、みずからの正統性がより高まるという構図なのであろう。しかし、日中友好がこれによって空文化するというリスクがある。江沢民政権がそのリスクを冒して反日的な愛国主義運動を大規模に展開したのは、要するにみずからの政権基盤が脆弱であり、リスクを冒してまでも共産党への求心力を高めねばならないという政治的要請があったからであろう。少なくとも権力基盤や党人脈においてより強力であった小平の時代には、反日カードが切られることはなかった。
 この事情に加えて、江沢民が政権に就いた頃には中国の改革・開放が本格化し、市場経済へと向かう速度も一段と速まった。階層が多元化し、社会は錯雑に流動化するようになった。中国は共産党一党独裁で統治できるほど単純な社会ではなくなっていたのである。いよいよ遠心化する社会に求心力を作り出すためには、反日カードを切らざるをえなかったのであろう。
 さらにもう1つの要因がある。改革・開放という名の市場経済化は、この政策による受益者を輩出する一方、敗者をも膨大に生み出した。われわれの推計によれば、都市就業者の失業率はすでに12%を超え、WTO加盟にともなう自由化・規制緩和によりこれはさらに高まることが予想される。農村就業者5億人のうち1億6,000万人以上が潜在失業化しているというのが中国社会科学院の推計である。そのうちの相当部分が沿海部の発展都市に向けて流動を開始している。
 改革・開放の敗者、改革・開放によって「割を喰った」人々の群れは、反日運動であれ、反米運動であれ、他の何であれ、社会を不穏化させる動きには、みずからの不満の吐け口を求めてこれに積極的に関わり、騒動の中心的な勢力となるという筋書きは容易に想像できる。ひょっとして今回のブーイング事件の主役は彼らなのかも知れない。聞くところによれば、騒動を予想して警戒に当たった北京の治安要員の規模は1989年6月の天安門事件以来のものだったという。それにもかかわらず、反日暴動をコントロールできなかったという事実は、共産党一党支配の限界を何やら象徴しているようにもみえる。
 中国における反日運動や反米運動は、政権中枢にとっての両刃の剣である。岡田英弘氏によれば、中国には古来「指桑罵槐」(桑を指して槐を罵る)という箴言があるという。槐(えんじゅ)とは街路樹や庭木として植えられる喬木で、桑とは似ても似つかぬものである。つまり「指桑罵槐」とは「本当の怒りの対象とはぜんぜん別のものを攻撃する」の意だという(『この厄介な国・中国』ワック株式会社、2001年)。岡田氏のあげているのは、歴史教科書問題である。氏によれば、この問題は日本の歴史教科書とは実はまったく関係ない。軍歴をもたない後継者に政権を譲るために軍の権力機構を改変しようとした小平に対しての、楊尚昆等の軍長老派による政治的攻撃であったというのである。
 サッカー・アジアカップでの暴動が「指桑罵槐」であったのか否か、いまの時点では何ともいえない。しかし、党の統治の力を超える大衆運動の恐怖を感じ取った指導者は少なくあるまい。胡錦濤体制は発足してもう2年近くになるが、対日政策に変化の兆しがみえない。その間に日中国交回復30周年を挟んでなお両国新首脳の相互訪問さえ実現していない。日中関係の修復は可能なのか。
 国家副主席で中央書記処第1書記が曾慶紅であり、党内序列で極めて高い地位にある。同氏の支持により公刊されたのが、人民日報評論員の馬立誠の『<反日>からの脱却」(中央公論新社、2003年)である。しかし、いかにも穏当で常識的とみえる政権中枢公認のこの著作さえ、国内の激しい反発によって発行停止とされ、馬立誠自身は香港に「飛ばされて」しまった。日中友好のためのカードを容易に切れないのが胡・温体制である。日本憎悪を掻き立てた前政権の罪過はいかにも重いといわざるをえない。
渡辺利夫(わたなべ としお)
1939年生まれ。
慶応義塾大学大学院修了。
筑波大学教授、東京工業大学教授を歴任。現在、拓殖大学学長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION