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私はこう考える【中国について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2001/08/08 SAPIO
「一つの中国」5000年は漢民族国家の幻想にすぎない
東京外国語大学名誉教授
岡田英弘
 
 そもそも歴史とはいったい何であろうか?
 私の考えるところの歴史の定義とは、「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接経験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」というものだ。
 つまり、歴史の本質とは個人の範囲を超えた認識であり、それは時間に於いても空間に於いても同様である。したがって、歴史は空間のみならず時間に沿って見る必要があるのだが、ここで問題が起きる。空間が視覚によって認識できるのに対し、時間は直接認識することが出来ないという問題だ。
 そこでこれを解決するために生み出されたのが暦だ。ある周期運動をする物体を利用し、この物体が同じ空間を移動するのにかかる時間を単位として、時間を区切って目盛りの代わりとした。時間を空間に置き換える手法を採ったわけである。
 だが、そもそも時間の認識とは各集団が営んできた生活によって全く異なるものであり、時間の観念とは文化であるといえる。年・月・日という番号を振って暦を作るようになったのはこの全く異なる時間の観念を共有するための極めて発達した技術であり、人類が本来持っているものではないのだ。
 では、時間を直線的な流れとして捉え、それに伴って様々な事象を記録することが可能になれば、歴史を得たことになるかと言えば、そうではない。
 それぞれの出来事の間にある因果関係を考えられるようになって初めて、事象間の連続性を知ることが可能になり、無数の偶発的な事件を理解できるようになるのである。
 本来無秩序な世界に構造を与えて理解しやすくする解釈が歴史であり、とすれば、「直進する時間の観念」、「時間を管理する技術」、「文字で記録する技術」、「物事の因果関係の思想」の4つが揃って初めて歴史は成立するのである。
 われわれ現代日本人にとって、時間の流れを暦を作って管理し、それに応じて様々な出来事を記録し、各事件間の因果関係を考えることは当たり前の考え方になっているが、これは我々が「歴史がある」文明に属しているからで、実は世界では少数派なのである。
 世界には「歴史がない」文明も数多くある。というよりも、歴史のある文明の中でも、自ら歴史文化を創り出した文明は世界に2つしかない。
 一つは地中海文明であり、もう一つが中国文明である。日本を含めたそれ以外の歴史ある文明は、全てこの2つの文明、つまり対立する文明から歴史という文化を二次的にコピーした「対抗文明」なのだ。
 なぜ、この2つの文明以外は自生の歴史文化を持ち得なかったのか? それは、先に述べた「時間を管理する技術」や技術に支えられた「連続する時間の観念」は、あくまで歴史文化が発生する前提にしか過ぎないからだ。
 意外に思われるかもしれないが、歴史は英雄や人民が創り出すのではない。歴史とは歴史家が文字を使って記述することで創り出されるのであり、その意味で言えば、最初の歴史家が天才であって初めて歴史文化は創造されたのだ。
 その天才が、地中海文明ではヘーロドトス、中国文明では司馬遷であった。
 司馬遷は前漢の武帝に使えた太史令(文書や天文を扱う官職)で、彼の著わした『史記』こそが歴史の概念を生みだしたといえる。それ以前には「記録」の伝統はあっても、「歴史」はなかった。
 司馬遷によって生み出された歴史文化=中国の歴史観は、日本などによって「対抗文明」として受け入れられ、東アジアの歴史の枠組みをも形成することになる。
司馬遷が創り出した「不変の中国」という歴史観
 およそ歴史は、一つの世界が過ぎ去り、一つの時代が完結したと歴史家が感じたときに書くものである。司馬遷の場合、これは紀元前104年のことであった。
 紀元前104年は中国の暦の上では原初の時間の始まりと同じ状態にあった。そのため、占星術を職掌とする司馬遷はこれを新たな時間サイクルの始まりと捉え、『史記』の著作を開始した。
 この『史記』に著わされたのは、端的に言えば、「帝の正統性」である。
 司馬遷が、彼が仕えた前漢の武帝の正統性を示すために構築したものが、「正統の天子が中国という天下を治め続ける」という「正統」の観念であり、「不変の歴史」こそが中国の歴史である、という歴史観だった。
 『史記』の根幹をなす「本紀」の最初に登場するのが「五帝本紀」だが、この五帝とは土・木・金・火・水の五徳を司る天神であり、人間ではない。その最初の「帝」が黄帝であり、黄帝は諸侯によって天子に推挙され、天下の順わざる(したがわざる)者を征した、とある。つまり、司馬遷は天子の支配する天下(中国)が歴史の最初から存在することにしたのだ。
 因みにここで司馬遷が定義した天下とは武帝が支配していた地域のことである。つまり、武帝に統治された天下をそのまま時間の始まりに持っていき、そこに投影した武帝の像を黄帝と呼んだわけである。
 これが誤りであることはいうまでもない。
 いわゆる「中国」は、秦の始皇帝が紀元前221年に中原の諸都市を征服・統合したことにより、初めて成立する。それ以前には「中国」と呼べる統一体は存在していない。
 だが、司馬遷は、天下を統治する権利を持っているのは天命を受けた天子ただ1人であることを説く必要があった。そこで、最初の帝である黄帝から、実在した最初の皇帝、秦の始皇帝を経て、現実の支配者たる武帝を繋げるために「正統」という観念を採用した。
 そこでは、黄帝に始まる五帝は全て禅譲によって「正統」が受け継がれ、続く夏・殷・周・秦の王たちは新たに天命を受けた君主として登場する。実際は夏・殷・周は諸都市の覇者であり、中国を統一した王朝ではない。しかし、司馬遷は天命の正統という中国の歴史の枠組みを創り上げるために、彼等を天子と呼んだのだ。
 この『史記』が創り出した「不変の歴史」という枠組みは、後世にも脈々と引き継がれた。後の「正史」は全て、これを踏襲し、編纂当時の王朝がそれ以前の王朝から正規の手続きを経て「正統」を引き継いだことを証明するために書かれた。
 こうした枠組みが固定したことで、中国文明では『史記』の通りに書かなければ歴史ではないことになった。「正統」であることこそが重要であり、「変化」を認めることはなかった。実際には変化があってもそれには関係なく、その「正統」を証明することこそが、天子たる条件になるからだ。
 ゆえに、不変の「一つの中国」という歴史観が中国人のアイデンティティの基礎となり、これが現在に至るまで引き継がれている。つまり、『史記』の体裁と内容が、後世の中国人の歴史意識と中国人意識を決定したのである。
後漢以後の漢民族王朝は明朝だけ
 いうまでもないことだが、五帝とは、神話の世界である。したがって、いわゆる「中国」の歴史とは始皇帝以来の2200年とは言えるかもしれないが、5000年の歴史というのは明らかな誤りだ。
 しかも、この「中国」を19世紀以降の国民国家という観点から見ると、また違った結論に達する。
 司馬遷以来の伝統的な歴史観で言えば、天下は常にただ1人の正統な天子が治めるべきもので、この「天子の天下」が国民国家でいう「中国」ということになる。
 しかし、秦漢消滅後の三国時代には3人の皇帝が並び立っているし、続く南北朝時代には北アジアの遊牧民出身の皇帝と漢人系の皇帝が並立している。この間、皇帝が1人であったのは僅か20年だけ。6世紀の末になって遊牧民系の王朝である隋が誕生して、南北朝は統一されるが、国民国家の観点で言えば、後漢朝消滅から隋朝誕生までの約400年間、中国は存在しなかったことになる。
 さらに、中国を「漢民族の国家」という、より限定した見方をするならば、中国が存在しなかった期間はもっと長くなる。
 まず隋からして漢民族王朝ではない。続く唐も遊牧民系の王朝であり、「天子の天下」でいう)「第2の中国」は漢民族の支配する天下ではなかった。
 天下(中国)も10世紀に入ると、北アジア系の遼や金に次第に国土を奪われ、13世紀にはとうとうモンゴル帝国に呑み込まれてしまう。
 このモンゴル帝国から14世紀に分離・独立したのが明であり、ここでやっと漢人の王朝が復活することになる。だが、フビライ家の元朝は明朝に中原は奪われたものの、滅亡したわけではない。17世紀に明朝が滅亡し、代わりに明朝の旧領を支配したのは、満洲人と、元朝を引き継いできたモンゴル人の連合政権である清であった。
 この清朝は連合帝国であり、満洲人のハーンが、モンゴル人のハーンと、明朝以来の漢人の皇帝と、チベット人の仏教の最高施主と、東トルキスタンのイスラム教との保護者を兼ねていた。
 したがって、清朝とは中華帝国ではない。明朝の支配していた旧領は満洲人が支配する植民地の一つに過ぎなかったのだ。
 こうしてみていくと、後漢が滅亡した2世紀以降、中華民国が出来る以前には、漢民族の国家は明朝の約300年間しかなかったことになる。
 結局、国民国家の視点で言えば、漢民族の国たる中国というものは歴史的には1000年にも満たないのだ。
中国の正史は皇帝の内側から見た歴史にすぎない
 冒頭で述べたように、歴史とは歴史家が創り出すものである。その意味で歴史は思想であり、文化であり、必ずしも正しい事象のみを記録しているものではない。
 特に中国では、司馬遷の創り出した歴史観に支配され、そのスタイルを固守してきたために、正統の歴史観で書かれた「正史」は、現実との矛盾点が甚だ多い。どれを読んでも、王朝が代わっているだけで、そこで起こることは同じ事の繰り返しに見える。文書の分量は多いが、内容は貧弱だ。
 しかも、個々の史実について、皇帝の都合の悪いことは省略することになっているため、重大な事件があったとしても、一切記さないか、極めて婉曲な表現でしか記載しない。
 そして、これが最も重大なのだが、正史はその全てが中国皇帝の内側から見た中国史で、公平な視点が著しく欠けているのだ。
 例えば、明朝では、皇帝に反対する政治勢力として、元朝の後裔のハーンたちがモンゴル高原に存在し、激しい対立が続いていた。にもかかわらず、『明史』では、明朝皇帝と独立勢力との交渉は全て「朝貢」と表現されている。
 つまるところ、中国における歴史とは、司馬遷が創り上げた「正統」を踏襲するだけのもので、真実が語られることが少なく、現実の政治的要請に沿った事を主張するものだとされてきた。
 ゆえに、中国の正史だけを読んでいると、「中国とはただ1人の正統な天子を戴き、天下は不変なまま存在してきた、世界最古の文明である」ということになってしまう。無論これは大間違いだ。
 だが、現代の中華人民共和国の中国人たちは、こうした「中華思想」の歴史観が如何に非歴史的であるかということを全く自覚していない。
 だから彼等は、国民国家の概念によって、彼等にとって正史であった「皇帝の歴史」が「中国人の歴史」に読み替えられたとき、中国の外に住む非漢語を話す人々を「歴史の初めから中国の宗主権を受け入れてきた保護領の住民」と考えた。
 そして、国民国家として成立するために中国共産党が目指したものは、国境の内側の住民は全て中国人であるべきだ、全員が同じ中国語を話すべきだという理想であった。
 チベットや内モンゴルやウイグルで起こっている人権侵害問題、少数民族を弾圧し、彼等の文化を根絶やしにしようと試みる行為は、全て国民国家を目指すゆえに起きており、この中国共産党がいうところの国民国家とは、清朝は中国という国民国家だったと歴史を読み替えたからなのである。
 ゆえに、彼等は台湾についても、中国の領土であると主張するのだ。確かに台湾はオランダ人を追い払って実質支配をしていた鄭成功の子孫から清朝が支配権を奪っている。「皇帝の歴史」で言えば、かつて領土だった事には違いない。
 ただし、先にも述べたように、清国は中華帝国ではなかったわけだから、時折中国人が主張する「日本が中国から台湾を奪った」という考え方は論理が通らない。
 国民国家成立以前の「皇帝の歴史」も、20世紀以降の「中国の歴史」も、共に「中華思想」をべースにした国史であることに変わりはない。そして、政治的な宣伝によって真実が覆い隠されることは彼等の伝統であり、その時々で過去の歴史認識が変化するのも、中国人の歴史の特徴である。
 こうした歴史観によって立つ国だからこそ、常に中国は己に都合の良い解釈でしか物事をみないのだ。
 不変の正統の天下――1人の皇帝が中心に居座り、対立も、勢力の消長も記載されることがない。外世界を見ることなく内側だけを見る歴史。中国の歴史が「良い歴史」か「悪い歴史」かと問われれば、間違いなく「悪い歴史」だと言えよう。
岡田英弘(おかだ ひでひろ)
1931年生まれ。
東京大学文学部卒業。東京大学大学院修了。
東京外国語大学助教授、教授を歴任。現在、東京外国語大学名誉教授。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








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