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1997/12/09 世界週報
活発化する中国の首脳外交
筑波大学助教授
井尻秀憲
 
 二一世紀に向けて歴史の歯車の回転が著しく速まっている。その理由は、世界の指導者たちが、冷戦時代の遺物を打ち壊し、どのような政策の優先順位を立てて新秩序を構築すべきかという世界史的課題を背負っているからであろう。
 特に中国の動きが活発だ。去る一一月一一日、李鵬首相が来日した。他方、その二日前には、ロシアのエリツィン大統領が訪中、江沢民国家主席との間で「共同声明」が調印された。これに江沢民主席の訪米を加えれば、二一世紀に向けたアジア・太平洋地域の新秩序を担う日米中ロといった大国間のバランス・オブ・パワー・ゲームに、積極的に参加しようとしている中国の姿勢が読みとれる。
日本には従来のパターンで対応
 中ロ関係は、今回、両国が四二〇〇キロに及ぶ東部国境を両国関係史上初めて画定した点に意味がある。もとより、今回の首脳会談では、両国が領有権を主張する黒瞎子島などの三つの島の帰属問題は棚上げされ、共同利用もされないこととなった。ここでは、国内の保守的ナショナリストや地方の反発といった内部事情を抱えるロシア側に対して中国側が妥協したかに見えるが、一方の中国が国境が画定されたその他の島の主権を獲得して面子を保ち、中ロ間で期限なしの共同利用に合意したという意味では、ロシア側の譲歩とも見てとれる。
 この成果は、日本が近年、進めている「ユーラシア」外交(「平成のシルクロード」)や、カスピ海周辺からのエネルギー・ルートを陸路で中央アジア、旧ソ連諸国、中国、極東ロシア、北海道へと通し、ロシア極東部の開発に日本が積極関与しようとしていること、さらに先の日ロ首脳会談で、二〇〇〇年までに「日ロ平和条約」締結に合意した点とも、かかわっている。
 米中関係では、中国の江沢民主席が用意周到な準備を経てクリントン大統領との首脳会談に臨み、「建設的な戦略的パートーナーシップ」をうたいながら両者間のホットライン設置を決め、原子力平和利用協定凍結の解除などにも合意した。クリントン政権にとっては、外交上歴史に残る仕事を目指すならば、この一年以内が最適であり、朝鮮半島周題で決断すること、中台和解への仲介役を買って出ることも可能であろう。大統領は、民主党の大統領として、アメリカの建国の理念である自由と人権問題で江沢民主席に毅然とした態度で言うべきことを主張した。米中首脳会談は両者の意見のすれ違いを残しながら、二一世紀の行方を決める両大国の摩擦と協調という二つの複雑な側面を露呈したといえよう。
 日中関係では、日中国交樹立二五周年記念という政府間行事の締めくくりとして李鵬首相訪日が実現した。最近のぎくしゃくした両国関係を改善し、李鵬訪日は「未来志向」の首脳会談であったと評価されている。今回の首脳会談で橋本首相が、現在の首相自身の関心が日米中ロの「四極構造」に移っていることを明言したことは重要であろう。これに対し、李鵬首相は「未来志向」の日中関係というメッセージを伝えたが、これは「歴史の問題を子々孫々まで伝えなければならない」という言葉で相殺された。日本に対して中国は米中、中ロ関係で用いた「戦略的パートナーシップ」といった言葉を使わない従来のパターンを繰り返している。
 また、江沢民主席が先の米中首脳会談に向かうに当たって、あえて第二次大戦中の同盟国という歴史的意味を踏まえてハワイの真珠湾を訪れ、「日米離間策」ともとられる行動に出たことは、日本政府としても不満の残るところであろう。
中国の戦略は「大漢民族主義」に依拠
 こうした「四極構造」の背後で動いている環流を見てみると、中国の言う「多国間協力」外交といった点はまだまだ表向きのことであって、中国が二一世紀の「責任大国」として国際社会における役割を担い得るかどうかは、いまだ不透明である。
 中国のバランス・オブ・パワー戦略は今日、社会主義のイデオロギー性が経済面で薄れてきているがゆえに、中国の「大漢民族ナショナリズム」に依拠しながら内政、外交を展開せざるを得ず、その意味では、江沢民政権が抱えている内外の課題はあまりにも多いといわざるを得ない。
 そうした中で、われわれが注意しておかねばならないことは、中国が国内に幾多の難題を抱えながら、こと外交面に関しては、この二年ぐらいの間に、かつての階層的な朝貢制度を想起させるような「華夷秩序」(中国的世界秩亭)を作り上げ、周辺部にある各国家、地域に対して影響力を行使するという極めて古い発想の下での中国的バランス・オブ・パワー戦略を依然として遂行しているかに見える点である。
 そうした中国の影響力は、より具体的には、朝鮮半島、中ロ国境沿い、前記のエネルギー問題と絡む「平成のシルクロード」、カンボジア、ASEAN含めた周辺地域に及びつつある。
 一方、日米中ロ「四極構造」の中長期的な行く手には、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大によって影響力を発揮しようとするアメリカが、まず中央アジアでロシアとぶつかり、最終的にはより東方に位置する中国にぶつかるという動かすことのできない地政学の現実も存在する。
 そうした中で、日本にとって短期的な重要性を有する地域は他ならぬ朝鮮半島(とりわけ北朝鮮問題)である。日米両国が「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の作成を急いだ理由もここにある。しかしながら、中国は、この半島への影響力を強めるよう着々と手を打ってきている。朝鮮半島が「有事」になれば、アメリカも当然「関与」せざるを得ない。その意味では、現在の米中間に「短期的かつ便宜的な結婚」(本誌、拙稿、九七年六月一〇日号参照)が成り立っていたとしても、二一世紀の米中関係は、中国が前記のような古いバランス・オブ・パワー戦略を展開し続ける限り、普遍的価値としての基本的人権擁護を国是とする「理念の共和国」アメリカとの間で、いずれ摩擦が増大する可能性が高い。
 中ロ関係において日本や米国にとって気になるのは、ロシアから中国への武器、軍事関連技術の移転である。たとえば、数年前に中国がスホイ27戦闘機四〇機を購入した時、その実際の数はもっと多いものであったと言われており、中ロの軍事交流に不透明さが残ることは否めない。日米中ロの「四極構造」が中ロと日米の二極化へと進むことはアジア・太平洋全体の勢力バランスからして良策ではない。
 一方、日ロ間では、今回のエリツィン訪中で妥協した中ロの国境線の画定を前例として、北方領土返還の可能性が出てきている。また、既に日本は官民一体となって本格的にロシア極東部への開発協力・投資へと動きつつあり、この点について中国は、日本の援助や投資が中国から離れていくことを懸念するであろう。
不透明な中国の将来に懸念
 ここで、中国の内政に簡単にふれておくと、小平の死、香港返還、共産党一五全大会といった今年の課題をなんとか乗り切った江沢民政権は、現時点では一応の安定性を示しているかに見える。しかし、その実態は、国有企業の改革に伴う摩擦、インフレの懸念、特権幹部の汚職と腐敗、沿海地区と内陸部との経済格差、中央の威信低下と中央・地方の綱引き、開発優先によって生じる農村耕作地の減少と食糧事情の悪化、新疆ウイグル自治区に代表される少数民族の独立運動、国有企業労働者への賃金未払いで多発する労働争議(特に東北では、民族問題と絡んだ満州人労働者の組織化も見られるという)、都市の犯罪の増加(五〇万人兵員が武装警察に鞍替えしたとしても、北京の二環路より外側の治安を守りきれないという)など、幾多の難題を抱えている。
 江沢民主席は、先の台湾海峡危機で見せつけられた米空母機動部隊の圧倒的軍事力への対応のため、中国の国防近代化、兵器体系の近代化を要求する軍の意見に耳を傾けざる得ない「弱い」政治家という印象が強い。また同主席は、先の訪米の際に、ハワイでギターを弾き、米国の建国の地であるウイリアムズバーグを訪れ、前もってリンカーンの言葉を英語で暗唱するなどのパフォーマンスを演じた。これらは同じことの繰り返しで新味はなく、むしろ「軽い」指導者のイメージを国際世論に植え付けたかにも見える。
 江沢民政権は、外部のチャイナ・ウオッチャーにとっては、より読みとりやすい政権となったようにも見える。しかし、それは必ずしも中国が世界の「責任大国」になるということではない。国境なき今日の国際社会において旧態依然たる伝統的かつ共産党一党支配の下でバランス・オブ・パワーゲームによって漁夫の利を獲得しながら、周辺地域に影響力を行使しようとする「拡大する中国」と、内政が抱える複合矛盾によって内部から弱体化し、連邦制をも含めた国土の最適規模を模索する「縮小する中国」の現象が背中合わせとなっている。
 米国ハーバード大学のS・ハンチントン教授は最近の『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄せた論文のなかで、バランス・オブ・パワーの尺度となる「国益」という概念を、世界の民族、文明のルーツを念頭に置いた形で解釈し直す必要性を主張している。冷戦後の二一世紀に向けた世界はまさに、民族や文明のルーツに先祖帰りしながら、大国も小国も分離と統合、国家の最適規模の模索と国境線の引き直しを行うグローバルな流れが環流として進行しているということもできる。
 従って日本としては、そうした戦略的角度から日米中ロの「四極構造」に関与しながら、朝鮮半島、台湾、旧ソ連中央アジアのカザフスタンといった各地域をも含む小国に対応するためにも、自らの確実な情報に基づく短期、中期、長期の優先順位を戦略的に策定し、実行する組織と機能が求められているといえよう。
井尻秀憲(いじり ひでのり)
1951年生まれ。
東京外国語大学中国語科卒業。米カリフォルニア大バークレー校大学院修了。政治学博士。
筑波大学助教授を経て現在、東京外国語大学教授。
 
 
 
 
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