1997/06/10 世界週報
「台湾」棚上げで“便宜的結婚”に踏み切った米中
筑波大学助教授
井尻秀憲
両国間には依然として多くの利害の不一致
二一世紀がアジア・太平洋の時代、とりわけ「中国の世紀」といわれる中で、残り少なくなった今世紀末の歴史の歯車が急速に回転し始めている。そうした中で、冷戦後のアジアにヒト、カネ、モノ、情報といった国境を超えたマルチの経済協力と地域的集団安全保障体制構築の時代が訪れている。そこでは、太平洋を越えた「親和力」を有する「米中和解」とそれに続く日中関係の改善が、急速に進展し始めたかのように見える。
確かに、去る三月二五日に米国のゴア副大統領が中国の李鵬首相と、翌二六日には江沢民国家主席と会見し、同主席の今年秋の訪米、来年のクリントン大統領の訪中まで合意したことが伝えられている。これは、一見すると「米中和解」が二一世紀の「中国の世紀」に向けていよいよ本格化したかのような印象を与えている。
だが、本来、人権問題、台湾問題、さらには中国の言う「一国家二制度」の公約が本当に守られるのかという香港返還問題、米中貿易摩擦、中国の武器輸出など、米中両国は依然として、多くの利害の不一致を抱えている。
その米中両国が、ここにきて突然双方のイデオロギーと国是の根幹にかかわる「台湾問題を含むすべての係争点」を棚上げして「米中和解」に向かおうとする理由は何なのか。日本のみならず世界の報道界をはじめ、有識者や政策決定者ですら狐につままれたような印象を受けるのではなかろうか。
また、ゴア副大統領とほぼ時を同じくしてギングリッチ米下院議長ら米国の民主、共和両党議員団が訪中したことにも不可解な点がある。両党は香港、台湾問題の平和的解決と人権問題などでクリントン大統領のホワイトハウスに超党派で強い圧力をかけてきたにもかかわらず、中国全国人民代表大会(国会)の招きに応じたのである。
米中和解ムードの中での下院議長の訪台
米下院議長の訪中は、一九七九年の米中国交以来二人目であり、当然のことながら中国の江沢民国家主席は「雨後晴れ」とし、副大統領と下院議長の訪中を「関係改善に大いにプラス」と強調した。
一方、同議長は、訪中前に香港で返還後の初代行政長官となる董建華氏やパッテン総督と会談した。同議長は、香港市内の講演で人権、言論、報道の自由が抑圧されてはならないとする厳しい対中批判を行い、北京では今年秋の共産党一五全大会を控えて、自己の政治的基盤を固めたい江沢民主席に対して、人権問題で政治犯のリストを示して即時釈放を要請した。ただし同議長はそこで、予想された台湾問題で江沢民主席に苦言を呈することは差し控えたもようである。
また、同議長は、話題となっている中国から米ホワイトハウスへの献金疑惑については、朱鎔基副首相との会談で、「それが本当なら法律違反だ」としてしっかり苦言を呈し、北京市内の外交学院での講演では、香港の政治的自由が制限される場合には「われわれも対応する権利がある」との強い警告を発したといわれる。
加えて、ギングリッチ議長はその後四月二日、中国の懸念表明にもかかわらず、米下院議長としては米台断交以来初めて訪台し、李登輝総統ら政府首脳と会談した。同議長の訪台は、短時間の滞在ではあったものの、台湾海峡の安全保障問題で「もし中国が台湾を武力統一しようとすれば、アメリカは必要な手段で阻止するだろう」と述べたもようである。
米議会では、上下両院を問わず、対中、台湾政策に関する民主党と共和党の「大連合」が成立し、九五年夏の李登輝総統訪米、昨年三月の台湾海峡危機と総統直接選挙以前から、クリントン大統領と国務省に対して対中、対台湾政策の変更を迫ってきた。そしてその米議会が、アジアにおける「自由と民主の模範生」たる台湾への共鳴感情と「天安門事件」以来依然として人権弾圧を続け、台湾の総統直接選挙時においては実戦さながらの軍事演習を行った中国に対する強硬政策を主張し、クリントン大統領の空母二隻派遣の援護射撃を行ったことは周知の通りである。
だが、昨年の台湾向け軍事演習で国際世論の反発を招いた中国は、その後台湾とのグローバルな「外交合戦」と「独立・自主の全方位外交」に転じて対米関係改善に向けて動き始めた。それに呼応して米国内では、すでに訪中済みのオルブライト新国務長官の議会工作に続き、ギングリッチ下院議長の訪台については、キッシンジャー元米国務長官が直接同議長に対して「米中和解」の阻害要因とならないよう説得に回ったともいわれている。
しかし、中国の地政学的な重要性を主張し、七二年以来育んできた米中関係を悪化させたくないというキッシンジャー流の「現実主義者のロマンス」は、今日でも米国務省の伝統として残ってはいるが、それはあくまで台湾が「民主化しない」という前提の下で成り立っていたものであり、その説得力はさしたる効果をもたなかったようである。
従って、むしろ香港、中国、台湾で「人権、自由、民主」の重要性と「台湾海峡の安全と平和的解決」に関して米国がきちんと関与すべきことを訴えたギングリッチ議長に対する評価は、米国の報道界、国民感情において、より高いものとなっているといっても過言ではあるまい。
ダライ・ラマ訪台には米国からも圧力
他方、台湾では、ゴア副大統領らの訪中とほぼ時を同じくして、チベットの精神的指導者、ダライ・ラマ一四世が台湾仏教界の非公式な招きとして台湾への「宗教の旅」を敢行した。だが、三月一四日の台北での記者会見に臨んだダライ・ラマ一四世は、対中関係において、「チベットが求めているのは、中国からの独立ではなく、自治である」という見解を表明した。
そしてダライ・ラマ一四世は、「訪台を政治化したくない」としながら、「北京政府が合理的に判断してくれるならば、精神的指導者としてチベットに戻るための対話を北京政府と行いたい」と述べるなど、チベット「独立」運動の亡命政府としての立場を「撤回する」かのような発言を行って、それとは逆の発言内容を予想していた台湾や世界の報道界を一時困惑させた。
ダライ・ラマ一四世のこうした「対中和解」の発言は、北京政府によって公式に拒絶された。台湾に対しては、不可思議な「米中和解」が進行する中で、「なぜ今、台湾がダライ・ラマを入国させ、これによって中国をさらに刺激するのか」という強い圧力が、中国からのみならず、米国側からもかけられた可能性がある。
言うまでもなく、中国外務省の副報道局長は三月二七日、このダライ・ラマ訪台を「祖国の分裂活動であり、台湾訪問に政治的目的があることは明白だ」として激しく非難した。ただし、ダライ・ラマ一四世と李登輝総統との三月二七日の会談は「哲学論議」に終始したとの報道がなされているが、その会談はかなり長時間にわたっており、これによって再び「国際的関心」を呼んだ両者の「現実外交」(実務外交)が今後どのような形で表面化するのか、注目されるところである。
必ずしも足並みがそろわぬ米側の対応
また、台湾の李登輝総統は、いまひとつの案件として、台湾と公式の外交関係を有するパナマで今年九月に開催される予定のパナマ運河国際会議にアメリカ経由で出席することを希望している。だが、すでに報道されているように、このパナマ運河国際会議にクリントン大統領は中国の圧力を察知してか、出席しないとの意向を表明している。
パナマ国際運河会議は、パナマ運河が九九年一二月に米国からパナマに返還されるに当たり、その問題を各国首脳が協議する場であり、外交関係をもつ台湾首脳の出席はもとより、クリントン大統領も出席すべき会議である。これに対して中国は、「中国の一つの省である台湾が主権国家の名義で国際会議に出る資格はない」との立場を表明しているが、パナマ政府は、台湾との外交関係を存続する限り、李登輝総統ら台湾首脳の出席を拒否することはできないはずである。
台湾にとってのパナマの重要性は、今年七月の香港返還を前にして、いわゆる「定点直航」として中国のアモイと台湾の高雄の直接往来が、パナマ船籍などの貨物船を介して四月から開始されたことからも明らかである。そうした中台直航は、中国側にとっては「国内航路」だとされるが、台湾側にとっては、あくまでもパナマなどの第三国の貨物船を通じた直航であって、それは「国際航路」なのである。そのパナマに中国が強い圧力をかけ、台湾との外交関係を断絶させるよう働きかけていることは周知の通りである。
加えて、四月一二日、李登輝総統は、イギリスの賓客との会見の中で、北朝鮮問題とそれに関する台湾の対応策に言及したといわれる。だが、かねてから話題となっていた台湾の核廃棄物を北朝鮮で処理する問題については、既述のギングリッチ米下院議長ですら李登輝総統との会見で抑制を促したもようである。そして、ここにきて中国も再びそれに対する台湾への反対の圧力を強め、逆に李登輝総統は、北朝鮮への「現実外交」の一環として、「人道的配慮としての」食糧援助や経済援助などの指示を出したといわれるが、台湾の北朝鮮政策はまだ定まったものにはなっていない。
また、香港返還問題では四月一六日、既述の董建華氏が五月の訪米予定を延期すると発表したが、この時期訪米中の香港民主派のリーダーである李柱銘・民主党主席は、オルブライト国務長官と会談した。さらにクリントン大統領も、同主席とゴア副大統領との会談に遅れて参加するといった形で会談した。中国を刺激しないよう試みながらも、こと香港の将来に関してはイギリス同様、アメリカも「自由と人権」重視の姿勢を崩してはいないのである。
以上のように見てくると、「米中和解」の兆しといっても、それは香港、台湾、東アジアの安全保障といったイシューごとに双方の対応が異なり、アメリカ内部においても、ホワイトハウス、国務省、国防総省、議会の間で、足並みは必ずしもそろっていない。ただし、冒頭で述べたように、アメリカが「台湾問題を含むすべての係争点」を棚上げして「米中和解」に向かおうとする理由は、両国にとってそれらを上回る他の重要な案件がない限り説明のしようがない。
その点については、ゴア副大統領が先の訪中時に中国首脳との間で朝鮮半島問題について協議し、その帰路韓国に立ち寄った際に、韓国の高建首相と「米韓共同防衛体制」強化で一致したように、現時点では(東アジア最大の不安定要因である朝鮮半島情勢をおいてほかには考えられない。
その意味では、巷間伝えられている「米中和解」は、米中の「便宜的な結婚」であって、「米中和解」の兆しをそのように読みとらない限り、問題の本質は見えてこないだろう。朝鮮半島と台湾海峡情勢は、これからが正念場を迎える。その影響をまともに受ける日本も無関心ではいられないはずであり、早急な危機管理体制の整備が望まれる。
井尻秀憲(いじり ひでのり)
1951年生まれ。
東京外国語大学中国語科卒業。米カリフォルニア大バークレー校大学院修了。政治学博士。
筑波大学助教授を経て現在、東京外国語大学教授。
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