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2004/06/04 産経新聞朝刊
【主張】天安門事件15年 未だ清算できぬ血の日曜
 
 中国の首都北京で戒厳部隊が学生、市民を武力鎮圧した血の日曜日の天安門事件から十五年が経過した。この間、中国は目覚ましい経済発展を遂げ、国際社会で重要な位置を占めるようになった。北京の外観は一変、市民生活が大きく向上する中で、事件の風化が進みつつあるかにみえる。しかし、当時の学生らが要求した政治改革に本質的な前進はなく、天安門事件の「負の遺産」は、胡錦濤政権に重くのしかかっている。
 中国が経済発展を基礎に、社会を安定させ、国際協調を促進した十五年間の変化は評価できる。それは江沢民前政権が積極的に進めた改革開放政策の成果だったが、問題や矛盾は少なくない。それらの多くは、事件当時の民主化運動で提起されていた。事件がなお、今日的意味を持つ理由である。
 「安定はすべてを圧倒する」は、江沢民政権の十三年間、不変のスローガンだった。天安門事件直後の危機の中で発足した江政権の至上命題は、社会の安定回復であり、そのための方策は、経済改革による市場経済の発展と政治改革の停止だった。その結果、経済発展の半面で、格差の拡大、腐敗の深刻化、犯罪の増大など、事件前よりはるかに大きい社会矛盾を生み出した。一方、政治改革が停滞しただけでなく、表現や信仰の自由など民主的権利は頻繁に抑圧された。
 これら天安門事件の負の遺産というべき問題や矛盾は、胡錦濤現政権に引き継がれた。胡政権発足以来の政策には、清算に取り組む姿勢が見える。
 総書記就任直後、胡錦濤氏は憲法を国家と国民の基本とし、法の下の平等を強調、今春の憲法改正で、人権尊重や私有財産制など個人の権利を規定した。また農民や失業者など社会的弱者の救済に目を向ける施策を相次いで打ち出し、指導幹部に問責制を導入、失政や腐敗に厳しい処分もしている。
 天安門事件当時、トウ小平氏らが超法規的権力を思うままにしていた時代は終わり、民主化と法治主義確立の流れが生まれつつあるといわれる。しかし報道も司法も党が支配する一党独裁の下では、民主化も法治主義も限界がある。例えば中国の民主とは、下位が上位に従う民主集中制を指し、党権力維持のシステムだ。本格的政治改革なしに負の遺産は清算できないだろう。
 
 
 
 
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