日本財団 図書館


2004年10月号 Voice
徹底討論・女帝は是か非か 皇室典範の改正に向けて
長谷川三千子(はせがわ みちこ)・(埼玉大学教授)
八木秀次(やぎ ひでつぐ)・(高崎経済大学助教授)
高森明勅(たかもり あきのり)・(拓殖大学客員教授)
女系天皇を「皇統」と呼べるのか
 長谷川 私は普段あまり座談会に自分からしゃしゃり出るほうではないのですが、今回ばかりは一世一代のわがままをいって、八木さん、高森さんのお二人と話をする機会を設けていただきました。いまいわゆる女帝論議がさかんに行なわれていますが、そのなかで私が本当に「なるほど」と頷かされたのは、お二人のご論文(本誌では先月号、八木秀次「女性天皇容認論を排す」、高森明勅「皇位の継承と直系の重み」)でした。皇位継承問題を筋道立てて考えるにあたっては、どうしても辿らざる(たどらざる)をえない「二筋の道」がある。お二人のご論考は、その二筋の道をそれぞれにくっきり示してくださっており、たいへん貴重だと感じました。
 そこで、最初にお二人から、皇位継承問題について「これだけは押さえておかなければならない」という共通部分をお示しいただき、それから徐々に「どちらの道を選んだらいいか」という議論に入っていきたいと思います。まず八木さんにお伺いしたいのですが、八木さんは先月のご論文で、「昨今、あまりにも軽薄なかたちで女帝論議が行なわれている」と指摘されていますね。
 八木 私はここのところ皇位継承問題について、ほぼ毎日取材を受けていますが、その際に指摘されるのが世論調査の数字です。たとえば日本世論調査会の調査によると、女性天皇を容認する人の割合が、四年半前は五三%だった。それが三年前は七一%、一年前は七六%と徐々に高くなり、八割近くが女性天皇を容認している。「この世論をどう受け止めるか」というわけです。
 答えは簡単で、「はたして国民の多くに、皇位継承に関する基本的な知識があってそう答えているのか」ということです。多くは、「過去にも女性天皇がいらっしゃった」という漠然としたイメージで回答しているのではないかと思うんです。実際、私などが最近、皇位継承に関する基本的な事項を示すようになったら、女性天皇容認に慎重な割合が急激に増えてきた。少なくとも私が対応した各社の記者や編集者で、納得しなかった人は一人もいません。
 その基本的な事項は何かというと、まず第一は、いわゆる「万世一系」とされる皇統が、一貫して「男系継承」されてきたということです。二番目は、過去八人十代の女性天皇は、いずれも「男系の女子」であったということ。三番目は、女性天皇は、本命である男系の男子が成長されるまでの中継ぎ役であったということ。四番目は、女性天皇がお産みになったお子様が、天皇になられた例はないということ。五番目は、女性天皇がお産みになったお子様が天皇になられれば、皇統が女系に移ってしまう。よって、これを厳しく排除してきたこと。六番目は、皇統断絶の危機が過去何度も訪れているが、その際は直系でなく、傍系から皇位に就かれているということです。
 以上をまとめていえば、皇位は必ずしも親から子へという直系による継承ではなく、一貫して「男系による継承」であったことがわかる。このような基本的な事項を踏まえれば、女性天皇の誕生はけっして望ましいものではないし、今日の皇位継承の危機にあたって、どうすべきかも見えてくると思うのです。
 もちろん「男系継承」といっても、必ずしも天皇が男子の嫡子のお子様に恵まれる保証はありません。過去においてもこれはなかなかに困難であった。そこで二つの“安全装置”を設けていた、と私は理解しています。一つは側室を設けることによって庶系継承する、それでもダメな場合は傍系による継承を行なう。今日、側室による庶系継承は、国民感情からして難しいでしょう。ではもう一つの傍系継承という方法を、今日流にアレンジして使えないか。これが基本的な私の立場です。
 長谷川 つまり過去に女性の天皇がいらしても、それは「男系の継承」という大きな流れのなかで、ときどきピンチヒッターとしていらしただけだった。守るべき一つのかたちとして、男系の継承がずっと続いてきた。それを崩してしまうのは、皇室伝統の大切な部分を失うことになりはしないか。そうなっては、たとえ天皇家は続いても、元も子もないというわけですね。
 八木 これまで皇統が男系で継承されてきたならば、女系天皇が誕生した場合、はたしてそれでも「皇統」と呼べるのかという本質的な問題が生じてきます。だから私は、男系継承の道をぎりぎりまで探るべきだと思うのです。
「厳密な女系」と「ゆるやかな女系」
 長谷川 その点、「皇統」の意味をもう少し広く考えてみようというのが、高森さんのお立場ですね。
 高森 はい。ただ、「女帝は是か非か」という突き詰めた問いになったとき、八木さんが「非である」というのに対し、私は「女帝を推進している」と誤解されやすい。しかし、けっして推進しているわけではありません。「女帝という選択肢も、最終的には排除するわけにいかない」という立場です。
 また、八木さんと共通する部分もかなりあります。たとえば世にいわれる「女帝容認論」の理由として挙げられる、いわゆる男女平等や男女共同参画社会の推進といった、低次元のレベルで女帝を推進しようという傾きについては、やはり事柄の本質を見失っていると思わざるをえない。
 皇位の継承とは、いわゆる人権レベルの問題ではありません。そもそも人権は何によって支えられるかというと、国家の秩序です。その国家の秩序を支えている要に「皇位」がある。その位置づけを見失った軽薄な女帝容認論には、かねてから警戒し、また批判もしてきました。また、皇統の尊厳をいかに保持すべきかという問題意識や、皇位継承の将来が非常に危うい局面に立っていて、そのため「皇室典範」の改正に着手すべきであるという考えも、八木さんと同じです。このように、かなり共通の基盤が存在することを踏まえたうえで、私の考えを申しあげます。
 いま八木さんが整理なさった皇位継承をめぐる基本的な事項について、私なりに異論を提出します。まず「『万世一系』とされる皇統が、一貫して男系継承だった」という点です。美濃部達吉博士の憲法解釈にも出てきますように、万世一系は「過去だけでなく、未来をも含んだ概念である」と考えるべきです。その場合、たしかに過去においては男系継承が一貫して維持されていましたが、将来においては未確定な部分があります。ですから万世一系という表現をここで使うのは、少し当を得ないように思います。
 また三番目の、「女性天皇は、男系の男子が成長するまでの中継ぎであった」という点も、一概にそうした断定はできないと考えています。たとえば最初の女帝である推古天皇ですが、古代史学者のなかには推古天皇の時代に、生前に皇位を譲る「譲位」という制度はなかったという人もいます。譲位という制度がない段階における女帝を「中継ぎ」と見てよいのかどうか。このほかにも「中継ぎ」と見てよいかどうか疑問のケースがあります。
 四番目の、「女性天皇がお産みになったお子様が天皇になられた例はない」というのも、やや舌足らずなところがあります。じつは女性天皇である元明天皇がお産みになったお子様は皇位に就いておられて、それが元正天皇です。ただ即位される前、お妃の時代に産んでおられるので、天皇の位にあってお産みになってはいない。この点は補足しておきたいと思います。
 次の五番目あたりから重要な論点になってくるのですけれど、「女性天皇がお産みになったお子様が天皇になられれば、皇統が女系に移る」と。ここで問題となるのが、「女系」という言葉の概念です。いま「男系」「女系」という言葉は、八木さんのお力もあって、一般にも聞き慣れたものになってきました。ところが女系という概念は、男系に比べていささか曖昧な部分がある。
 男系は非常にクリアで、男性の父親から息子、そしてその息子へと、ひたすら男子によってつながっている血統を指します。一方、厳密な意味での女系は、これと対照的に母親から娘、そしてその娘へと、女性だけによって受け継がれる血統になります。しかし広い意味での女系は、女性から男子が生まれて、それから男子、男子と続いた場合も入る。あいだに一人でも女性が入れば、あとは全部女系になるという、非常に緩やかな女系の概念もあるわけです。八木さんが今回指摘なさったのは、この緩やかなほうの女系ですね。厳密には「男系でなくなる」といったほうが正しく、それを「女系に移る」といってしまうのは、いかがかと思います。
 それから六番目の、「過去の皇統断絶の危機に、男系の傍系から天皇になられている」という指摘です。これも実例に照らし合わせると、なかなか厄介な問題があります。八木さんは江戸時代の光格天皇や古代の継体天皇などを念頭に置かれているようで、これらの方々の例はたしかにおっしゃるとおりです。ところが、それ以外にも傍系による継承の例は数多くありまして、それらを見ると、必ずしも皇統断絶の危機に際して傍系に移ったわけではないんです。
 たとえば平安時代に陽成天皇という方がおられましたが、この方は非常に行動が奇異で、とても天皇は務まらない、と譲位させられるんです。そしてその直系を次の皇位にお就かせすることはできないとなって、別の系統の方に皇位に就いていただいています。あるいは「承久の変」のときに、仲恭天皇という方がおられまして、この方は「承久の変」を起こした側の血統でした。そこで自分たちに攻撃を仕掛けた順徳上皇の直系を、そのまま皇位に就かせることはできない、と鎌倉幕府が別の系統の方を皇位に就かせるんです。ほかにもさまざまな例がありますが、やはり傍系継承というのは、かなり異例な措置であり、ある種の政治的な思惑が介在しているものも多い。歓迎すべきケースではないということを申しあげたい。
「双系主義」が原点にあった日本の皇室
 長谷川 いまの高森さんのお話から、重要な問題が浮かび上がってきました。いまわれわれは、まず「かたち」の問題を取り上げて、どうすれば「皇室のかたち」を整えることができるのかと議論していますが、当然その中身も問題にしなければならないわけです。そもそも「天皇であられる」とはどういうことなのか。歴史を眺めてみると、たんに「その御血筋であられる」というだけではない要素も含まれていそうですね。「われわれは天皇陛下にどのような存在意義を求めるのか」「日本は皇室をどのような存在として保持してきたのか」、そうした議論も欠かせません。
 この点についてはあとでじっくり議論をしていきたいと思いますが、いずれにしても日本の皇室が、男系を基本原理として皇統を引き継いできたことは間違いなさそうですね。
 高森 その点についても少し異論があります。皇室が一貫して男系によって継承されてきた事実は疑う余地がないのですが、それを促す要因を「基本原理」とまで認めてよいのだろうかということです。明治以前の基本的な皇位継承システムについて私の理解を申し上げると、「庶系継承」、すなわち側室とのあいだにお生まれになったお子様の皇位継承も可能で、かつ「双系主義」、すなわち男系も女系も皇位継承できるというものです。
 根拠となるのは『養老令』のなかの「継嗣令」という編目で、ここで明らかに女系も「皇統」と認めています。詳しくは『Voice』の先月号に書きましたが、この『養老令』は形式上、明治に至るまで国家の最高法規としての位置を保持してきました。実際には「男系を主体としながら、場合によっては女系も認める」という緩やかな規定で、システムとしてはまさに「庶系を伴う双系主義」だったのです。先ほど八木さんは二重の“安全装置”が働いていたと指摘なさいましたが、じつは三重の“安全装置”が働いていたのです。その三番目は最後まで出番がなかったけれど、枠組みとしては、女系の継承の可能性も認めていた。そうであれば、男系主義が皇位継承を貫く「基本原理」とまでいえるのかどうか。
 また、そういうシステムがありながら、なぜ結果として男系主義が貫かれてきたかというと、そこには二つ理由があります。一つは庶系継承という安全装置がきちんと機能していたこと、もう一つは、「姓」が父系継承されるという観念が、日本社会を強く縛っていたことです。この「姓」とは、名字とは区別されたウジ(氏族)の名を意味します。もし女帝が「姓」をもつ臣下と結婚し、お子様をお産みになった場合、そのお子様は女帝の配偶者の父方の姓を受け継ぐことになります。すると姓をもたないはずの皇族が、臣下の姓を名乗ることになってしまう。これはまずいということで、女帝が一般の国民男子と結婚することはありえなかったのです。
 しかし現代では「姓」という制度は廃止され、社会的影響力もすでに失われている。そう考えたとき、なにも「姓」の観念に縛られて、選択肢を自ら狭める必要はない。「男系優先の双系主義」という、より安全な皇統存続のシステムをとるべきだと思うのです。
 歴史的な経緯を見れば、明治以前は「庶系を伴う双系主義」という非常に安全なシステムをとっていた。それを明治政府が「皇室典範」を定めるときに、過去に男系主義で貫かれてきた事実を重視して、それを法的規範にまで高め、「庶系を伴う男系主義」として“安全装置”を少し狭めた。戦後の典範になりますと、今度は庶系が否定された。加えて占領下に十一宮家が皇籍離脱を余儀なくされ、「傍系継承」という“安全装置”すら機能しにくい状況に追い込まれた。これは危険極まりないことで、皇統が存続できない仕組みのまま、われわれは皇室を仰いでいるわけです。そこに現状の皇室をめぐる危機の根本原因があるのです。
 長谷川 考えてみれば、われわれ一般の民間人が、「皇室典範」の在り方を云々するのは、本来「畏れ多いこと」なんですね。しかし、あえていまわれわれが「皇室典範」を早急に改正すべきだと考える背景として、一つには、「皇室典範」が占領下に外国人の手によって、皇統が存続できないようなかたちに歪められてしまったという事実があるわけです。それを少なくとも元に戻さなければならない。
 それに際して八木さんは、少なくとも明治時代の「皇室典範」にまで戻さなければならないとお考えであり、高森さんは、さらに以前の、安全装置が幾重にも張り巡らされていた時期に戻すべきだとお考えである――そういうことになるでしょうか。
 八木 いや、私は明治期に戻そうという立場ではないんです。古代をも含めて、皇統の本質的な在り方について議論しているつもりでいるんですけれど。
 長谷川 もちろん明治期のそれも、当時の人々が勝手に整えたものではなく、古からの皇室の在り方を真剣に振り返り、捉え直した結果、出てきたものですよね。
 八木 おっしゃるとおりです。その点からいえば、高森さんが提出された「緩やかな双系主義」には異論があります。女帝は「男系の女子」であり、その配偶者は「男系の男子」である。ならばそのあいだに生まれた子供は男系の血を受け継いでいる。だからこれも男系継承の一つのかたちではないかと思います。そして何より、少なくとも事実としては、一貫して男系継承で来た。その重みは強調してもしすぎることはないと思います。今日、庶系継承は無理である。そこで次に来るのが傍系継承です。この傍系継承を何らかのかたちで、今日的に活用する方法はないものかと考えます。具体例として、旧十一宮家の男系の男子の方が、現在の内親王や女王と婚姻関係を結んで、そこにお生まれになったお子様が、皇太子殿下の次に皇位を継承される。ロイヤルファミリーと血縁関係も近いのですから、これがいちばん現実的な方策ではないかと思います。
 高森 しかし旧宮家の血筋というと、後花園天皇以来、まさに五百数十年にわたって、天皇の血筋から離れておられる。ほぼ二十代を遡ったかたちでの継承になるわけです。同じく傍系である継体天皇の「一世紀ほど離れた五世の孫」というケースと比べても、はるかに遠い。少し次元の違う話だと思います。
 さらに重視していただきたいのは、十一の旧宮家の現状です。すでに七家が廃絶、もしくは男子の跡継ぎがいらっしゃらない。いうまでもなく宮家の存続においても、庶系継承は大きな機能を果たしていました。庶系継承がなくなれば、いくら宮家を維持しようとしても、男系主義に拘泥していては、維持できない。わずか半世紀ほどでこの状態です。庶系が認められにくい現状において、やはり男系主義による事態の根本的解決は、非常に難しいと思うのです。このままさらに五十年経過すればどうなるか。
 なお「男系」「女系」というのは男子の系統か女子の系統かという概念ですから、女帝のお子様が女系であるのはいうまでもありません。
 八木 しかしそれでも四家も存続しているともいえる。
日本人が望んだ天皇の世襲制
 長谷川 ここで、ひとつ、たいへん素朴な疑問を投げ掛けてみたいのですが、もしも「なぜ血筋がつながっていなくてはならないんだろう」「天皇陛下になる人を、なぜ選挙で選んではいけないんだろう」と問い掛ける人がいたとしたら、われわれはどう答えたらいいのか。
 八木 それは非常に難しい問題です。もちろんいろんな説明が可能だと思います。「王様の政治学」という君主制の機能的な説明も可能です。しかし、日本の国の始まりから「続いてきたから」という事実の重みを強調することが、いちばん適切であるように思います。天皇が天皇であられる理由ですが、やはり「血筋である」といわざるをえない。
 私は能力や人格という問題は、付随的なものだと思います。神武天皇に発する男系の御血筋を今日において継承しておられる方、その方が皇位に就かれる人物です。歴代百二十五代、皇太子殿下も入れると百二十六代が、神武天皇以来の男系の血筋でつながっておられる。皇室は世界最古の王朝ですが、このようなことは世界中どこを探してもありません。その事実の重みを、そのまま受け止めるべきではないかと思います。
 長谷川 たしかに、考えてみると人間の血筋というのは、一人ひとりの人間を超えたところがあります。遠い昔から続いてきたものが、今度は未来の時間へ伸びていく。その流れをかたちづくっているのが、血筋なわけですね。そう考えると、血筋という事柄自体が、時間の神秘そのものといえる。それが日本の国柄の真ん中にずっと通ってきた。その事実だけで、本当にすごいことといえますね。さらにいえば、日本の皇室における道徳性というのも、つねにその血筋を軸として、「皇祖皇宗の遺訓」として伝わってきたわけで、「力」ではなく「徳」が大切だという伝統は、この「血筋」ということと切り離しがたく結びついているような気がします。
 高森 先ほどの質問の、「なぜ天皇になる人を選挙で選んではいけないか」についてですが、およそ独立国家たるもの、国家の中心となる存在、現在でいう国家元首が不可欠である。対外的に、その国を代表して、その国の統合の要になる存在が必要であることは、誰しも認めるところでしょう。
 その国家元首の存在様式には、大枠で二つのタイプがあります。一つは選挙による大統領など。もう一つは世襲による君主です。選挙によって選ばれる元首には、プラス面とマイナス面があります。プラス面は能力のある人、あるいは人望のある人が選ばれるケースが多いことです。能力と人望が正比例するものでないといった問題もありますが、いちおうはプラスの面といえる。また有力な政党をバックにしているため、政策を実行に移しやすいことも挙げられます。
 一方のマイナス面は、ポピュリズムに走って、国家の長期的な路線を誤りがちであることです。また、どんなに国民に人気の高いリーダーであっても半分は政敵で、いつ足をすくわれ、政治が混乱するかわからない。また、ある時期を境にみるみる国民の支持が凋落し、「レームダック」状態になって政策運営に支障を来すこともある。場合によっては、独裁者への道を歩むかもしれない。さらに致命的なのは、その国家における歴史的な連続性というものを体現できない。国家元首に求められる尊厳や威厳、あるいは高貴な品格などが、選挙期間におけるスキャンダル合戦などで大いに損なわれることもあります。また選挙の在り方によっては、この前の台湾総統選挙やアメリカ大統領選挙のように、選挙の正当性そのものに疑義が挟まれることもある。
 では世襲制の場合はどうかというと、ちょうどその逆です。能力や人望が優れている保証はない。「暗愚の君主」が現れてしまう可能性があるわけです。しかしこれについては、立憲君主制の場合、「輔弼(ほひつ)制」という政策運営上のサポートシステムがきちんと整っていれば、さほど懸念すべきマイナス面ではない。政敵にしても、日本の場合、戦後のような左翼の影響力が強い時世の下でも、一貫して国民の八割以上が天皇という存在を支持しつづけています。そしてプラス面としては、歴史の連続性を体現し、尊厳を表現するのに、伝統ある君主ほどふさわしい存在はいません。
 そう考えたとき、世界の君主のなかで日本の天皇ほど、世襲制のもつマイナス面が希薄で、主にプラス面を集約的に身に帯びておられる方はいらっしゃらない気がします。現存する世界最古の王朝であり、しかも独裁や専制とは懸け離れ、公益、民意を尊重される。絶えず自らを省みて、国家社会全体の利益を最優先するという精神の伝統を受け継いでこられている。日本の国民は、意識するとしないとにかかわらず、漠然とそれを感得していたのだと思います。
 それが、「なぜ天皇の血筋がつながってきたのか」という問いに対する答えに結びつきます。一言でいって、結局は国民の側がそれを望んだからです。先月号にも書きましたように、「道鏡事件」のような、天皇自ら皇統に属さない人間を即位させようとしたときですら、国民はこれを望まなかった。すなわち皇室が「自分たちの血筋で君主の地位を独占する」という原理を押しつけてきたのではなく、国民の側で他の血筋に変わったり、他のシステムに変わることを望まなかったのです。そこには日本国家の統合のかたちが壊れてしまうことや、いびつなかたちでの統制国家を避けようとする、日本人の賢明な選択が働いていたといえるでしょう。
 長谷川 いやァ、そうしてみると、いわゆる「世襲」という言葉が、現代では安易に使われすぎていますね。お父さんが国会議員だったから息子も地盤を引き継いで国会議員になった、なんていうのを「世襲議員」と呼んだりしますが、本来はこんなものを「世襲」といってはいけませんね。長い血筋を経てこそ、世襲の本当のよいところが出てくるわけなのですから。
 高森 まさに長い歳月のなかで精神が磨かれ、鍛えられていくのです。「世襲議員」の場合は地盤や特権を受け継いでいるようですが、皇室における「世襲」では、責務、あるいは祈り、あるいは精神を受け継いでいるのです。先ほど八木さんが、「とにかく血筋である」といわれましたが、あえて異論を申し上げるなら、私は「血筋、プラス祈りの継承である」と考えます。まさに皇祖以来の祈りを受け継いでこられたことと血統が一体になっているんです。この両者相まって、皇統の尊厳というものが成立しています。ここでは立ち入りませんが、践祚(せんそ)の儀、即位式、大嘗祭(だいじょうさい)などの皇位継承に伴う儀礼は、そのことを確認し更新する意味をもつものでしょう。
 いまわが国には、グローバル化の波が押し寄せています。そのなかで日本人のアイデンティティを支えうる最後の砦とは何かというと、やはり神話に由来し、古くからの血脈と祈りを受け継ぐ世襲の天皇という存在以外ありえない。これもまた、忘れてならない天皇の存在意義だと思います。
「百二十五代続いた」という重み
 長谷川 先ほどは「道徳性」という言い方をしましたけれども、たしかに、世襲の天皇というかたちによって引き継がれていく大切な事柄として、「祈り」ということを忘れてはなりませんね。国民の安寧を第一に考えるという「君徳」は、同時に「祈り」でもある。このあたりのことについては、八木さんはどうお考えでしょう。
 八木 私が「血筋」といっているのは、その前提がなければ、いくら崇高な考えをもって国民のために祈ったところで、皇位に就けないからです。「祈り」や「道徳」という以前に、あくまで血統・血筋を大前提として議論しなければならない。
 また先に「事実の積み重ね」と申しましたけれど、たとえばお店でも、三代ぐらいだと老舗とはいいません。それが五代、六代になると、だんだん世間の目も変わってくる。それが百二十五代続いてきた。そこに重みなり、尊厳性というものが自ずと出てくるわけです。イギリスにしても「なぜ君主制が存在するのか」などという議論はとくにされていません。「昔から続いてきたから」という理由で十分だとされています。さらにいうなら、「あるものを次の世代に受け渡すときに、渡すに値するものであるか否かについて、その世代ごとの慎重な判断があった、その積み重ねが何代も続いてきたのであれば、そこにはそれだけの値打ちがある」と考えられているのです。
 日本の天皇についても同じだと思います。われわれの祖先が、あるいはその時々の天皇が、いろいろ苦労されながらここまで引き継いできた。だからわれわれの代で絶やしてはならないし、次の世代に伝えていくべきである。それで十分だと私は思うのです。
 長谷川 これまで続いてきたものを、われわれの代で、何の考えもなしに放り捨ててしまうということの取り返しのつかない怖さを、本当に肌身に染みて実感しないといけない、ということですよね。
 八木 その意味では、高森さんが指摘なさったように、皇位継承に関するこれまでの歴史的なルールを踏まえずに議論し、その結果、間違った皇位継承を導くことがあってはならないと思っています。あるいは「雅子様がおかわいそうだ」などの、感情論に流されて皇位継承の問題を左右してはならない。
 長谷川 そこで高森さんが考えておられるのが、「とにかく皇統を絶やしてはならない。これこそ絶対死守しなければならないぎりぎりの限界である」ということですね。
 高森 はい。ただ、いちばん根底の部分では、国民もよくわかっているとは思うんです。いま、軽佻浮薄な女帝論がいろいろと出ていますが、そのいちばん根底にあるのは、「この血筋がきちんとつながるのか」という素朴な国民の不安感です。この点については非常に健全であると思います。ただそれが、ややもすると「おかわいそう」といった底の浅いヒューマニズムの議論に流れることに問題がある。そもそも世襲の天皇という存在を戴いていること自体、天皇陛下をはじめ、皇族方にかなり巨大な負担をお願いしているのです。枝葉末節の部分で軽薄な同情を申し上げる一方で、皇族の方々が、基本的人権をほとんど制約された状態に置かれていることに対しては、まったく頓着しない。これは非常にアンバランスな感覚です。
 さらに日本人にとってもっと重要なのは、天皇という存在と取り替え可能なシステムがほかにあるのかという問題です。天皇という存在に対して疑義を投げ掛ける、斜に構えた議論もありますけれど、それに代わる国家構想をくっきりと提示できるのか。全体主義的な政治風土を招き入れず、また奇妙なオカルト宗教が跳梁跋扈するような事態に陥らずに、健全で調和のある社会を築いていくことができるのか。この点は強く申しあげておきたい。
天皇によってつくられる「社会の品格」
 長谷川 いま、あらためて皇室の意義について考えようとするとき、何の役に立つか、といった功利主義的な仕方で考えても、何も出てこないと思います。しかし逆に「もし皇室がなくなったとき、われわれは何を失うのか」と考えてみることはできる。私は、そのときには、日本人の精神からある「静けさ」が失われることになるだろうという気がしています。現在すでに日本人の精神は、静けさを保っているとはとうていいえない状況ですが、もしこれで皇室がなくなったら、こんなものではない。振り返って、「ああ、あの時期はまだ、われわれは静けさを保っていたな」とため息をつくことになるでしょう。
 それを体現なさる天皇陛下御自身の御公務は、たしかに人間業ではできないものです。高森さんも先月の論文で、吉本隆明さんの言葉を引いて「人間的には不可能としかいいようのない情熱」と述べられていましたが、天皇陛下はまさにそのような御公務をこなされる存在として位に就いておられると思うのです。そこから考えたとき、今回の雅子様の御不例について、なぜ「尊い」という捉え方をする人がいないのか。
 いま雅子様は、皇太子妃として当然通るべき苦悩をお悩みになっていらっしゃる気がするんです。先ほど高森さんが世襲制君主と選挙制元首の違いを明快に論じられましたが、先日私はあるシンポジウムで「世襲には競争がないではないか」という質問を受けたんです。そのときふっと瞬間的に、「でも、代わりに修行があります」という言葉が出てきました。世襲には、つねに修行が伴うのです。だからこそ歴代の天皇も、ほとんど人間業でないようなことに耐えてこられた。傍系の天皇であっても、その地位に就いてから一生懸命修行されたという話が、八木さんのご論文にもありました。これから皇后陛下におなりになる方にも、やはり同じものが要求されると思うのです。
 普通の現代日本人として暮らしてこられた方が、それを体現しなければならない。これは禅宗のお坊さんが、厳しい修行によって無我を体現するのと同じぐらい、大変なことでしょう。しかし、それは「人間業ではない」ようにもみえますが、けっして「非人間的」なことではない。それをくぐり抜けられれば、ご自分の個性を再び取り戻し、しかも無私を体現するということになる――私は、雅子様は必ずそのような境地に辿りつかれると思います。このような話は雅子様にはご迷惑かもしれませんが、私たち国民としては、やはりこれを「尊いこと」と捉える視点が大事ではないかと思います。
 高森 おっしゃるとおりで、非常に教えられた気がします。そのような境地に辿りつかれたのが、現在の皇后陛下でいらっしゃるわけです。またいま、「世襲には競争がない」というお話を聞いて、ハッと思いました。まさに天皇陛下や皇族方は、競争とは無縁の位置におられます。逆にわれわれは物心ついたときから、何らかのかたちで競争の場に立たされている。その過程のなかで、悲しいかな、ある種のエゴイズムも身につけざるをえない。そのような環境をまったく経験なさっていない方々が、社会の中枢に厳然としておられる。これは、私どもの社会の品格を保つうえで、たいへん重要なことではないかと思います。競争のない環境で自らを高め、深めておられる方々がいらっしゃることの尊さ。これをけっして失ってはならない。一度失えば、二度と取り返しがつかないからです。だからこそ、長期にわたる見通しのなかで、もっとも万全なシステムを構築しなければならないのです。
 皇太子殿下に内親王殿下がお生まれになったことで、皇位継承をめぐって、さまざまな波紋が生じることになりましたが、これはある種、天の配剤だと思う。ここで親王殿下がお生まれになれば、「これですべて解決」となっていたわけです。根本に矛盾をはらんだ無謀なシステムを抱えながら、目先の安心感で危機を見過ごしてしまったでしょう。それが内親王殿下の御誕生によって、システムの根本矛盾が露呈したのです。したがっていまこそ、これを乗り越えることが国民に委ねられている。このとき私はやはり、双系主義の採用によって、現在の危機を脱することができるし、宮家の存続も可能になると考えているのです。
 八木 前回の論文にも書きましたが、私は最近、旧宮家の男系の男子の方とつき合いができました。その方は最近、自分の血筋のことを深く自覚されるようになっているのです。先ほど高森さんからご批判がありましたけれども、たしかに五百数十年前に分かれた、現在の天皇陛下から見るとかなり遠い血筋ではあります。しかしその方は、なぜ自分たちのような世襲親王家が存続してきたかを考えようとしておられる。それは、現在のような皇統の危機が訪れたときに、何かのお役に立つためではなかったかということです。
 本音をいえば、皇族になって自由が制約されるのはいやだし、個人としてやりたいこともある。しかし、自分がそういう血筋に生まれたことを思うと、自分たちが役に立たねばならないのではないかと思っておられる。まさに、血筋を自覚することによって精神性の高さが生まれてくる一つの例だと思います。
 高森 いまの、旧宮家の方の血筋のご自覚の話は、私もたいへん感動いたしました。ただ宮家を“安全装置”として考えた場合、私が避けたいのは、次のような事態なんです。宮家が六つか七つ確保できたとします。そして今回の天皇陛下はAという宮家、次の天皇陛下はBという宮家、その次の方はCという宮家からと、たまたま男子がお生まれになった宮家に皇位が移っていく。これがいちばん極端な傍系継承です。絶えず傍系に移っていくというのは、やはり皇統の存続の在り方としてきわめていびつなかたちというほかありません。
 いま神武天皇から今上陛下に至る一本の血筋から、歴代天皇百二十五代中、六十代の方が皇位についておられます。先月号の系図をご覧いただければお分かりのように、途中、傍系の血統に皇位が移ったこともありますが、その中心に流れている尊い一本の血筋がある。この血筋を軸に、皇統の存続を図るべきだと思うのです。親から子へ真っすぐ受け継がれていくという姿に、われわれは悠久の、歳月を超えた歴史とのつながりを実感として受け止めることができる。男系主義だけだと、短期的にはなんとかしのげても、中長期的には皇統の存続が困難な局面を迎えざるをえない。その危機感を前提として、女系をも認める双系主義が必要なのです。
後世の日本人も納得する論議を
 長谷川 私なりに勝手に整理させていただくと、少なくとも現在のように「皇室典範」を改正するチャンスは、そうたびたび訪れるものではない。また、あってはならないことです。そのように考えると、「まあ、これで大丈夫だろう」という範囲よりもさらに広げて、将来どのような事態に陥っても対応できる「皇室典範」にしておく必要があるのは事実でしょう。ただし規定を緩やかにした「皇室典範」にするならば、その分、それだけ「皇統のかたち」をしっかり認識しておく必要がある。つまり高森さんが主張なさるような、もっとも多くの“安全装置”を備えたかたちを選択する場合には、それ以前に、八木さんが主張なさるような「皇統のかたち」の正統をくっきりと描き、周知徹底させる必要がある。
 私の望みとしては、ごく近い将来、国会に「皇室典範」の改正についての具体的な委員会をつくり、そこには通常の委員会のように一〇人、二〇人ものメンバーを入れるのでなく、八木さんと高森さんのお二人だけに参加していただく(笑)。ちょうど明治憲法をつくるときのかたちです。あとは伊藤博文がいてくれればいいのですが、これがいちばん難しいかもしれない(笑)。ともかく、そういうしっかりとした改正ができれば、日本はあと何百年かは安泰ではなかろうか、と。
 高森 私も、この「日本の危機」と呼ばれているものを、「日本の好機」に転ずべきだと思っています。皇室をめぐる制度、および国民の心の在り方をより確固たるものにする。その意味で私は、八木さんがぶれることなく、一貫して浅薄なる女帝容認論を排撃され、男系主義の事実の重みを尊重すべきだと訴えられているのは、非常に尊いことと受け止めています。
 長谷川 ですから、まず順序としては、八木さんの主張が世論の主流にならないといけませんね。で、できあがった法案はそれよりもう少し緩くなっている・・・(笑)。
 八木 私がそれを認めるのは難しいですね(笑)。やはり男系継承を今日まで続けてきたことには、非常に重みがあるわけで、男系継承の道を最後まで探そうとしないのは現代人の傲慢だと思うし、苦労を重ねながら男系継承を続けてきたわれわれの祖先に対して失礼だと思います。皇室の基盤を安泰にしたいという思いは、私も同じです。しかし「双系主義」といってしまうと、男系継承は相対化されてしまう。もっといえば、否定される。ここはやはり慎重に考えるべきだ、と最後まで訴えたいと思います。
 高森 しかし、わずか半世紀あまりで、十一の宮家のうち四家しか男子のお世継ぎがいなくなった現状を考えると、“安全装置”はできるだけ増やしたほうがいい。傍系を認めると同時に、養子の制度も設ける。女性宮家にも道を開く。それらすべてを実効あるものにするためにも、双系主義の選択は避けられないのです。そうしなければ、たとえわれわれの世代でうまくいっても、結局、のちの世代に大きな宿題を残すことになってしまいます。
 長谷川 そこでぜひとも必要になってくるのは、それをたんに「物理的に仕方がないから」というのではなく、日本の歴史と神学に即した、十分に説得的な理論をつくることです。いうならば、八木さんも「それなら許せる」とうなずけるような理論――もし、そういうものを作り上げられれば、その後の日本人も「われわれはいい加減な妥協をしたのではなく、あのとき本当に突き詰めて考え、皇室に関する理論がもう一段深まった」という評価を下すでしょう。そのような理論をわれわれは考え出さなければならない。
 高森 理論ということでは、これまでの考古学や文献史学の研究成果によって、日本列島のべーシックな親族構造や継承法が双系的なものだったことが明らかになってきています。それがシナ父系制に由来する「姓」の観念により、男系主義が維持されることになった。それでも皇統そのものは、国法上、女系も皇統として位置づけられていたわけです。もはや「姓」の観念の影響下から脱した現代日本において、双系主義を採用することは、何らわが国の伝統にもとるものではないと捉えているんです。
 長谷川 なるほど。八木さんはすでにあるところで、明治の「皇室典範」を起草した井上毅になぞらえて、「平成の井上毅」の“称号”をおとりになっているようですが(笑)、高森さんに求められているのは、「平成の本居宣長」になることのようですね。つまり中国流の「からごころ」に対する日本の「やまとごころ」の文脈で、双系主義が認められることをすべての日本人に納得させる――そのような国学理論を打ち立てられるかどうか。そういう課題が大きくのしかかっている気がいたします。
 高森 ずいぶん重い宿題をいただきました(笑)。私は万世一系として、いまの百二十五代が、二百代、三百代、五百代と続くことを考えましたときに、「男系主義は皇統のなかのある時期を彩った顕著な特徴であった」とされる時代が来てもおかしくないと思っています。射程を本当の「万世」という点で捉えたとき、男系主義の歴史的な位置づけも相対化できるのです。
 長谷川 お二人とも、今日は本当にありがとうございました。
◇高森明勅(たかもり あきのり)
1957年生まれ。
国学院大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士課程修了。
国学院大学講師、日本文化研究所共同研究員を経て、現在、拓殖大学客員教授、「新しい歴史教科書をつくる会」副会長。
◇八木秀次(やぎ ひでつぐ)
1962年生まれ。
早稲田大学法学部卒業。同大学院政治学研究科博士課程中退。
現在、高崎経済大学地域政策学部助教授、慶応義塾大学総合政策学部非常勤講師、フジテレビ番組審議委員。「新しい歴史教科書をつくる会」会長。
◇長谷川 三千子(はせがわ みちこ)
1946年生まれ。
東京大学大学院修了。
現在、埼玉大学教授。
 
 
 
 
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