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2004年7月号 文藝春秋
異例の皇太子発言 私はこう考える
説明なさらない方がよい
徳岡孝夫(とくおか たかお)(ジャーナリスト)
 
 よほどの覚悟をされたのだろう。皇太子殿下は「この十年」の苦悩を、洗いざらいに近い形で口に出された。私は「ここまで言うか」と驚くとともに「雅子さん、よく御亭主にここまで言わせたなあ」と感嘆した。「ぼくが一生全力で守る」とは、これかと思った。
 しかし雅子妃の人格やキャリアを否定する動きがあったとは聞き捨てならない。どうも生易しいものではないらしい。林田東宮大夫が伺ったら、その「動き」は湯浅利夫氏が宮内庁長官になる以前のことだというが、ハッキリしない。「犯人」は指名手配されたも同然。ちょっと引っ込みのつかないことになりそうな形勢である。
 天皇・皇后は「社会的影響の大きい発言であり、改めて殿下がその具体的内容を説明しなければ、国民が心配するだろう」と、側近に仰せになった。詳しい「被害届」を出せというのだろう。
 もっともなお考えだし、天皇さまらしく国民に気兼ねなさるお気持ちも分るが、この件に関して全容解明や「犯人」の深追いは、なさらぬ方が上策だと私は思う。なぜなら事柄は、人の心という、言葉では説明しにくいものに関係している。日本国が待ち望むのは、インインメツメツたる具体的事実の説明などでなく、お世継ぎの誕生だからである。
 皇太子が適当な機会を捉えて説明なさるのは、それ自体として悪いことではない。だが説明は、さらなる誤解を生みがち。語れば語るほど、相手も語る側も傷つく。誤解されても沈黙するが金。そのうちウヤムヤになる。
 そんなことより雅子妃の御容態の方が気遣われる。外国訪問を大切にされた方が、欧州王家の慶事への出席はおろか、旅立つ夫君の見送り、出迎えすらなさらなかった。「体調に波がある」とのことだが、只事(ただごと)ではない。
 年輩の方、つまり舅(しゅうと)・姑世代の中には、皇太子の記者会見を新聞で見て、もうひとつ釈然としなかった人が多いだろう。隠さずに言えば、私も最初は「なにゆーてはんのやろ」と、不愉快だった。
 立派な学歴とキャリアを持つ女性が、嫁ぎ先でキャリアと人格を否定されるのは、それほど珍しいことではない。嫁にはもっと大切な仕事があって、それは子を産んで育て、賢く抜け目なく家を守ることである。少なくとも、長い間そうだった。
 女性が強い時代になって様子は変わったが、外へ出て働く亭主と家を支える女房という役割分担は、基本的には変わらない(と年寄りは考える)。
 美智子皇后も噂によれば「人格否定」に近いことをされたらしい。皇太子を産んだ後に一度、流産をされた。よく知らないが、胞状奇胎は以後の妊娠・出産が危い病気だと聞く。それでも頑張って、その後に秋篠宮と紀宮を出産された。命懸けだったのではないだろうか。その間、正田家の母は、一度か二度しか東宮御所への参上を許されなかった。まあ昔の話であり、香淳皇后が東宮妃になられる前の政争や皇女四人を立て続けに出産されたときの「人格否定」は、もっと凄かったというが。
 昔は「皇室の藩屏(はんぺい)」と呼ばれる人々がいた。天皇家を守る防壁である。いまよりずっと多い皇族と華族、政官財界の有力者等が、いちいち記者会見などせず、皇室の回りを固めていた。天皇家からの相談にあずかったりしながら、暗々のうちに守った。
 昭憲皇太后にはお子さんがなかったから、誰かが送り込んだ典侍柳原愛子(なるこ)によって大正天皇は生まれ、皇統は繋った。藩屏は、そういう曲芸じみたこともした。
 いまの皇室は丸裸である。しかも国民は過度な禁欲生活(ストイシズム)を皇族に望む。普通の人間なら、体調を損ねて当たり前である。
◇徳岡孝夫(とくおか たかお)
1930年生まれ。
京都大学卒業。毎日新聞記者を経て、現在、作家。
 
 
 
 
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