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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1999/06/07 産経新聞朝刊
【正論】「君が代」の思想
埼玉大学教授 長谷川三千子
◆伝統を思想として理論化
 近ごろ、日本の国旗・国歌の法制化の問題にともなつて、「君が代」の歌詞をどう考へたらよいのかといふことがときをり話題となる。そしてそれは当然、天皇についてどう考へるべきなのかといふ問題へとつながつてゆく。五月十七日付の本欄でも、松本健一氏がその問題をとり上げて「天皇制とは何かをきちんと考えないような日本のナショナル・アイデンティティはありえない」と述べてをられるが、まさにその通りである。しかし、さうした論議の重要性はしばしば説かれるのに、いざとなると誰もはかばかしく口を開かうとしないのが実情である。おそらくそれは、この問題を問題として語ることの難しさによると言へよう。そもそも、古くから伝統として重んじられてきたものについて、その理論的な根拠を示すといふのは、非常に難しいことなのである。
 たとへば、英国においては、永らく慣習法といふものが国民の権利を守る基盤として尊重されてきたのであるが、それがあらためて、コモン・ロウの伝統として理論づけられたのは、イギリス革命において、いはば歴史の必要にせまられてのことであつた。
 それと同じやうに、日本の歴史のなかでも、新しい改革を行ふにあたつて、もう一度われわれのもつ伝統の意味をとらへなほし、それを思想として理論化するといふ大事業の行はれたことがあつた−−それが幕末のいはゆる「国体」の思想である。
◆本末転倒の「国体」の用法
 この「国体」といふ言葉は、それが作られてから一世紀半ほどの間に、さまざまに誤用され、誤解されて、いまではなにかたいへん古臭い、かつ危険な言葉であるかのごとくにみなされてゐる。たとへば立花隆氏などは、或る雑誌のなかで「日本の近代史、現代史の相当部分が、『国体』の一語の持つ暴力性にふりまわされてきた」と述べてゐる。しかし、実はこれはむしろ、この言葉がいかに誤用されてきたかをもの語る証言と言へよう。
 すなはち、たしかに或る時期から、話が極度に単純化されて、ただもつぱら万世一系の天皇と皇祖皇宗を崇拝し、それに奉じて忠君愛国をつくすのが「国体思想」だといふことになつていつた。そして、そこにいかなる「思想」があつたのかといふことが忘れられて、たとへば、国民全員が玉砕しても帝国憲法の第一条を守ることが「国体護持」であるかのごとき言ひ方さへされることになつたのである。
 しかし、このやうな「国体」といふ言葉の使ひ方は、本来の国体思想からすれば、文字通りの本末転倒である。といふのも、幕末の学者たちは、この「国体」といふ言葉によつて、日本の伝統的な政治道徳を明らかにすることを目指したのであるが、そこでその第一の本質として取り上げられたのが「国民の安寧をはかる」といふことだつたのである。たとへば、水戸学の第一人者である藤田東湖は、日本の古い歴史をふりかへつて、そこに見出される第一の特色は代々の天皇が民を「おほみたから」(大御宝)として大切にしてこられたといふことであると言ふ。そして、この「国民の安寧をはかる」といふ政治道徳の故にこそ皇位は無窮であり、国体は尊厳なのであり、それによつて日本は周辺諸民族の尊敬をうることができるのだ、と語つてゐる。したがつて、国民の生命や幸福を犠牲にして「国体」を守るなどといふことは、いはば論理矛盾であるとさへ言へるのである。
◆胸をはって歌える歌
 もつとも、国民の安寧をはかる、などといふ政治道徳は、あまりにも平凡でありふれてゐて、いまさら「国体」などといふ言葉を使つて語るまでもない、と思はれるかも知れない。これはいはば、政治といふものの基本中の基本とも言ふべきことだからである。
 しかし、ふりかへつてみれば、この平凡な政治道徳を語るために、イギリス革命のとき、英国のエドワード・クックは「存在する最古の記録のかなたにある法」といふ、神話的とも言ふべき言ひ方をしなければならなかつたのであり、またその百年後の「アメリカ独立宣言」においても、「万物の創造主たる神」をもち出してそれを説明しなければならなかつたのである。日本では、それを、神代の昔から代々の天皇が引き継いでこられた祖先からの教へとして語つた−−これほどオーソドクスな政治道徳の示しかたはないと言へよう。
 しかも、この本来の国体思想は、国民に忘れられることはあつたとしても、代々の天皇御自身に忘れられたことは一度もなかつた。たとへばそれをもつともよく反映してゐるのが、昭和天皇の終戦の御製四首として伝へられてゐるみうたである。たとへばその一首はかうよまれてゐる−−「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」。すなはち、民をおほみたからとして大切にするといふ日本の政治道徳の伝統は、つねに、そのためには自らの命を危険にさらすことをもいとはぬ、といふ代々の天皇の御決意によつて支へられ、引き継がれてきたのである。
 このやうな、わが国の政治道徳のあり方をふり返つてみるならば、われわれは「君が代」を(ちやうどアメリカの子供たちが胸をはつて「独立宣言」を暗誦するやうに)胸をはつて歌ふことができるであらう。
(はせがわ みちこ)
◇長谷川 三千子(はせがわ みちこ)
1946年生まれ。
東京大学大学院修了。
現在、埼玉大学教授。
 
 
 
 
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