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私はこう考える【天皇制について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2000/05/24 産経新聞朝刊
【正論】「神の国」発言に耳を傾けよ
埼玉大学教授 長谷川三千子
◆単なる条件反射の反応
 先日、森首相が、ある公式の席で「日本は天皇を中心とする神の国である」と発言したのが「失言」であると言って、日本のマスコミはずいぶん大騒ぎをいたしました。しかし、その騒ぎを見ていますと、ほとんど誰ひとりとして首相の言葉の中身 について考えようとしていない。ただ単に「戦前・戦中を思い出す」といった条件反射による反応ばかりで、日本のマスコミはむしろ何も考えずにすませるために「失言」の大合唱をしているのではないか、という気さえしてきます。
 いったいこの発言のどこがどう「失言」なのか−朝日新聞の社説(五月十八日付)はこう非難します。「日本を『天皇を中心とする神の国』とみなす発言は、どう弁明しても、憲法の国民主権の原理と相入れない・・・象徴天皇制や政教分離の原則にも反する。」また、同様に、民主党の鳩山代表も「憲法の国民主権を真っ向から否定する考えだ」と言って反撥の姿勢を明らかにしています。
 このように反対の声を上げること自体は、大いに結構なことです。しかし、反対する人は自らもまた、その考え方を問われることになるのを忘れてはなりません。たとえば、このような言い方で鳩山代表が森首相を非難するとき、その「憲法の国民主権」ということをどう考えるのか、それが鳩山氏自身にあらためて問われることになるのです。
 もしも鳩山氏が、そもそも天皇と国民とは互いに国政の権力をめぐってあい争う存在であって、その争いの中で国民が勝ちをしめるのが「国民主権」だと考えているとすれば、たしかにそのような「国民主権」と「天皇を中心とする神の国」という考え方とは、真っ向から対立することになるでしょう。しかし、そのような「国民主権」は、同時に日本国憲法第一条とも真っ向から対立せざるをえません。天皇とつねにあい争っている国民が、他ならぬその天皇を自分たちの統合の象徴とするなどというのは、ただ端的な矛盾と言うべきでしょう。
◆ゴッドと違う日本の神
 少なくとも日本国憲法の国民主権であるからには、それが「天皇を中心とする」という言葉と相入れないようでは困るはずなのです。それを「相入れない」と言いはることは、自ら、自分たちが日本国憲法における国民主権のことも「象徴天皇制」のことも、きちんと考えたことがない、と告白しているようなものだと言えましょう。
 しかし、それ以上に、誰も中身を考えようとしないのが、この首相の発言における「神の国」という言葉です。これは、首相の発言全体をよく見れば明らかなとおり、日本が神の威光をかさに着て、他の国々に攻め込もうなどという話ではありません。まったくその逆に、ここでの「神」という言葉は、人間が自らの力を超えたもの−生命そのもの、自然そのもの−を前にして、畏れつつしむことを指して語られています。事実、日本語の「かみ」とは本来そういう言葉なのであって、英語に言うゴッドではないのです。
 そして、重要なことは、そのように日本人たちが生命、自然を畏れうやまう営みの中心となってきたのが、他ならぬ日本の皇室であったということです。たとえば、新嘗祭(にいなめさい)という重要な宮中行事がありますが、これなどはまさにその典型と言うことができましょう。
 宮中の賢所(かしこどころ)で行われるその祭事は、誰もそれを覗くことのできない、天皇陛下お一人で長時間にわたってとり行われる祭りだということなのですが、昭和六十三年のみ、昭和天皇ご重病のため掌典長が代わりを務めました。ところが、掌典長がいつまでたっても出てこない。放っておけずに内に入ってみたらば、倒れて動けなくなっていた、という話を聞いたことがあります。つまり、それほどのエネルギーをこめて、その年の実りを神に感謝する祭りを、天皇陛下は毎年務められている、ということなのです。
◆正に日本の希有な伝統
 いまは、誰もが口を開けば「自然保護」をとなえる、エコロジーばやりの世の中ですが、いったいどこの国の元首が、自然の神秘の前に、そのような渾身(こんしん)の祈りをささげるでしょうか。「天皇を中心とする神の国」とは、まさにそうした、日本の稀有な特質を指して語る言葉、と考えるべきでありましょう。
 はたして、「政教分離」という、まったく違った宗教風土の中で生まれた原則をふりかざすことで、こうした我々の大事な伝統を捨て去ってよいものかどうか−我々に問われているのはそういう問題なのです。
 しかし、こうした根本問題が何一つ論じられないまま、首相の発言はただ「失言」として葬り去られようとしています。さきほどの朝日新聞の社説などは、はっきりと、このような根本問題にかかわる議論は、「民間人か、せめて議員の立場に戻ってから取り組むべきであろう」と言っています。これでは、国会に党首討論の時間など設けてみても時間の無駄というものでしょう。わが国に言葉の力をとり戻す第一歩は、首相や閣僚の発言をも発言として聞く、ということではないでしょうか?
(はせがわ みちこ)
◇長谷川 三千子(はせがわ みちこ)
1946年生まれ。
東京大学大学院修了。
現在、埼玉大学教授。
 
 
 
 
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