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2000/06/05 産経新聞朝刊
【正論】「裸の王様ごっこ」をやめよ 「神の国」騒動と戦後教育の失敗
藤岡信勝(東京大学教授)
 
◆時宜を得たまともな提言
 森首相の「神の国」発言をめぐる騒動ほど、この国のマスコミの知的・道徳的荒廃を示すものはない。「(日本は)天皇を中心にしている神の国である」という発言のどこがいけないのか、私にはさっぱりわからない。
 日本が「天皇を中心にしている」国であるということは、日本が天皇を中心にして国民のまとまりをつくり出している国柄であるという、ごく常識的な意味である。日本国憲法の第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれているとおりである。森首相は、そういうありきたりのことを言ったにすぎない。
 日本は「神の国」である、ということも、特別なことではない。ここで「神」というのは、万物に霊魂が宿るという日本の伝統的な宗教観を表明したものにすぎず、一神教の神を指すものでないことは、日本人なら誰でも知っている。実際、森首相はこう言っている。
 「この人間の体ほど、不思議なものはない。これは神様から頂いたものということしかない。そうみんなで信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、それこそ天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞上人さんであれ、日蓮さんであれ、宗教は心に宿る文化なんですから。」
 人間を超えたものに対する畏敬の念といった、広い意味の宗教的情操の大切さがあまりに軽視されていることが最近の人心の荒廃、青少年の凶悪犯罪の根にある。森首相の発言は、むしろ、時宜を得た至極まっとうな提言である。
 
◆演じる「信じているふり」
 では、マスコミは「神の国」発言のどこがいけないというのか。朝日新聞は次のように書く。「国民主権に基づいて国会で選ばれた首相が、自らその根本原理を否定するような発言を行った。事態は深刻かつ重大である」(五月十七日付社説)
 朝日の言うとおりなら、森首相は、国民の選挙で首相を選ぶことをやめ、天皇が直接首相を任命するか、もしくは天皇みずから政治を執り行うという国家体制に変えるべきだという持論を持っていることになる。これが本当ならば、私も森首相の発言には、朝日以上に反対である。
 しかし、なんとばかばかしい想定だろう。こんなことを森氏が考えているとは、当の朝日新聞も本気で信じているはずがない。こんな議論は戦後ただの一度も浮上したことはない。それなのに、「信じているふり」をし、大変だ、大問題だ、と大声でがなり立てる。新聞記者も、テレビのキャスターも、テレビに登場する評論家も、野党の政治家までもが、みんな「信じているふり」を演じている。マスコミや国民の代表という仕事で禄をはんでいるいい大人たちが、集団で裸の王様ごっこをやっている。それが、「神の国」騒動の正体だ。偽善と欺瞞の極みである。
 重ねて言う。森首相の発言には、何一つ失言はない。産経新聞五月二十七日付の発言全文を読めば、そのことは自明である。批判している朝日新聞は森発言の全文を掲載すべきである。首相の誤りはむしろ正面からの論争を回避したことだ。いまからでも遅くない。自信をもって教育改革の必要性を訴えるべきだ。
 
◆日本国家に対する侮辱
 「神の国」騒動は、少なくとも三つの点で、戦後教育の失敗をあぶりだした。
 第一は、戦後の平和教育が、条件反射形成による思考停止のマインドコントロール教育だったという失敗である。マスコミが仕掛けた今回の「言葉狩り」騒動がうまく成功した最大の要因は、森首相のあいさつのなかで、「天皇」という言葉と「神」という言葉が近接して置かれていたという一点にある。ここから、文脈抜きの「天皇=神=神格化=戦争」という連想が生まれる。言葉の意味内容を判別できず、刺激に機械的に反応するパブロフの犬と同じ次元の日本人が大量に生産されてしまったのである。
 第二は、戦後の憲法教育の失敗である。朝日社説の筆者は、天皇の存在が民主主義に反するという観念に呪縛されている。君主制と民主主義が両立しないというドグマは、国王を処刑したフランス革命やロシア革命を理想化し一般化した謬論である。民主主義には君主のいない共和制と君主を戴く立憲君主制の二つの形態がある。イギリスや日本の立憲君主制は、権威と権力を分立させて民心を安定させることができる点で、むしろより高度の民主主義政体であるとさえいえる。このような基本的なことが、学校で教えられてこなかったのである。
 第三は、市民的道徳やマナーの教育の失敗である。東京の国立二小では、子供が校長に国旗を降ろさせ土下座を要求した。森首相の釈明会見で首相を罵倒した新聞記者たちの行為は、国立の小学生と同質のものである。一国の首相に対する態度としての節度と良識を欠いたその振る舞いは、森首相個人に対するリンチであることを超えて日本国家に対する侮辱である。(ふじおか のぶかつ)
◇藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ)
1943年生まれ。
北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取得。
北海道教育大学助教授、東京大学教育学部助教授を経て現在、東京大学教育学部教授。


 
 
 
 
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