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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2000年5月号 正論
「反日教員」の悲鳴が聞こえる 大阪府にみる“最悪の卒業式”からの脱出
大阪府枚方市立桜丘中学高教諭●長谷川 潤(はせがわ じゅん)
 
青空にひるがえる日の丸
 
 卒業式の季節は例年、組合による「反日の丸・君が代」闘争が高まる最も不愉快な時期である。前年には、初めて「国歌斉唱」が導入された為に、斉唱時には本校でも五十名程の卒業生が退場――本誌平成十一年六月号参照――するなどの混乱が発生し、市民の反発を呼んでいた。
 三月十三日、もよりの駅を下車し、各所に白梅を賞でつつ校門近くに至ると、前年同様校門前の歩道に建つ電柱に二か所、本校「教職員有志」名で「こどもが主人公の学校に日の丸・君が代はいらない」と書いた看板が付けてあった。前年の「押しつけに反対します」よりは表現が柔らかくなっている。
 校門を入り、例年通り校庭に出てみると、校舎上の掲揚柱には国旗日の丸が青空を背景に翩翻とひるがえっているではないか。前年は曇天の下、国旗が棒状になって柱の中ほどにぶら下っていたのとは大違いである。一礼をしてから玄関へ戻り、職員室へ。しばらくして職員朝礼が始まったが、前二回の職員会議で異議が出尽していたせいか、組合イデオロギー的発言は出ない。
 
壇上にも初めて揚がった
 
 定刻五分前、卒業生最後の学級を誘導して式場に入った筆者の眼に、過日「三年生を送る会」でみた巨大な貼り絵――後で詳述――の前に何と三脚台に立てられた日の丸の神々しいまでの姿が、まばゆく映った。
 本校に赴任して八年。初めて卒業式壇上に国旗を見たのである。敬礼した後、校長近くの席に着くと「開式の辞」。司会の教員がそれ以上に発言しないので、教頭が代わって「国歌斉唱」と述べ、出席者の起立をうながした。前年はこの段階で五十名ほどの生徒が退場したのであったが、今回は卒業生の態度が好転していた。立ったり、座ったり、周囲の様子で態度を決める生徒が多かったが、明らかに確信をもって起立する生徒――前年はたった一人――がかなりいたために、斉唱終了時でも三〜四割の生徒が起立したままであった。退場者は一人もいなかった。来賓席からは一段と大きな国歌斉唱が反対側の教職員席にまで聞える。起立し続ける生徒たちへの応援歌として、国歌を精一杯に唱っているのだ。前年は校長を含めて四名のみであった教職員の起立も、校長の指導もあって本年は数名増加した。国民の良識が確実に開花していく。
 証書授与に当たって、前年は一学級を除く全生徒に男女を問わず一律に「さん」づけで氏名を読み上げていたが、今回は全担任が例年通り生徒名を呼び捨てにした。教師の良識が復活したのである。また、前年意図的に割愛されていた市長、正副市議会議長、小学校旧担任の祝電が披露され、来賓祝辞がないなどの問題点はあるものの、全体として前年度よりも格段に改善されたものになった。
 
枚方市教育委員会の敢闘
 
 枚方市では平成七年までのおよそ五十年間、いわゆる革新市政が支配し、中でも二千名を超える教職員組合は、市長選最大の集票組織であった。教育行政は他の地方行政同様に首長の強い影響下にある。筆者が正式に奉職した昭和五十年、加入率九九・六%を超えた教職員組合に教育委員会は指導力を発揮できず、学校では「組合ファッショ支配=組合員に非ざれば教師に非ず」の実情が続いた。
 だが、平成七年春の統一地方選挙で初めて革新が敗北し、全国最年少の中司宏市長が誕生、翌年には中野一雄教育長が選任されるに及んで、教育行政は一変した。校長経験があって現場を知悉し、かつ一定の教育信念を持つ中野教育長は、市民の期待を受け、異常な教育実態を改善すべく、正常化の実践に動き出した。そして遂に平成十年度三学期には、市内全学校長に対し国歌斉唱を指示したのであった。この英断によって全国でも有数の教育問題都市であった枚方市は、加速度的に正常化の道を進み始めた。
 本年、大阪府教育委員会は、国旗・国歌実施に関する文書通知を未実施自治体教委に通達したが、本市はその対象に含まれていなかった。むしろ、他市に先行して、二月四日の校長会では市教委から各学校長に次のような指示が通達され、儀式の充実に努めた。
一、国旗を式場内に設置すること。
一、国歌斉唱時には教職員は起立し、児童、生徒にも起立する様に指導すること。
一、式次第には国歌君が代を印刷すること。
一、国歌の伴奏には放送機器またはピアノを使用すること。
一、来賓、保護者の協力を求め、起立してもらうこと
一、式での「こども」の司会をやめること。
 以上はあくまでも伝聞によるものであって厳密な精確さは欠くものの、大旨このような内容である。一見して喜劇的にさえ見えるかも知れないこの六項目の指示は、現実の学校現場にとって非常に有効かつ重要なものなのである。
 
市民団体も動き出した
 
 従来から枚方市民の間には学校教育に対する根深い不信と反発があった。だが新興住宅地としての地域的連帯意識の欠如、更には革新市政五十年へのあきらめなどから、組織的な批判は散発的に出るだけであった。
 ところが、前年度卒業式での異常事態――ある中学校では卒業生の三分の二が斉唱時に退場した――に衝撃を受けた市民が、正常化への行動を起した。十一年度の入学式に向けてビラを配り、各所で講演会も開いた。今回の卒業式に当たっては「枚方の教育を考える会」が中心となって、全市的に「かたよった教育はおことわりです」と題したビラを多数宅配し、多くの市民の共感を受けた。
 青少年非行が多発、急増して「学校へ預けておけば安全」という安全神話が崩壊するなかで、学校を聖域とし、教員を聖職者と見做す視点が急速に減少する一方、「組合支配」「反日洗脳教育」への市民の危機感が高まったのである。
 
府下各市で国旗・国歌が改善
 
 大阪府教委の文書による通知の効果は大きく、枚方市と並んで「反日偏向教育」の牙城である高槻市(溝口重雄教育長)でも、前年には一校もなかった国歌斉唱が十八中学校全校で実施された。また、前年一校のみの斉唱であった東大阪市でも一挙に八○%まで実施率が上がったとのこと。
 府立高校でも前年までに国旗が揚っていなかった西成、柴島、長吉の三校で、初めて国旗が揚った。ただし、布施北高校では校長の手違いで府下一校だけ掲揚されなかった。
 従来の「反日・反国家教育」からは考えられない急速改善であるが、さほど簡単に進展するものではない。例えば守口市の場合、府教委通知を受けて市教委(西海牧男教育長)と組合が二月二十五日付で、次のような七項目の「確認」――実質的な裏取引――を行ったと言う。
一、式次第に国歌斉唱を入れること。
二、起立して歌うこと(伴奏はテープも可)。
三、国旗は式場に掲揚する。正面にかかげてあるものは下さない。
四、国歌斉唱をしない時に、職務命令はなじまない。
五、ピアノ伴奏を無理強いしない。
六、こどもや親とも協力する。
七、混乱をもたらさないように協力する。
 この七項目中、一〜三までは府教委通知に従ってはいるが、四〜七は実施妨害を可能ならしめる条件である。例えば教職員が国歌斉唱、起立、ピアノ伴奏を拒否しても「職務命令はなじまない」のであるから処分はされない。また「こどもや親」の一部が国旗、国歌に協力せず、あるいは妨害行動に出た場合には実施しなくてもよいのである。まだまだ反日組合、教員の抵抗は強い。
 
「国旗」「国歌」・元号は学校正常化の目安
 
 何故、これほどまでに教委と組合の双方が国旗・国歌にこだわるのか、関心のない向きには理解できないかも知れない。これが学校運営上最重要の問題であるからこそ、双方が死力を尽して闘うのである。広島の教育の例でも見られたように、教職員組合が事実上支配している学校では、彼等の「反国家・反天皇イデオロギー」に基いて学校運営や教育が行われる。即ち国家の象徴である国旗・国歌は抹殺され、天皇御即位を紀元とする元号(年号)も公文書から抹消させられていた。
 「任意団体」に過ぎない「教職員組合――正しくは教職員団体――」が、公立学校――税金で運営――を私物化することは許されない。現在の日本では代議制の下に政治権力が成立し、執行される。公教育を管理運営すべき権限と責任、資格を持つ者は、文部省や教育委員会であり、学校に於ては校長、教頭の管理職である。国民の負託に応える資格のない私的組織たる組合が、公的組織たる公立学校を実質支配するのは、明らかに違法行為である。ある学校で自由に国旗が掲げられるか否か、自由に国歌を斉唱できるか否か、また文書に元号を使用できるか否かは、その学校の「管理運営権(支配権)」を誰が持っているかの判定基準になるのである。
 
国旗・国歌に尊重義務あり
 
 去る平成十一年八月、いわゆる「国旗・国歌法」成立によってより完全に――それまでも法令上、慣習上の根拠は十分にあったが――法律上の国民的合意が再確認された。と同時に国際法上の「尊重義務」が全世界国民――無論全日本国民も含む――に再確認された。則ち我が国刑法第九十二条「外国国章損壊等」への処罰規定は、国旗・国歌尊重義務を規定した国際慣習法から導かれたものであり、当然その規定は我が国内にも適用され、日教組、全教職員を含む全ての国民に改めて「国旗・国歌尊重義務」が課せられたのである。
 「こどもの権利条約――正しくは児童の権利に関する条約――は国際条約だから守らなければならない」などと主張している反日教員は、当然国際慣習法に従って国旗国歌を尊重すべきであろう。ツマミ食い解釈は許されない。
 
反日教員の末期的かつ執拗な抵抗
 
 日教組、全教組合教育による「教育の荒廃」を座視できず正常化に立ち上がった国民の良識ある攻勢を受けて、「日本及び日本的なるもの」を否定、破壊することに血道をあげていた反日偏向教員たちは、追い詰められ、今や悲鳴を上げている。
 三月十日、卒業式目前の「枚教組(日教組系)」機関紙には次のような泣きごとが載っている。
 「(1)掲揚、斉唱率の低い大阪府に対する文部省の指導の厳しさ、(2)府教育長の「望ましい国旗掲揚・国歌斉唱」との府議会答弁、(3)府教委による各地教委への厳しい指導、(4)枚方市教委の各校長に対するしめつけ、(5)組合活動や教育内容への介入までも視野に入れた一部マスコミや反動諸勢力の動き等々、我々の強制反対のとりくみをめぐる情勢が、昨年以上に厳しいことはまぎれもない事実です」
 彼等の抵抗も強力である。例えば今回初めて国旗を掲揚柱に揚げた府立柴島高校(清水秀司校長)では、組合や外部団体の圧力を受け、開式の合図で事務担当者が掲揚し、閉式の合図で同様に降納するという子供ダマシの方法で、結局誰も――校長も――国旗を見ることなく式が終了してしまった。枚方市教委が今回指示した六項目の細かい内容の意義が理解できるであろう。
 
生徒の誠意を悪用する反日教員
 
 執拗な反対運動はさまざまな形で現れる。筆者の勤務校でも、一月の職員会議で突如として「三年生を送る会に向けて在校生にホリゾント(壁絵)をつくりたい。そしてそれをそのまま卒業式まで残しておきたい」との提案が生徒会担当者からなされた。
 それを聴いた筆者は、直ちに一冊の本を想起した。昭和五十九年発行菅孝行等著「一人でもたたかえる日の丸・君が代」なる反日教育読本で、その中には「日の丸・君が代を学校からどけよう」と題して国旗排除戦術が具体的に示されている。児童、生徒にレリーフなるものを卒業製作につくらせ、それを式場正面に貼ることで「国旗」の場所をなくし「どけよう」というのである。
 枚方市でも昭和六十年代に入った頃から、この「レリーフ」が「ホリゾント」という聴き慣れない呼称で文化祭などに登場するようになった。当初は予備知識がなかった為に、筆者を含めて国旗との関連で考えることはなかった。だが、今回は明らかに極めて恣意的に提案されたのである。
 しかし、筆者は二月四日、校長会での市教委の指示も月末まで知らず、従来通り式場に国旗はないと思っていたので強く反対しなかった。ところが、既に式場への国旗設置を予測していた組合系教員は、「一時間で簡単にできる範囲でつくります」との文言で教職員の了解を取り、つくり出すや一・二年生全員が三時間かけても完成しない。生徒会の生徒が連日夜までかかって完成したものは、これまで見たもののうち最大であった。それは体育館舞台壇上の壁面を完全に覆い尽す――国旗を貼る余地を完全になくす――ものであったのである。
 図案は良好、作品は巨大、一・二年生全員が心を込め、特に生徒会本部の生徒は文字通り寝食を減らして活躍し、筆者らも協力した。それは誰の為か。皆「卒業生の為」と思って完成させたのである。
 だが製作を企画、立案した教員の目的は明らかにそれだけではなかった。前掲反日闘争本にも明示されている「日の丸をどけよう」という政治的、イデオロギー的目的が主たるものであったのである。彼らとて、卒業生の為にも考えていたであろう。それだけならば時間などの制約を度外視して巨大な作品をつくる必要性も必然性もなかった。形の大きさで人の誠意の深浅が決まる訳ではないことを、彼ら自身が知っているはずである。彼らは、自分たちの政治的、イデオロギー的闘争手段に、「卒業生の旅立ちを祝いたい」という在校生や教職員の善意、誠意、真心を利用、悪用したのである。
 本来ならば心の底から怒りが湧き上ってくるはずであるが、今回はそれが余り強くならない。彼ら一人ひとりが人柄的には本来誠意ある性格の人物であることを知っているからであろう。誠意ある教員が、尽すべき指導すべき生徒を政治闘争に悪用する。自分たちは適当に自己の行為を合理化、正当化しているのかも知れないが、筆者には、これも一種の悲鳴に聞こえて、かえって憐憫の情を感じた。
 
「こども」が司会の異常さ
 
 幼稚園から大学に進んで卒業後には再び学校勤務という学校圏の生活しか知らない多くの教員には、社会人として、また公務員としての基礎知識や常識の欠けている人が多い。それでいて自分たちの善意や誠意については確信しているので、自信を持って社会的非常識を実践する場合がある。
 その一例として、従来一部の小学校では何と公式の儀式たる卒業式や入学式の司会を小学生児童が行っていたのである。
 学校に於ける式典の執行は、学校長の権限と責任の下におこなわれる管理運営事項の一つである。その行政権の執行を責任能力も権限もない児童に委せるなど世間の常識では考えられない。
 下剋上的階級闘争を是とする組合教員は「こどもが主人公」なる口実を前面に押し出して、このような異常事態を学校現場に強制させていた。だが、前にも述べた二月四日の校長会での市教委からの「六項目」指示によって、三月十八日の小学校卒業式では、こどもが司会の数校は、教師の司会に戻り、やっと正常化されたのである。
 同様に同日の卒業式では、市民団体等の調査によれば、四十七校中四十校までが式場に何らかの形で国旗を掲揚したとのこと。十三日の中学校では二十校中十三校であったから、僅か五日で掲揚率は更に上昇したのである。
 無論、守口市のように全校で式場に国旗が揚った市に比べれば十分ではないが、二月四日の一般人には理解しにくい指示が、いかに学校正常化に資したか理解できよう。
 
教育の正常化は、教委、校長の態度次第
 
 今回の大阪府、就中枚方市に於ける卒業式大幅改善の現状からより明確になったのは、「広島」での教育改革同様に教育委員会と校長が広範な国民の支持を背景に国民から負託された権限を正当に行使すれば、任意教職員団体たる「日教組」「全教」等による公立学校の私物化、学校支配、偏向教育体制を確実に打破できるという事実である。
 教育とは国家百年の大計であり、次代の社会人を育成する大事業である。にもかかわらず日本や国家を否定することを正義と思いこまされ、かつその反日倒錯イデオロギーを他者、特に児童生徒へ強要する異常思想集団が公立学校を支配し、一般国民の「学校安全神話」「先生様神話」の上に安住してさまざまな不当かつ不法な教育や学校運営を行ってきた。
 国民の良識は死なず、今回上がった反日教員の悲鳴を反省、「自省」に転化させ、一層の正常化を目指そうではないか。(三月十八日記)
◇長谷川 潤(はせがわ じゅん)
1947年生まれ。
同志社大学文学部卒業。
民間企業勤務の後、大阪府枚方市の中学校教諭。


 
 
 
 
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