日本財団 図書館


2002/02/06 産経新聞朝刊
【新・日本学講座 関西発】日本の学力低下(2-1)京都大学教授・西村和雄氏
 
 二十一世紀を迎え、日本と日本人を問い直す「新・日本学講座 関西発」(産経新聞社/関西2100委員会主催)一月講座「日本の学力低下 原因、現状、その解決策」が開催され、京都大学、西村和雄教授が日本の教育レベルが現在すでにアジア最低水準である、と豊富なデータを用いて警告。教育改革を成功させた米国に学び、大改革を呼びかけた。
 
◆教育よ再武装せよ
 日本の経済危機において「構造改革なくして景気回復なし」と言われています。
 しかし、構造改革を成し遂げても、私はもう日本経済は立ち直れないのではないかと恐れています。それは、教育レベルがアジアでも最低水準となり、人材が日本にはいなくなっているからです。小学校から大学院までレベルダウンしているから、技術者が供給できない。今や正しい教育を受けた皆さんが死ぬまで働くつもりで、日本をもたせて下さい。たとえ、今すぐ教育が方向転換しても、この後三十年位はかかるのです。
 
■数学は「敵」なのか?
 なぜこんなことになったのでしょうか。すべては一九六七(昭和四十二)年、都立高校入試での学校群制度の導入から始まる。公立高の進学校化が「悪」とされ、これを防いで平均化させよう、との狙いだった。また、内申書重視も始まった。定期試験の合計に、評価が教師の主観で左右される音楽、体育、さらには技術家庭などが高いウエートで加算され、公立高は魅力を失い、生徒たちは私立高に流れ始めた。
 そして一九七三(昭和四十八)年頃から、大学の共通一次試験が話題に上った。私は当時、米国の大学の大学院生だったが、アジアン・ライブラリーで知り、「これは大変なことになる」と直感した。
 結局、共通一次は七九(昭和五十四)年から実施された。それまで国立大学は一期校、二期校に別れ、別々に入試試験が行われていた。公立大学の一部はさらに別の日に行っていた。国公立受験のチャンスは三回あったのに、それが一回になった。一度失敗すれば、一年待たなければいけないのでは、低所得家庭の生徒にとってリスクとプレッシャーが大き過ぎる。
 国公立大の授業料も、私立大との「格差解消」を名目にドンドン上がって、今では大差ない。一方で「私学助成金」が始まり、大きな大学では約三十五億円が与えられている。私は高額な授業料の大学があっても構わないと思います。もし、一方で無料の大学があれば。
 結果的にこれを契機に「国立離れ」が起き、最初から私学を受験する生徒が多くなっていった。それまで国立と私学を併願していた優秀な生徒も国立離れで私学専願となる。併願なら国公立大は七九年当時までは五教科七科目を勉強していたのだが、私学は三科目入試が主流のため、高校で最初から三科目しか学ばない。数学を必修としない大学も多いので、数学を学ばない生徒が増加していった。そして決定的な学力低下が生じてきたのです。
 推薦入試、論文入試も増加した。一九七五年、「偏差値」という言葉が入試に関して使われ始めたのも大きい。入試科目の形態が違うと、受験生の層が異なるので比較しても無意味で、入試科目を減らせば、偏差値は高くなる。慶応大の経済学部は数学を必修とし、早稲田大の政経学部は数学を選択としていたので、早稲田大の方が偏差値は高かった。結局、慶応の経済学部は数学を必修から外した。こうして数学はますます入試から姿を消していったのです。
 一方、中国では一九六六(昭和四十一)年、「永久革命論」を唱える毛沢東によって文化大革命が始まった。教授陣、大学生は田舎や工場に下放させられた。大学解体です。しかし、七七年、「四人組」は追放され、翌年から大学入学統一試験が復活した。国を挙げて立て直しに着手したのです。
 中国は海外留学も認めた。最近、私が会った米・カリフォルニア工科大の大学院に留学していた中国人女性は中国の大学の英文科を出ていたが、いきなり数理経済学の難しい論文を書いていました。昔の日本なら英文科出身者が数理経済学をやることは可能だったかもしれないが、今ではとても無理です。昔、米国の大学で優秀なアジアの学生は日本人、インド人と決まっていた。現在では、日本の学生は中国、韓国の学生にかなわず、教室の後方でじっとしているのです。
 
■分数ができない大学生
 やがて「決定打」が放たれる。一九九〇(平成二)年から、「センター試験」の実施です。だんだん私学優位になり、受験生の勉強する科目が少なくなった末、最終的に国公立大でもアラカルト方式で少数科目入試が推進された。その結果、国立でも数学を勉強しないで、経済学部に入ってくる生徒が増えた。
 経済学は、本来、数学を使う学問です。講義を行っても全く理解できない学生があまりにも多くなり、現場は否応無く入試制度見直しの必要性に向き合わねばならなくなった。
 だが、世は「個性化教育万々歳」の時代で、一芸入試もある。私はあらゆる機会を捉えて現状を紹介しようとしました。しかし、日本数学会と日本物理学会の会議が数理軽視の現状を愁うる声明を出しても、どこも取り上げてくれない。
 そこで私と慶応大学の戸瀬信之教授は、誰にでもわかる客観的データを採るために、まず各私立大経済学部で、一年生の四月の最初の授業で、三十分間、分数、二次方程式などの小中学生の算数・数学問題で学力調査テストを実施した。25点満点で「数学受験者」の平均点は上位校23・3点、中位校22・8点、下位校20・6点なのに対し、「未受験者」は16・9点、13・9点、12・2点と、その差は歴然だった。実際、私立トップ大学の数学教授は一九九五年頃からあまりに学生ができなくなったので、一人ずつ面接テストしたら、じつは分数、小数計算ができない学生が多くいた、と述べています。
 その後も調査を続け、やっと一九九九年、「分数ができない大学生」(東洋経済新報社)を出版。世間にアピールできるようになった。同じ試験を国公立大で実施したら最難関大文学部で満点は45%、もう一つの最難関大文学部は22・9%しか取れなかったのに対し、中国の最難関大哲学科ではほぼ全員が満点でした。
 また、一九九九年にも国際調査を行った。韓国の最難関大ビジネス専攻は満点が96%。日本の国立最難関大理工系は48・4%、西の国立最難関大理工系は32%だった。「小数ができない」、「三角比がわからない」理工系の大学生も多い。今の日本では入試で微分積分を課してない大学が理工系で32%にのぼる。物理ができないのも当たり前です。
 日本にはもっともっとすぐれた技術者が必要なのに、このままでは日本から使える技術者がいなくなります。旧七帝大の理工系学部は常に安定した供給源だったのに、今や人材源が枯渇し始めた。私学もそうだ。
 今の教育の弊害は随所に出ている。大学生の学力低下を食い止めるためには初等・中等教育の充実が不可欠です。そこで教員養成系も調査した。「教育方法」などの必要単位がやたら多く、専門教科の時間が少ない。小学校教諭の卵に小学生用の数学問題4問の調査をしたが。全問正解は24%だった。
 一九九〇年以降、「大学院生倍増計画」が実施され、大学院生もひどくなった。無理やり集めるとどうしてもそうなる。医学部、有名ビジネススクール、私立短大。いずれも「右に同じ」。「ゼネラリストよりスペシャリスト」のキャッチフレーズの下に展開した大学の教養部解体も禍根を残した。多くの大学で必修科目がなくなったからです。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION