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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2002/02/06 産経新聞朝刊
【新・日本学講座 関西発】日本の学力低下(2-2)
 
■本も時間も薄くなる
 入試科目の減少は早期の段階だったら、戻せたはずです。だが、あまりにも進み過ぎていて簡単には戻らなかった。もう一つ、戻らない原因は「指導要領」だと思う。「何を教えるか」、「教えちゃいけないか」を事細かに決める規則で、約十年ごとに改定する。成功していても必ず改定する。
 一九六三(昭和三十八)年当時の改定は数学をより難しく、抽象的にするプロセスだった。七三年もそうだった。しかし、一九八〇年、小学校の教科書が替わり、二年後、高校が変わった。この頃からカリキュラムは逆に向かう。ちょうど「ゆとり」が言われ出した時でもある。
 すでに一九八一年段階で、日本の公立中学校一年生の数学の年間授業時間は99時間で、米国の146時間、香港の124時間などに比べ、先進国最低レベルにあったのは余り知られていない。OECD加盟国で100時間を割っているのは日本だけでした。九四年の「指導要領」が現行のカリキュラムで、その教科書はかなりひどいのです。中二など練習問題が一九五〇年代に比べ、九〇年代では、三分の一になり、ドンドン減っている。二〇〇二年四月からは四分の一になります。
 小学校の場合、学力の二極分解が恐ろしい。塾に行く子が多いので、実は学力が上がってもおかしくない。その一方、できない子供たちがいる。肝心の教科書が薄く、何もわからないので、できない子供たちは見捨てられたまま、高校まで進学してしまう。
 「それでは可哀想なので、受験科目から数学をなくそう」というのがこれまでの行政の考え方でした。これは違います。教科書はより親切に、厚くして、授業時間を多く、もっと反復練習するべきです。そうすれば算数、数学は誰でも必ず理解できます。授業の軽量化が止まらない背景には一旦、走りだすと止まらなくなる国民性が災いしているのではないか。
 一九九三年、日本の労働時間は米国を下回った。それなのに「日本人は働き過ぎている」との錯覚から、週休二日制をより徹底させ、国民の祝日も増やしているので、短縮に歯止めがかからなくなっている。同様に、「個性化入試」の名の下で、「日本の子供はまだ勉強しすぎ」と思い、授業時間も減少が止まらない。
 今年四月からの「新指導要領」によると中三の数学と理科の年間授業時間は154時間。これは米国の295時間の約半分である。こんな薄っぺらな授業なら面白いはずがない。神奈川・藤沢市の中三の調査では「ほとんど勉強しない」が一九七五年と比べ六倍に増えていた。
 行政のやってきたことに、子供たちは素直に反応する。学校での授業時間を削減すれば、必ず自宅での勉強時間も減る。「意欲がない」と言うが、意欲をなくさせたのは誰か考えてほしい。
 また、日本人の特徴として「言葉のすり替え」がある。「個性化入試」とは何か。単に変わった入試が行われているだけです。
 「生きる力」? 真の生きる力はひたすら勉強することだ。では何のために? 職業への選択肢を広げるためである。「創造性」論議にも落とし穴がある。創造とは学んで学んで行き詰まって、初めてそこから飛び抜けることです。学ぶ機会を減らさせては、創造することはできない。
 「ゆとり教育」。いまやその実態は「遊び時間を増やすだけ。勉強のゆとりを奪う教育」である。
 もっと大きな問題は学力低下と少年非行の増加がリンクしていることだろう。調査したところ、家庭内暴力が発生し始めたのは一九七八年から。二年後には「校内暴力」が初めてニュースになっている。それ以前には、これ程の問題ではなかった。
 私は内申書が関連していると思う。意欲、関心、態度、生徒会活動、学校生活のすべてが内申書で評価される。教諭の主観に頼り、本来、数値化できないものをカウントして行く行為が子供たちに与えた傷の深さを思うと慄然とする。ある新聞の群馬県版に子供の投書が載った。「内申書がストレスです。私たちの見えない悲鳴に気づいてください。キレる寸前です」。その教諭たちだって矛盾を抱え、子供以上に苦しんでいる。
 
■危機に立つ国家
 教育崩壊の凄まじさを述べてきたが、これは日本だけの問題ではなかった。「危機に立つ国家」という本があります。一九八一年に就任したレーガン米大統領の命によって教育改革のため組織された「卓越した教育に関する全米委員会」が二年後にまとめた報告書です。そこに今の日本を見ることができる。
 「かつてアメリカは比類なき卓越した力を有していた。しかし、今や我々の社会基盤は『凡庸主義』という名の激しい波に襲われている。結局のところ、我々は無謀にも『一方的な教育上の武装解除』を犯してきている」。そして続きます。「歴史は怠け者には手厳しいものだ」と。
 ポール・コッパーマン氏は非常に重要な結論を導き出している。「今、我が国の歴史上で初めて、親の世代の能力を超越できないどころか、比肩できない、近づくことさえできないという現象が起ころうとしているのである」。
 結局、「教育における卓越しかない」と各種の改革が施され、現在の米国によみがえったのです。二十年以上前に中国も、そして米国も教育再興に邁進したのに、日本は逆の道を選んだ。もう時間がない。日本も米国に学ぶべきでしょう。
 具体的には「二十人クラスの実施」、「自学自習教科書の採用」、「習熟度別クラスを認める」の三点である。米国は「十八人クラス」であり、欧州もほとんどが二十数人のクラスである。もちろん、内申書は廃止し、公立中学校を健全化し、小学校教育を再興する。四十人クラスなら、子供はじっと聞いていて、考えられないし、いじめもなくならないからだ。
 大学入試制度については、「高校の毎学期の成績提出」、「統一高校卒業試験」、「大学入試」。評価の可能性をこの三点に絞って検討する。審議会は、素人を集めずに、もっと専門家を登用してほしい。
 指導要領の改定の度に教科書が替わって、薄くなる。その度に参考書類も替わって、その前の教科書や本は姿を消す。これは現代における「焚書(ふんしよ)」です。昔の厚い教科書を使おう。そのために「教科書備蓄運動」を展開している。公立校はもっと授業時間を増やすべきだ。
 究極の一点に絞るなら、「教育の地方分権化」です。市町村教委に任せる。このレベルになると本当に教育崩壊、学力低下の痛みがわかっている。自由にさせれば改革の成功例、失敗例がどんどん集積され、国民の財産となる。
 最後に私立大学の入学試験で数学を選択した人々としなかった人々の、卒業後の所得を調べた結果をお知らせします。数学を受験した人の方が所得が高く、転職後の収入にも恵まれていました。
◇西村 和雄(にしむら かずお)
1946年生まれ。
東京大学農学部卒業。ロチェスター大学院修了。
現在、京都大学経済研究所教授。


 
 
 
 
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