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2003年4月号 正論
過激な性教育の背景を暴く
明星大学教授●高橋史朗(たかはし しろう)
 
急進的性教育の旗振り役「性教協」
 
 「『開かれた保守、閉ざされていく革新』という現象が近年、ますます顕著になっている」
 埼玉大学の長谷川三千子教授は今年一月十六日、自民党千葉県連主催の公開講演会でこう指摘した。千葉県では、男女共同参画推進条例の制定をめぐり、過激な条例をつくりたいフェミニストと堂本暁子知事サイド=推進派と良識的な条例を目指す自民党県連=慎重派の綱引きが続いている。この講演会は、公開の場で「条例案の推進派と慎重派の専門家による討論会」として企画された。
 しかし、結果として講演会には、国の男女共同参画社会基本法の制定に大きな役割を果たし、千葉県男女共同参画推進条例案作りにも関わっているフェミニストのシンボル的存在でもある大沢真理・東大教授を始めとする条例専門部会の委員が一人も参加しなかった。長谷川教授の発言は、この事態を受けたものだ。
 自民党県連からは大沢教授自身が参加されるので是非にというお誘いを受け、長谷川教授と私は二つ返事で了承したわけであるが、推進派の委員は日程の都合が合わないという理由で誰も参加しなかった。日程の調整がつかないという事情ならばと、私たちは大沢教授たち委員七人の都合に合わせる形で改めて公開講演会を開くことを申し出ているが、それから一カ月を経た今日も公開討論に応じるという返事がこない。明らかに逃げていると断じざるをえないだろう。長谷川教授と私の講演内容は自民党千葉県連のホームページで公開されているから、反論を準備する時間的余裕は十分にあるはずなのに、一体なぜ公開討論会に応じないのか。
 かつて「南京事件」に関するシンポジウムを企画した際にも、「大虐殺」派は誰一人参加しようとはしなかった。性教育をめぐっても、ある出版社から故山本直英氏を中心とする急進的性教育派と私を始めとする反対派の論争を単行本にしたいという企画が持ち込まれたが、推進派の抵抗によって実現しなかった。後に、推進派だけの「性教育大論争」本が出版されたが、反対論を封じ込めて「大論争」とは噴飯物である。また、ある民放テレビが山本氏の主張と私の主張の両方を放映したいということで、撮影する講演会の日程と会場まで決定していたのに、山本氏は私が出演するなら出ないとゴネて放映中止になる事件もあった。
 男女共同参画・ジェンダーフリー論争も歴史教育論争も性教育論争も閉じこめられた密室の中ではなく、堂々と国民に開かれた公開の場で議論を尽くすべきである。急進的性教育の中核となっている民間教育研究団体「“人間と性”教育研究協議会」(以下、性教協と略す)は一月十日、性教育に関する昨年十二月十六日付産経新聞の記事について「事実をねじ曲げた」とする抗議文を産経新聞社に、さらに一月三十日には、『週刊新潮』一月二十三日及び三十日号の記事を「卑劣で低俗」とする抗議文を同誌編集部に送りつけた。
 両者に対して、「今後、私どもに対して誹謗・中傷するような記事の掲載が続くようであれば、重大な決意でことに臨む」とした上で、前者に対しては「抗議文への見解と訂正記事の掲載に関して」一月末までの回答を、後者に対しては「謝罪」を加えた同様の内容を二月十五日までに返答するよう求めたが、どちらからも拒否された。
 どちらの抗議文にも私への批判が含まれているが、自分たちの急進的性教育を批判する人々に対しては誹謗・中傷の限りを尽くし、新聞や週刊誌の記事にも「名誉毀損」で告訴も辞さない「重大な決意でことに臨む」とは、一体何様のつもりなのか。
 九年前に拙著『間違いだらけの急進的性教育』(黎明書房)を出版して以来、しばらく静観を決め込んでいたが、重い腰を上げる必要がでてきたようだ。急進的性教育論争に火をつけたのは平成四年六月十一日号『週刊文春』の特集記事「小学校の『性交教育』これでいいのか」と同年九月号の月刊誌『文藝春秋』の拙論「自慰のススメと革命のススメ」であった。急進的性教育を批判するだけでは建設的でないので、約半年かけてアメリカの性・エイズ教育に関する教科書、教材、新聞記事、学術論文、雑誌論文を集め、段ボール二箱分の資料を精読し、その資料に基づいてアメリカの教育現場を取材し、『どうする? エイズ・性教育―アメリカの教育現場から』というタイトルのビデオを製作し、前述した拙著を出版した。
 拙著は大きな反響を巻き起こし、全国各地で性教育の講演に招かれたが、危機感を持った山本直英グループは私に対して「統一教会系の御用学者」というまったく笑止千万、お門違いの誹謗・中傷を、マスコミの反統一教会キャンペーンに便乗して執拗にくり返した。
 私は、統一教会の純潔教育を支持したことは一度もなく(不覚にも利用されたことはあるが)、それとは明確に異なる「第三の性教育」という独自の性教育論を一貫して主張してきたにもかかわらず、私の本質的な急進的性教育批判の論点を統一教会問題に巧みにすりかえ、かつてのアカ狩りの裏返しのような卑劣な個人攻撃を、今回の性教協と同様、私自身に対してではなく、マスコミをターゲットにしてエキセントリックに行ってきた。
 性教協が産経新聞社と週刊新潮編集部に出した抗議文での私への批判は十年前とまったく同じ内容である。彼らは私がその後「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長として活動し、「つくる会」の教科書に修正要求を突きつけた韓国の立場に立つ統一教会系団体と一切関わっていないことを十分承知の上で、十年以上前の資料を持ち出してあえてレッテル貼りという形で私への個人攻撃に執着しているにすぎない。
 
国立五小の過激性教育の背景
 
 今回の背景には一体何があったのか。性教協が「謝罪」を要求した『週刊新潮』は二号にわたって国立市立第五小学校の一年生三クラスの授業を取り上げている。これは「“インターセックス(両性具有)”という言葉を使って、“男女両方の性器を持つ人もいるのですよ”」などと教える急進的性教育授業が三人の教諭によって行われ、「“大きくなったら、私にもペニスが生えてくるの?”と娘に聞かれ、卒倒しそうになりました」と母親が憤るなど、大騒ぎになった事件である。
 この事件では、昨年十一月十六日及び十二月六日付の読売新聞が「小一の授業で性教育」「国立市立小保護者が抗議、校長謝罪」「教育長『適切さ欠いた』」などの見出しで大きく報道したが、この記事を書いた記者は呼び出されて、記事の撤回、訂正をするように圧力をかけられたという。反省することもなく、マスコミに圧力をかけて脅かすというやり口は今回の性教協とまったく同じである。十一月十六日には、「読売新聞『性教育記事』」を考える会が「緊急抗議文」を、多摩島嶼地区教職員組合執行委員長が「質問書」を、それぞれ国立市教委教育長宛に送りつけるという異常さである。
 十二月五日には国立市の石井教育長は市議会定例会で「(児童の)発達段階に即したものだったかもう一度、真摯に検討すべきだ。保護者に対する説明が十分でなく、(保護者と教員との)密接な連携がなかった点で、大きな問題を残した」「学習指導要領との関連でも、国立市男女平等教育指導手引がふさわしいか検討することが必要である」と述べた。十二月十六日には小学校主催の保護者向けの説明会が行われ、十八日には東京都教育庁指導部長から、性教育について、組織的・計画的な指導を行うこと、学習指導要領及び児童生徒の発達段階に即した指導を行うよう各市町村教委に通知が出された。
 しかし、国立五小の性教育の授業は性教協だけではなく、「国立市男女平等教育指導手引」の指導方針に立脚して「組織的・計画的」に行われたのであるが、この点については後述する。
 東京都の『性教育の手引』には性交については「小学校段階でそれを理解することは困難です。そこで人間の生殖のしくみを理解させ、その巧みさや神秘さに触れる程度にとどめることが適切です」と明記されている。また、文部科学省の『学校における性教育の考え方、進め方』の「性教育実施上の留意点」には、次のように書かれている。
 〈性教育の内容の選択やその取り扱いに当たっては、教育的に価値ある内容であること、教員、保護者、地域の人々の同意を得られる内容であること、児童生徒等の発達段階に即した内容であることが必要である。児童生徒等の身体的・精神的発達や性的成熟の個人差が大きく、情報化時代といわれる現在、性に関する情報の質や量にも差異がある。このため、これらの個人差等を配慮し、児童生徒等の性教育に対する受容(レディネス)に応じた内容や方法を選択するとともに・・・特に性教育においては教師と児童生徒等及び保護者との間の信頼関係が不可欠である〉
 国立五小の急進的性教育授業は「児童生徒等の身体的・精神的発達や性的成熟の個人差」にまったく配慮していないうえ、「性教育に対する受容(レディネス)に応じた内容や方法」ではなく、「保護者、地域の人々の同意を得られる内容」ではないことは明白である。
 ある一年生の保護者から「インターセックスとは具体的にどういうことですか? まだ理解力がそなわっていない一年生にこのような内容を言葉だけで教えるのは早いと思います」と抗議されたことに対して、担任教師は「性とは、多様なもので、この多様性を学んでいくことは、共生が必要だと言われている今日において大切な事」と反論しているが、小学校一年生には「多様性」を教える前に基礎的基本的な内容をきちんと教える必要があるのではないか。
 見落としてはならないのは、この授業の背景には、性教協と東京教組「女と男の自立をめざす教育推進委員会」等の教員組合の存在があることだ。一年生に授業を行った教諭は保護者との連絡帳で、「『性教育』の入門期にとり上げる意義や実践については性教協のとりくみから学んだものです」と正直に告白し、保護者から次のように一蹴されている。
 〈性教協なるものですが、(おそらくここからであろうと思っていましたので)今、手元に資料がありますが、こんなくだりを見つけました。“管理職にとっては、性教育という教育実践は未知です・・・”また組合ですか!? また子供不在の対立ですか!? 子供を出しに使うのはやめて下さい!! あなた方のような教師はいりませんのでどうぞ学校から出て行って下さい。私は子供に東京都の公立小学校として当たり前の授業を受けさせたいだけなのです。授業時間も少なくなったというのにこころとからだの学習が年間指導計画を変更してまで優先されるべき授業内容なのでしょうか。性教育に関しては文科省の定めるものだけで充分です。性教協なるわけのわからないところから学んだことは教えていただかなくて結構です。〉
 保護者の抗議に対して三人の教諭は、国立市教育委員会の「国立市男女平等教育指導手引」に基づいた授業のどこが悪いと開き直っているようであるが、確かに同手引の小学校中学年の性教育の展開例の中で「半陰陽(両性具有)についてもふれる」と明記している。これを一年生の授業で実践したわけだ。
 同手引の小学校低学年の基本理念によれば、性差には、(1)セックス・・・身体的・生物学的性別、雌雄性(2)ジェンダー・・・社会生活の過程で文化を身につける後天的な性。女らしさ、男らしさ(3)セクシュアリティ・・・性行為とその周辺にある全ての行動及び衝動、という3つの概念が含まれており、(2)と(3)の違いを根拠とする区別は「作られた区別」であるから、「性別役割分業と性差別」につながるので、「男女平等を目指す取り組みでは、(2)(3)に焦点を当てて取り組んでいくことになる」という。そして、「性」の教育の基本的視点として、(1)性差別・性抑圧からの解放を目ざす(2)性に関する自己決定能力を身につけることを育てる(具体的には「自分が嫌なことに、明確にNOと言えること」「自分の体の主人公として、自分の性器を正しく認識し、行動すること」)等を挙げている。
 これらは低学年という発達段階にふさわしいものとは思えない。「ジェンダーフリー」教育の先導的役割を果たしてきた同手引が「ジェンダー」と「セクシュアリティ」の社会構築性を強調し、この二つに焦点を当てて取り組んでいくことが「男女平等を目指す取り組み」と捉えている点に注目する必要がある。
 さらに中学年の「性」の教育の指導上の留意点のトップには、「生命誕生を扱う時、生命の連続性の強調をし過ぎると『あなたが生命をつなげていくのですよ』という使命感の強制にもつながりがちで、産まない生き方の否定にもつながってしまうので気をつける。また、母性の過度の讃美は、出産や育児は女の仕事という役割分業につながっていきやすいので気をつける」と書かれ、授業の展開例の中で「性交について科学的に理解する」「生殖のための性交だけでなく、ふれあいとしての性交についてもふれる」ことを強調し、参考文献として、山本直英、高柳美和子監修・執筆『ひとりで、ふたりで、みんなと』(東京書籍)、性教協企画編集『ヒューマン・セクシュアリティ』8号(東山書房)、高柳美和子『性の絵本』2(大月書店)等、性教協グループの本を列挙している。
 
性教協と教員組合
 
 前述したように、国立五小の教諭が「学んだ」と証言している「性教協のとりくみ」とは一体いかなるものか。性教協が「総合的な学習と性教育」のプロジェクトチームを設置して積み重ねてきた成果をまとめた“人間と性”教育研究所編『小学校の「性と生」の総合学習』(子どもの未来社)には、大田区立池上小学校の庄子晶子教諭の「実践・低学年」が詳細に報告されており、インターセックスについて次のように述べている。
 〈おなかの中でうんと小さな小さなころ、男も女も性器は同じ形で、この写真の胎児の性器にとても似ていたという説明をします。さらに、どのように分化してきたかも。つまり、男と女はもともとは同じものだったということを説明します。この説明の後、“むうちゃん人形”の登場です。きょうのむうちゃんは洋服を着て登場です。しかし、むうちゃんも見かけだけでは性別はわかりませんから、やはり、本人に聞いてみることにします。ところが、このむうちゃんは、「男でもなく女でもなく、男でもあり女でもあり」と答えるのです、子どもたちは、とてもびっくりします。わーっと大騒ぎ。そこで、こんなお話をします。むうちゃんは、半陰陽(インターセックス)であること。性器は、さっき写真で見た赤ちゃんが、おなかの中でまだうんと小さかったころの外性器に似ていること(現実にいるインターセックスの人たちは、実に多様です。これは、象徴的な形として提示します)。自分で男か女か決められない人たちがいること。もともとが同じもので、それが男か女かに分化するものなら、中間的な存在があっても不思議はないのです〉
 そして最後に、次のようなハッシーさんからの手紙を読んで授業をしめくくっている。
 〈わたしはハッシーです。・・・同じインターセックス・半陰陽のなかまにもたくさん会って話をしたよ。みんなやっぱり半陰陽のことを知ったのがおそくて、みんな苦労していたなあ。そしてね、決めたんです。みんなにインターセックス・半陰陽のことを知らせようって。だって、世の中の人が半陰陽のことを知ったら、いいことがたくさんあるでしょ。・・・男と女はちがっているように見えるけど、本当は同じものから大きくなったんだってわかるでしょ。そのしょうこに、半陰陽の人がいるんだから。・・・橋本秀雄〉
 同書の「提言」では、インターセックス(半陰陽)などの「性的マイノリティーに想いをいたさない性教育は、真の意味での科学や人権、共生とは無縁です」「子どもの究極の関心事の一つである『性交』を避けた性教育など考えられない」などと述べている。また、性教協の生みの親である山本直英氏は「新たなる『性愛』の創造と性的自己決定権を育む『性の学習権』を確立するのが時代の要請になります。これからの性愛は、生殖や制度や規制(他律)や差別からも解放されて、まったく個人の私事のテーマになります」と強調している。
 では、性教協と国立市の教員はどのようなつながりがあるのであろうか。男女平等教育をすすめる会編『どうしていつも男が先なの?―男女混合名簿の試み―』(新評論)によれば、都教組(共産党系の全教傘下)や東京教組(連合系の日教組傘下)の多摩島嶼地区国立支部の婦人部(平成四年から女性部に名称変更)が性教協幹部の安達倭雅子から「性教育―男女平等教育の一貫として―」と題する講演会を開催して指導を受けた昭和六十三年から「男女平等教育」としての「性教育」の取り組みが始まり、山本直英氏の「男女平等の視点から見た性の教育」と題する講演会を開催した平成三年に国立市男女平等教育指導手引(小学校低学年)が発行されたという関係にある。
 ちなみに、東京教組の『学校に混ざった風景をつくろう―How to start混合名簿―』によれば、平成二年の東京教組女性部の学習会をきっかけに、国立市から都内各地に混合名簿が広がり始めた。またこの年には国立支部婦人部が東京教組及び日教組の教研集会で「混合名簿実践から見えてきたこと」と題して発表、大阪府堺市が全ての小学校で混合名簿を実施している。さらに二年後には大阪教組の取り組みによって大阪府教委が「男女別名簿は優劣意識を植えつけるもの」との見解を出して府内の各地に広がり、今日全国に広がったのである。
 前述した「国立市男女平等教育指導手引」の「性」の教育の基本的視点や指導上の留意点はそのまま東京教組の「女と男の自立をめざす教育推進委員会」発行の指導資料『やってみよう女と男の自立のための授業』に受け継がれ、小学校低学年の性教育の留意点として、「性交を科学的に教える」と明記されており、「男女平等教育」としての急進的性教育が国立市から東京都全体に広がっていることがわかる。東京都が実施した性教育の全都調査の結果が注目されるが、文部科学省は早急に全国調査を実施すべきだ。
 東京教組の同資料は、三本柱の一つに「ジェンダーフリー教育」を掲げ、小学校高学年の「指導上の留意点」に、性的指向として男女の中間に「両性」という言葉を板書するよう求めており、中学校の「援助交際」についての指導では「性の自己決定権」が大事だと強調し、「同性愛の基礎知識」に関する資料を三頁にわたって掲載、「同性愛者は、決して『異常者』や『逸脱』ではない」ことを強調し、同性愛者に対する世界と日本の情勢、同性同士のパートナーシップについて詳述している。
 東京教組は女性部を中心に、混合名簿に続いて性教育とジェンダーフリー教育を中心課題にすえて取り組んできた。その成果は昨年の日教組教研集会において、「総合学習の中でできる性の教育〈性の教育の視点での性器学習をどう進めるか〉」と題する報告書にまとめられ、性教育とジェンダーフリー教育を小学校低・中・高学年、中学校の授業で展開する題材の一覧表を三頁にわたって詳細に例示している。
 同報告書によれば、平成十年に東京教組は児童生徒に直接アンケートをとり、『やってみよう セクシュアル・ハラスメント防止の授業』と題する冊子にまとめ、翌年から『生活科・総合学習の中でできる性・ジェンダーフリー・セクシュアルハラスメント防止の授業』に取り組んだという。同冊子のあとがきには「私たちがめざしているジェンダーフリー教育」と明記され、「女(男)らしくしなさい」と言われたこともセクシュアル・ハラスメントに含んでいる。
 勤務時間中の教研集会・教研活動は「組合活動である」と都教委は明言しているが、男女共同参画社会が目指していないジェンダーフリーを「組合の教育介入」によって推進し、国立五小の保護者がいみじくも指摘したように、子どもを「出し」にして組合活動の実験台にして組合が公教育を私物化してよいものであろうか。これは東京都だけではなく、全国共通の問題である。
 
お粗末な実態
 
 一月二十九日に東京都が唯一「男女平等教育推進校」として指定している足立区立栗原小学校で公開授業シンポジウムが開催された。六年生の「女らしさ、男らしさはつくられる2」の授業では、男女の役割が逆転しているというニューギニアの未開地の例と「おばあさんからの手紙」という出典不明の怪しげな資料が配られた。
 ニューギニアの例は、性教協企画編集の『ヒューマン セクシュアリティ』創刊号から引用されたものである。マーガレット・ミードの研究として、性教協をはじめ急進的性教育、ジェンダーフリー教育推進派が好んで強調するもので、高校国語教科書『展開・国語総合』(桐原書店)でも、内閣府男女共同参画局の基本問題専門調査会の伊藤公雄委員の論文「ジェンダーの視点から」の冒頭で、「ニューギニア地域のチャンプリ族は男が繊細で憶病、女は頑強で管理的役割を果たしている」「このミードの議論は、いわゆる『男らしさ』や『女らしさ』が絶対的なものではなく、文化によって変化すること・・・を明らかにした点で画期的」と絶賛している。
 しかし、ミード自身が「自分は性差の存在を否定するような実例を見つけたなどとはどこにも書いた覚えはない」「女性が統治する社会について立て続けに成された主張は全てナンセンスである。そのような社会が存在すると信じる理由はどこにもない」と明らかな誤解が広まっていることを指摘しているし、ドナルド・E・ブラウンの『ヒューマン・ユニバーサルズ』(新曜社)によれば、一九七〇年代にゲワーツがチャンプリ族を再調査し、ミードが報告した男女の姿は見られず、男性は攻撃的、女性は服従的で、「女性が公的な場で男性よりも優位に立つ社会が存在したという報告は一つもない」ことも明らかにされている。
 後者の資料は戦前の家庭を「おばあさんからの手紙」の形で話したものであるが、家庭の中でいかに女性が虐げられてきたかを衝撃的に記述し、過去の歴史を現在の価値観で断罪することを意図した歴史教科書と同じ構図の自虐的文章である。
 公開授業では、この資料の感想を五人の女子に発表させ、教師は「当時は天皇に主権があった。それを頂点としてピラミッド型の社会秩序が必要だった。そこで女性は男性の下に置いたほうが都合が良かったのではないだろうか」とまとめた。この五十三歳のベテラン教師は「おばあさんからの手紙」の「曾祖父」という漢字が読めず、「男女平等教育」以前に教師の資質そのものが問われる情けない授業であったが、これが「男女平等教育」なるものの実態なのである。東京都唯一の指定校ですらこの有様なのだから、あとは推して知るべきである。
 
暴走する「性の白己決定権」
 
 このような「男女平等教育」の名のもとに性差を否定するジェンダーフリー教育と急進的性教育は教職員組合と性教協の影響で全国に広がっているが、その核心となっているのが、「性的自立」「性の自己決定権」「リプロダクティブ・ライツ」という考え方である。
 この問題について、昨年七月二十二日の衆議院決算行政監視委員会で、山谷えり子議員(当時民主党、現保守新党)が「胎児の生命権」を児童の権利条約が認めていることを福田官房長官に政府も同じ見解であると確認した後、内閣府男女共同参画局の坂東真理子局長は、「リプロダクティブヘルスについては、生涯を通じた女性の健康ということで、大事だという合意はなされているんですけれども、ライツについては(男女共同参画審議会答申でも)いろいろな意見があるというふうな記述になっており、国際的にも色々な議論が行われている」という注目すべき答弁を行っている。
 ちなみに、平成八年一月二十九日の男女共同参画審議会は「リプロダクティブヘルツ/ライツ」(性と生殖に関する健康/権利、性の自己決定権)について法務省、厚生省からヒアリングを行っている。法務省は「胎児もまた生命を持ったものとして保護する必要があり、その軽視は人命軽視につながるおそれがある」、厚生省も「特に中絶については、胎児の生命保護も一つの大きな法益ですし、一方で、親の選択の自由や健康という面も一つの大きな権利でして、二つの大きな権利が拮抗するときにどのように調整していくのかということになり、必ずしも一方のみから考えるわけにはいきません」と説明している。「胎児の生命権」との関係で反対論も根強く、合意されてはいないというのが政府の見解なのである。
 ところが、千葉市男女共同参画ハーモニー条例のように「妊娠、出産その他の健康について自らの意思が尊重されるよう、性に関する教育」を求めるとして、性の自己決定権を教えるよう条例に明記した事例もあり、これまでに四十都道府県で制定されている男女共同参画推進条例のうち、宮城、埼玉、新潟、山梨、長野、鳥取、島根、岡山、大分の九県が「性の自己決定権」について明記している。ちなみに冒頭で紹介した千葉県男女共同参画推進条例案も盛り込んでいたが、自民党の反対で継続審議になっている。
 また、福島市男女共同参画推進条例の「基本理念」には、「ジェンダーフリーの実現に努める」「リプロダクティブライツが確立すること」、「基本的施策」には、「幼児期からの学習及び義務教育の場においてジェンダーフリーをはじめとする男女共同参画の概念について理解が深められるよう努める」と明記されている。伊勢市の条例には「ジェンダー解消」、桑名市の条例には「ジェンダーフリーの教育や学習を実施するようつとめます」と記されている。
 ジェンダーフリー教育は、ジェンダーとセクシュアリティは「作られた概念」であり、性差別と性別役割分業につながるという思想に基づいている。この点について上野千鶴子東大教授は『ジェンダーがわかる』(アエラ・ムック)において、次のように述べている。
 「(ジェンダーの概念は)自明視された性差について、『社会的につくられたものだから社会的に変更することができる』ことを主張するために生まれました」「フェミニズムは女性の解剖学的宿命から脱するために、もともと女性詞・男性詞を指す文法用語に過ぎなかったジェンダーに新しい意味を与え、再定義して使用したものです」「なぜこんな新しい概念が生まれたかといえば、生まれつき決定されていると考えられるセックスに対して、ジェンダーの多様性や変化の可能性を示すためのものです」「セクシュアリティという概念もまた、セックスと区別するために意図的に作られた概念です。最初、『性的欲望』と訳されたこのことばは、現在では・・・『性現象』と訳されています。したがって、セクシュアリティは、本能と自然にではなく、文化と歴史に属しています」
 つまり、後天的に「つくられた概念」であるから、人間社会の全領域に浸透しているジェンダーとセクシュアリティを変えることができる、というわけである。この二つの概念を武器にして、「ジェンダー・バイアス(ジェンダーの偏り)」「セクシュアル・ハラスメント」などの言葉を武器に強力な破壊力を発揮するジェンダーフリー教育が急速に広がっているわけであるが、ジェンダーに敏感な学習を考える会編著『ジェンダーセンシティブからジェンダーフリーヘ』によれば、ジェンダーフリーは「フェミニズム」と同義であり、ジェンダーの追求はセクシュアリティに行き着き、「ジェンダーとセックスの境界を定めようとすれば、必ず政治的な恣意が働く。これを履すためには・・・性教育が必要となる」
 ジェンダーフリー推進派に大きな影響を与えたフランスの哲学者、M・フーコーの『知への意思』によれば、セクシュアリティは「権力によって作られた一つの知」にすぎず、男女間性愛と生殖を否定した性的欲望のみが正しいという。両性具有や同性愛、多様なセクシュアリティなどを急進的性教育が強調するのは、これまで是とされてきた「知」の転倒を目指しているからに他ならない。
 性教育で子どもに性の自己決定権を教えることについては、昨年五月の国連子ども特別総会でも議論され、反対論が根強く推進派が敗北した。生殖の作法や子育てについて、動物の場合は本能としてプログラムが刷り込まれているが、人間の場合は教育による文化的伝承が必要不可欠であり、子供の「自己決定」に委ねるわけにはいかない。学習によって「生き方」=「文化」として継承されない限り、適切な形で身につかないからである。この人間特有の文化的社会的伝承が無くなれば人類は滅亡するしかない。
 性の自己決定権を子どもに教える急進的性教育やジェンダーフリー教育は、人類が祖先から受け継いできた「文化」という知恵の宝庫の解体を目指す、歴史否定・文化否定・道徳否定・家族否定の新たな革命運動に他ならない。このような過激な教育は国民の常識とは大きくかけ離れているにもかかわらず、大した抵抗もなく一人歩きし、空気のように広がりつつある。そこに、教育の歪みの深刻さがある。従来の戦術を転換し、「男女共同参画」「性的自立・自己決定権」の名の下に社会解体を目指す新たな教育革命運動を断固阻止しなければならない。
◇高橋 史朗(たかはし しろう)
1950年生まれ。
早稲田大学大学院修了。
スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、明星大学助教授を経て現在、明星大学教授。


 
 
 
 
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