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2003/05/27 読売新聞朝刊
[論陣・論客]教育基本法見直し 佐伯啓思氏VS渡久山長輝氏=見開き
佐伯啓思(京都大学教授)
渡久山長輝(元日教組書記長)
 教育基本法の見直し論議は、「公共」の精神や「国を愛する心」の涵養(かんよう)、生涯学習の理念などを盛り込んだ中央教育審議会答申を受け、国会の場に移った。同法の見直しはどうあるべきか、京都大の佐伯啓思教授と、元日教組書記長の渡久山長輝氏に聞いた。(聞き手・解説部 中西茂)
 
◇佐伯啓思さん
◆現場が変わる契機として
――改正をどうとらえるか。
佐伯 個人の自由や権利に重点を置き過ぎた戦後体制が、結果として精神的荒廃をもたらしたという認識が、国民の中にもかなりある。教育を変えるのは社会の考え方を変えること。社会の考え方が変わってきたから、基本法を変えなければ、ということだろう。
 
――答申は、現行法の理念に付け加える形だ。
佐伯 答申はまだ個性尊重が中心で、それだけではだめだと、「日本の伝統・文化の尊重」「郷土や国を愛する心」や、新しい「公共」の創造を入れている。しかし、個人が自己実現するには、社会に共通の価値観があることが前提だ。今は何が伝統で何が文化か、考え方がまちまち。そもそも共通の価値観ぬきで教育が可能なのか。
 
――では、教育とは。
 佐伯 社会の価値をどう伝え、社会を支えていく子をどう作るかということ。教育は権威があるという前提で成り立つが、戦後の社会そのものが学校の中に特別な権威を作ろうとしなかった。現行法からは権威や責任は出てこない。
 
――「国を愛する心」には必ず反発が起きると思うが。
 佐伯 ある世代の感情は理解するが、戦前に逆戻りはあり得ない。グローバルな時代に、その国の文化的力や価値観、国民のアイデンティティーは重要。自国中心の排外的ナショナリズムとは違う。かつては伝統的なものが政治的に利用され、教育が政治システムの中に組み込まれたから問題だった。ただ、愛国心や郷土愛は、上から教えられるようなものではない。具体的に獲得できる場が必要だ。
 
――現場の改革が先という意見もあるが。
 佐伯 だから基本法を変える必要がないという話にはならない。理念は現場に方向性を与えることになる。現場が変わるきっかけとして改正は有意義だ。
 
――宗教教育も論議がある。
 佐伯 戦後教育の問題の一つは過度の人間中心主義。生きていて苦しい、死ぬことは悲しいといった問題をすくい取ってこなかった。だから、きれいごとで、「自由にすれば人格が完成する。人間をしばる価値を排除しよう」となる。
 
――宗教的な教育はほとんどなされてこなかった。
 佐伯 価値観を強制した戦前の反動だろうが、やり方の問題。例えば、仏教者の宮沢賢治を教えるのは非常に宗教的だ。僕もちゃんと勉強しておけばよかったと思う。西洋の文化や哲学を知っているのに、日本のことを知らない。やり方を間違えればバランスを欠いたものになるが、未来のために責任を持ってやるべきだ。
 
――答申の評価は。
 佐伯 まだ認識が甘い気がする。読むと結構な内容だが、深刻さが表れてない。個性や自由はいいが、自由になってどんな生き方をするのか、どんな個性を伸ばすのか、モデルがない。それを与えるのが本来の教育の役割だと思う。
◇佐伯啓思(さえき けいし)
1949年生まれ。
東京大学経済学部卒業。東京大学大学院修了。
滋賀大学助教授を経て、京都大学教授。
 
 
◇渡久山長輝さん
◆現実の矛盾解決の手段に
――改正は戦後教育の問い直しになるが。
渡久山 伝統文化や「国を愛する心」を強調するためではなく、生涯学習社会や男女共同参画社会など、進歩的考え方を織り込むのがいい。ただ愛国心は持って当然。問題は愛国心を入れる背景だ。復古調的で偏狭なナショナリズム的であってはいけない。
 
――盛り込むことがすぐ、偏狭なナショナリズムにはならない。
渡久山 それはそう。しかし、愛国心という「心」を法律で規定するのは難しいはず。愛国心や郷土愛は自然に発生することだ。国民が愛せる国を作るべきだと思う。
 
――公の精神が欠けているのは戦後教育の産物という人もいる。
渡久山 権利がはき違えられ、自分の権利は主張するが、他人の権利を認めることが欠けてきた。公共とは互いに作りあげていくもの。ただ、大人自身が競争社会にいて、人を思いやるより、打ち負かそうという教育をしてしまっている。民主主義が確立していない。
 
――民主主義の確立とは。
渡久山 「個」が確立していて、お互いを大事にしながら共通の目標に立って社会や国をつくること。そこまで「個」が成長してない。
 
――答申は現行法に付け加える形だ。
渡久山 最初から付け足しではなく、全体的に見直してみようとしたが、憲法の枠内で変えるには限度があったということだろう。
 
――「国を愛する心」に、国家主義になってはならないという、なお書きは必要なのか。
渡久山 民主主義が定着していない中で、まだ国家主義的な主張に懸念があるということ。そもそも、国は権力機構、郷土は違う。郷土愛と並べて書くのは間違いと何度も指摘した。
 
――「改正より現場」の見方は。
渡久山 基本法に大半の保護者は関心がない。教育を規定しているという感覚もほとんどないのでは。一方、いじめや不登校などを何とかしてほしいという思いがある。それが基本法のせいだと思ってる人もいない。現場や国民からの要求で変えるのではない。理念や価値観ばかりでは寂しい。
 
――しかし、基本法は理念だ。
渡久山 伝統文化や国を愛する心も、すでに学習指導要領に入っていて、整合性をとる印象がある。改正は、現実の矛盾を解決するためであってほしい。例えば、共生社会づくりのためという改正なら一理ある。他民族との共生など、すでに起こっていることに目を向けないで、五十年後にどうなるか。「人間とは何か」から哲学的議論があって、改正されるべきだ。
 
――答申をまとめた立場で望む点は。
渡久山 答申には、二十一世紀の教育理念が入っている。ただ、議論が深まってない部分もあり、国会でしっかり議論をしてほしい。より多くの国民の合意を得た内容になるよう、建設的議論を望む。それがまさに民主主義だから。
◇渡久山 長輝(とくやま ながてる)
1934年生まれ。
琉球大学理学部卒業。
日本教職員組合書記長、副委員長を経て現在、全国退職教職員生きがい支援協会理事長。
 
〈寸言〉
◆国民巻き込み建設的議論を
 「個」の確立が先か、共通の価値観を伝えることが先か。教育の根本的なとらえ方が違えば、教育基本法改正で重視する点は大きく異なってくる。中教審の答申自体に総花的印象があるのも、やむを得ないことかもしれない。
 法案化作業はこれからだが、「戦前回帰だ」「現場改革が先」など、これまでの議論の蒸し返しは避けたい。国会は、政治的な駆け引きの材料にせず、純粋に教育を語ってほしい。条文はわずか十一条だが、その見直しは、戦後教育を問い直すことになる。国民を巻き込んだ建設的な改正論議を望みたい。

 
 
 
 
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