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2000/09/19 毎日新聞朝刊
[社説]教育基本法 地に足の着いた論議望む
 
 教育改革国民会議の審議の焦点になっていた教育基本法の見直し問題について、近くまとめられる中間報告では、「国民的議論を」との表現にとどまる見通しになった。
 明確な改正提言を期待していた森喜朗首相には、不満の残るところだろう。しかし審議経過を見る限り、常識的な線に落ち着いたと言える。そもそも分科会報告や全体会論議での、「改正論が大勢を占めた」との集約に無理があった。「具体的にどのように直すべきかについては、十分な議論がなされなかった」(中間報告案)のが現実なのである。
 それにしても、ここまでの議論は迷走といわれてもしかたがないだろう。その責任の一端は、「初めに改正ありき」の姿勢を押しつけようとした政治の側にある。森首相は、基本法改正の意欲を会合に出席するたびに披歴した。慎重な委員には再考するようアドバイスまでしている。
 国民会議に求められたのは、「教育改革とは何かとの原点に立ち返って戦後教育を総点検し、いじめや不登校、学級崩壊、学力低下、子供の自殺などの深刻な問題がなぜ起こっているかについて幅広く議論すること」(第1回会合での当時の小渕恵三首相あいさつ)である。
 教育の現状と在りかたについて、議論を深めることから始めなければならない。その結果、基本法に問題があるとの認識に至れば、次の段階に進むのが筋だ。小渕前首相自身は基本法改正に前向きだったが、その辺をわきまえてか、あいさつでは、基本法改正には触れなかった。
 教育基本法を論議すること自体をタブー視する必要はない。
 しかし、「日本人として持つべき豊かな心、倫理観、道徳心をはぐくむことが必要」(森首相)との視点から基本法を改正すれば、教育改革が進展し、重大な少年事件も減ると考えるのは短絡にすぎる。加えて、滅私奉公を座右の銘とし、「天皇中心の神の国」発言をしたり、教育勅語の再評価を繰り返す森首相の認識は、いかにも時代錯誤である。日本をあらぬ方向に持っていくのではないかという不安がつきまとう。
 教育基本法は、前文と11カ条からなる短い法律だ。文章がやや不明確だったり、生涯学習の視点が弱い、言わずもがなの男女共学の規定があるなどの指摘はあるが、間違っていることを書いているわけではない。基本法に特定の規定があるために、逆に規定がないために、今の荒廃が起きているとは考えにくい。
 国民会議の議論では、森首相と同様の視点から改正を求める意見もあった。しかし、生涯学習の規定の明確化程度でよいとの委員もいれば、従来の惰性的気風を打ち破るためのショック療法と考える委員もいる。具体的にどこをどう変えるかという議論は、ほとんど詰まっていない。「基本法うんぬんより、教育条件の整備が不十分なために困難な問題が生じている」などの認識から改正に否定的な委員も少なからずいた。
 国民会議が首相の諮問に対応するのは当然だが、政治家は政権浮揚などの思惑から動くこともある。議論の中身まで拘束されることはない。基本法に関する議論の集約のしかたは、首相に気を使いすぎたところがあった。教育問題に、焦り、拙速は禁物だ。自らの見識に基づき、地に足を着けて議論を深めてほしい。


 
 
 
 
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