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1999/11/02 毎日新聞朝刊
[社説]中教審 存在意義が問われる報告
 
 「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」の中央教育審議会の中間報告は、何ともインパクトの薄いものになった。
 その最大の理由は、諮問の中核である大学入学者選抜の改善、とりわけ大学入試センター試験の具体的な改善方策を、文部省の別の審議会である大学審議会にゆだねたことにある。中教審の存在意義が問われる、及び腰の報告のように思われる。
 21世紀の教育改革の方向は、すでにほぼ示されている。第15期中教審の1次答申は、知識を教え込む教育から、「生きる力」(自ら学び、考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する能力)をはぐくむ教育への転換を提言。それに基づき、週5日制のもと教育内容を厳選し、各学校の創意工夫により、個性を生かし生きる力をはぐくむことを目指す新しい学習指導要領が告示された。
 しかし、この理念の実現を阻む厚い壁になっているのが入試システムだ。大学入試は、まだ同一路線上の競争が続いている。受験生は、将来の人生を見据え、自分の能力や適性を考えて「入りたい大学」を選ぶのではなく、偏差値を基準に「入れる大学」を選ぶことが多い。
 大学側は、どんな学生が望ましいかの選択に手間ひまをかけない。たくさんの学生を集めたいというだけの理由で、受験科目を極端に減らす例も多い。ある経済系学部は、数学を必修から外したところ、受験生が増え、偏差値が上がった。しかし、その後、学生の質が落ちているのに気付き、がくぜんとしたという。
 勉強の目的が、入試をクリアする手段になっている。だから受験科目しか勉強しないし、大学に入れば、打ち止め。大学生の考える力の低下にもつながっている。入試をめぐるこうした構造が改まらない限り、教育の転換は難しい。
 誰(だれ)もが納得する入試システムはなく、改革は簡単ではない。しかし中教審はこうした事態を踏まえ、入試改革が残された最大の課題との覚悟のもとに審議に入ったはずである。 中間報告は、偏差値に基づく進路選択や選抜機能に偏った入学者選抜ではなく、学生の求めるものと大学の求めるものとの適切なマッチングが必要と指摘。学部・学科ごとに教育理念と、どんな能力・適性を持つ受験生が欲しいのかというアドミッション・ポリシーを明示し、それを反映した多様な入試を行うべきだと提言した。具体的には多様な進学希望者をていねいに多面的に評価するアドミッション・オフィス入試の検討、適切な出題などを挙げた。
 いずれも、もっともな提言ではあるが、従来、指摘されてきたことであり、各大学がそれぞれ努力すべきテーマだ。中教審に、今、改めて強調されるほどのものではない。
 中間報告は一方で、抜本的な入試改革につながる資格試験の実施や、希望者は原則として全員入学させ、入学後の成績が基準に満たない者は留年・中退させるキックアウト制については、あっさり退けた。大学入試センター試験は、「資格試験的な取り扱いを含め各大学は多様な利用方法の推進を」との視点を示しただけで、大学審に先送りした。
 難題であることは分かる。しかしたとえ同じ結論になるにしても、これだけの説明では、理解は得られないだろう。まだ議論が足りない。


 
 
 
 
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