世界でたった一つの「写真日記」
写真の最大の特性は、過ぎ去る時間を切り取り、それをのちのちまで残すことができる「記録性」にあります。
同じことの繰り返しのように見えがちな日常のなかで、小さな変化を見つけ、それを撮影しておけば、それは立派な「記録」となるのです。
とりわけ、お祝いごとなど人生のハレの日には、普段と違って着飾った姿を写真におさめましょう。それが人生にメリハリを与えるからです。
プリントができたら、一枚一枚に短いコメントをつけてみましょう。また、写真を組み合わせ、自分なりの物語をつけてみましょう。
これを続けると、世界でたった一つの「写真日記」が誕生します。これはケアする人とされる人の“合作”です。このような境界線上から、ケアという営みの内部が内部として見え、内部として見えれば反転して外部も見えてくるでしょう。
なかでも撮られる人にとっては、カメラを向けられることによって、いつもとは違った眼差しを感じ、「私は愛されている」「私は許されている」「私には価値がある」といった自分に誇りをもつ意識が芽生えてきます。これが撮る楽しみでもあります。
生命を肯定する力
痴呆が進んでいる母親を介護しながら撮り続けているパフォーマンスアーティスト、折元立身さんのことが新聞で話題になっていました。
彼はきっと、時間は思いやり深いと同時に、残酷なものということを知っているにちがいありません。さらには、時間は人を楽にするけれども、大切なものを葬り去ってしまうということに気づいているにちがいありません。だから、母親を撮り続けているのだと思います。
人間が生き続けていくこと、そのものの残酷さというのでしょうか。その残酷さを許容しつつ、歯止めをかけるのが人間の強さだと考えます。
それは荒っぽい強さを意味するのではなく、むしろ、どうしようもない無力感にさいなまれながら、それでも生命を肯定しようとする“柔らかい強さ”といいたいのです。
写真家の港千尋さんは、『記憶』(講談社)のなかで、写真の誕生について、次のようにのべています。
写真は永遠の記憶を手にするためではなく、実は人間が喪失と不在を生き抜いてゆくために、発明されたのではなかったか?
ファンタジーの世界への誘い
絵本や童話は子どものもの、と思っていませんか。どうしてどうして、今、おとなのあいだでよく読まれているのですよ。
最近、おとなに絵本が流行っています。『いつでも会える』1、『葉っぱのフレディーいのちの旅』2など大ヒットしたものもありますし、金子みすゞなど有名な詩人や作家の作品を絵本にしたものも多く出ています。町の本屋には「おとなの絵本コーナー」があるほどです。
また、童話も多くのおとなに読まれています。「ハリー・ポッター」シリーズ3や「指輪物語」シリーズ4のようにベストセラーになっているものもあります。
おとなに絵本や童話が読まれているのは、いったいどうしてなのでしょうか。
身も心も疲れたときや、わからないことで頭がいっぱいなときなど、ものを考えること自体がいやになることがあります。そんなとき、絵本や童話は、いとも簡単にファンタジーの世界に連れていってくれます。現実の喧噪から離れ、休息のひとときを味わうことができます。そして、現実を生きる元気と勇気をもらうことができるでしょう。時には、抱えている問題を解決するヒントを、絵本や童話のなかから発見することもあるでしょう。だから、こんなにも流行しているのではないでしょうか。
ケアをするあなたはどうですか?
もしあなたが現実の世界に疲れているのなら、本屋に出かけて、絵本や童話のコーナーをのぞいてみてはいかがでしょうか。流行のものを試してみるのもよいでしょう。あるいは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』5や、ミヒャエル・エンデの『モモ』6、宮沢賢治の作品など、名作、傑作と呼ばれるものを読んでみるのもよいかもしれません。おとなになって読むと、子ども時代とは違う、それらの描く世界の深さに改めて気づくことがあります。
「子どものもの」などという心の壁を取り払って、一度試してみてください。きっと、あなたの心に触れてくる物語が見つかるはずです。
1、菊田まりこ著、学習研究社
2、レオ バスカリーア著、みらいなな訳、童話屋
3、J.K.ローリング著、松岡佑子訳、静山社
4、J.R.R.トールキン著、瀬田貞二訳、田中明子訳、評論社
5、内藤濯訳、岩波書店
6、大島かおり訳、岩波書店
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