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自然体
からだを知ること。それは自らと出会い、人と出会うこと−竹内敏晴1
 
 ケアの忙しさのなかで、他者の「からだ」、他者の健康の状態ばかりに目を向け、自分の「からだ」のこと、「こころ」のことを気にかけない人が多いといわれます。そのような人は、「からだ」は疲れているのに、「こころ」はこわばっているのに、それに気がつかず、張りつめた精神的状態のなかで、いつの間にか疲れを溜め込んでしまいがちです。
 「堅くこわばって反応できない、あるいは力が抜き過ぎていて反応ができないでいた心身の状態の対極にあるのが自然体の構えである」というのは教育学者の斎藤孝さんです。
 身体論に詳しい斎藤さんは『自然体のつくり方』(太郎次郎社)のなかで、自分にしっかり基盤をもちながら、他者に柔軟に対応していくという対人関係上の基本が「自然体」のイメージであるとのべています。
 そして、それは「自分自身に中心を感じることができ、自分の存在が確かに感じられれば、他者に対する余裕も生まれ、からだとこころが開かれてくる」とのべています。
 この「自然体」は、自分で意識して習得することができます。習得することから、他者との適切な距離を保ち、自他の「あいだ」に流れを感じることができるような、レスポンスする(響き合う)身体が生まれてくるのです。
 斎藤さんは具体的に「自然体」の習得の仕方を紹介していますが、その一つに「すり足」があります。すり足は足の裏をできるだけ床から離さず、するようにして歩く歩き方のことです。
 能などの伝統芸能、また剣道などの武道に見ることができますが、心やすまる音楽を聞きながら、ゆったりとした気持ちですり足を行うと、自分の「中心軸」の感覚がつかめてきます。そして、「からだ」のブレが少なくなってきたとき、「こころ」のブレもまた少なくなってくるのです。
 ケアとは相手の呼吸にあわせ、「からだ」と「からだ」が直に触れあう行為です。そのなかで、他者の揺れ、他者の乱れをともに感じ、自分のなかに取り込んでしまうことがあります。他者に共感し、生きる喜びや苦しみを分かち合うことは大切なことですが、立ち戻ることができる自分という「中心」、または自分という宇宙があってこそ、他者と共振することができるのではないでしょうか。
 自分の「中心」を意識し、他者に対して開いていく。言いかえると、足はしっかりと大地を踏みしめ、上半身はリラックスし、空に向かってどこまでものびていく。他者との関わりのなかで、自分を見失いそうになるとき、からだがこわばってきていると感じるとき、そんなふうにイメージして深呼吸してみましょう。そこから身体のメッセージを聞きとり、自分の「中心軸」を感じてみてはどうでしょうか。
 このように「自然体」という、ゆとりをもった「構え」から、私たちは、もう一度自分と出会い、さらには、自他の存在感を回復する豊かなコミュニケーションが生まれてきます。
 

1、『思想する「からだ」』(晶文社)







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