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暮らしのなかの“間柄”づくり
生きる指針の見直し
 人間は決して合理的な存在ではありません。その人間が生きることは実に面倒くさいこと。一人ひとり違っているという、その面倒くさいことを、同じとして対処しようとすると、必ず個別の問題を積み残してしまいます。
 「ケアする人のケア」について考えるとき、貧乏くじをひかされたという思いを慰めたり、世話という大変なことを癒したりするためのハウツーを求める対症療法的な考えでは、本質的な問題は少しも解決しません。
 年老いた親にごはんを食べさせながら、年輪の重ねかたや死にかたなどを学んだりすることもよいことだとする、社会全体の意識や価値観の見直しが必要となっているのです。
 看護学の佐藤登美さんは、病気になったり老いたりしても、できるだけ地域で生きていくことができるコミュニティづくりに取り組んできました。そして、「ひろ〜く“間柄づくり”をめざす研究会」を立ち上げ、“間柄”をキーワードに“付き合い”や“助け合い”のあるコミューティについて提案してきました。
 
“付き合い”と“助け合い”
 この“間柄”というのは、フォーマル(制度的)なものではなく、誰もが生活のなかでできる極めてインフォーマル(非制度的)なものです。
 たとえば、近隣の“付き合い”がよければ、誰かが具合が悪いときには誰かが看る“助け合い”がある、というつながりです。
 ケアというのは、「ケアする人」あるいは「ケアされる人」と分けるのではなく、元気なときはケアをし、具合が悪くなったら助けてもらうというふうに、主体と客体が状況によって入れ替わっていく関わりなのです。
 それは専門家か非専門家かというような分け隔てのない関係でもあります。ケアを専門家だけにまかせるのではなく、自分たちで互助的な関係をつくっていくことは、社会を成熟させることにもなるのです。
 なかでも佐藤さんが重視しているのは、日常の“間柄”をベースとした“付き合い”や助け合い”です。それらは地域の人びとの態度や習慣として成り立っていることが多いので、その地域社会の特性が必ず入ってきます。そして、それらは親方から子どもへと世代をこえてつながっていきます。
 ここでいう地域社会というのは、そこで暮らしている人びとの人生の全体が見える関係性です。人が生まれ、ヨチヨチ歩いて、やがて悪ガキでならす、といったその人の人生の全部が見えたところで付き合っていく関係性です。そこでのケアは生活の一つの習慣や基本的な態度としてあるのです。
 
人間と人間の信頼を築く
 このように関係性をつくることはケアにおいてとても重要なことですが、医学の故中川米造さんは医療における「手当て」について「手を当てさせてもらえる関係」の大切さに注目していました。
 それは専門家だから手を当ててもいいというのではなく、手を当てることが不快でない程度の信頼関係があるときに、ほんとうに「手当て」ができる、ということです。人間と人間の信頼を築いていくところに看護の本質があるということでしょう。
 人間のずるさとか弱さがごちゃまぜにある近所の“付き合い”の風景。私たちは今、ここから人間の生き死にを語り、新しい社会システムを構想していくことが求められているのではないでしょうか。







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